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韓国で今、アイドルグループRESCENEのミナミが発した「巨済ヤッホー」を機に、日本のギャル語が大流行している。巨済島への関心の高まりや同グループの大躍進など、社会現象にまで発展している。※画像:YouTubeチャンネル『안녕하세요원이입니다잘부탁드립니다』
Features
暑さを吹き飛ばすスパイシーなごちそう
2026.8.1
【グランド ハイアット 東京】痺れ・旨辛・ひんやり。夏限定のスパイシーメニューが登場
グランド ハイアット 東京の、中国料理「チャイナルーム」と「フィオレンティーナ ペストリーブティック」から、夏限定のスパイシーメニューが登場。痺れる辛さや奥深い旨味、ひんやりとした口当たりが食欲を刺激する料理や、ホテルメイドの個性豊かなカレーパンが並ぶ。
五目麻辣スープ麺 3,080円
カレーココナッツ刀削麺 3,080円
中国料理「チャイナルーム」では、自家製豆板醤や山椒、辣椒醤(ラージャオジャン)など、多彩な香辛料を使った全6種類のスパイシーメニューを用意。
豆板醤に「老干媽(ラオガンマー)」を合わせた特製スープが、幅広のきし麺に絡む「冷やし四川スープきし麺」や、痺れる辛さと深い旨味が味わえる「五目麻辣スープ麺」をはじめ、2種のカレーペーストとココナッツミルクを合わせた「カレーココナッツ刀削麺」、「よだれ鶏」を冷やし胡麻スープ麺に仕立てた一皿など、暑い季節にぴったりなラインアップがそろう。
小豆餡入り白玉団子とトロピカルフルーツ入り タピオカココナッツミルク添え マンゴーかき氷 3,080円
※食後のデザートとして注文可能
食後には、夏限定の「マンゴーかき氷」もおすすめ。凍らせたマンゴー果汁を削った濃厚かつ軽やかな氷の上に、完熟マンゴーやツバメの巣、白玉を添えたラグジュアリーなデザートだ。別添えのタピオカ入りココナッツミルクをかけることで、味の変化も楽しめる。
カレーパン各種 300円~500円
一方、「フィオレンティーナ ペストリーブティック」では、個性豊かなカレーパンを販売。ピリ辛のキーマカレーとチェダーチーズを包んだ「キーマカレークロワッサン」や、ホットドッグスタイルの「スパイシー カレードッグ」をはじめ、「トマトカレー デニッシュ」やゆで卵を丸々1個包み込んだ「スパイシーエッグ カレーパン」など、ホテルならではの上質な味わいが楽しめる。
早くも酷暑が続く今夏。香辛料の刺激と奥深い旨味が織りなす、この季節だけの美食を堪能してみては。
◆「チャイナルーム」スパイシーメニュー
【提供期間】提供中~2026年8月31日(月)
【提供時間】ランチ 11:30~14:30(土・日・祝 ~ 15:00)、ディナー 17:30~20:30
◆フィオレンティーナ ペストリーブティック (1 階 ペストリーブティック)カレーパン
【提供期間】提供中~2026年9月15日(火)
【提供時間】9:00~20:00
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Features
夏の竹富島で、暮らすような滞在を
2026.8.7
【星のや竹富島】ゆったりと心満たされる、夏の滞在プログラム
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沖縄・竹富島の文化リゾート「星のや竹富島」では、2026年8月31日まで、竹富島の夏の暮らしを体感する季節限定プログラムを開催。遊び、眺め、語らう──「なちゆくい*」を彩る4つの催しを用意する。
農業が生活の中心だった時代、夏の竹富島は、秋から始まる新たな農事や祭事に向けて暮らしを整える季節であり、島の人々が交流を深めることで「ウツグミ(一致協力)」の精神を育んできた。そんな自然と寄り添う文化に触れながら、島で暮らすような滞在を楽しめるのが、夏限定の本プログラムだ。
島の植物を乾燥させた材料で作る民具
強い日差しが降り注ぐ竹富島では、早朝や夕方に畑仕事を行い、日中は家の中で民具づくりや農作業の準備をして過ごしてきた。その暮らしに触れられるのが、島に伝わる民具づくりを継承する「クージの会」の協力による手仕事体験。アダンやマーニの葉を乾燥させた素材を使い、昔ながらの民具を作りながら、島の暮らしに思いを馳せることができる。
緑豆ぜんざい(2026年8月31日までの期間限定)
【時間】14:00~15:50 【料金】無料 【場所】ゆんたくラウンジ
館内のゆんたくラウンジでは、八重山で親しまれてきた緑豆を使った「冷やしぜんざい」を無料で提供。さらに夕暮れ時にはコンドイ浜への送迎(1日3組限定・無料)も実施され、水平線に沈む夕日を眺めながら、波や風の音に耳を澄ませる島ならではの豊かな時間を過ごせる。
「島の唄い手と過ごすひととき」
毎週火曜の夜には、島の唄い手と泡盛やおつまみを囲んで語らう「島の唄い手と過ごすひととき」も開催。島の唄や人々との交流を通して、竹富島の文化や歴史をより深く感じられる。
見晴台から望む集落景観
観光地を巡るだけでは出会えない、その土地の日常や営みに身を委ねる旅。竹富島に受け継がれてきた夏の時間を体感しながら、心をゆるめてみてはいかがだろうか。
*島言葉で「なち」は「夏」、「ゆくい」は「休暇」という意味
「島の唄い手と過ごすひととき」
【期間】2026年8月31日(月)までの毎週火曜日
【時間 19:15~21:30
【料金】1名7,560円(税・サービス料込)
【場所】喜宝院蒐集館
【対象】年齢制限なし
【定員】2組 4名まで
【予約】前日17:00までに公式サイトにて予約
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JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
2026.8.5
ジャパニーズウイスキーを、ブームから文化へ 三郎丸蒸留所が挑む「次の100年」
2026年5月に発売になった「三郎丸Ⅷ(エイト)STRENGTH(ストレングス)」。タロットカードのデザインは大アルカナ22枚の9番「力(STRENGTH)」が採用されている。
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世界から熱い視線を集めているジャパニーズウイスキー。このブームを一過性のものにせず、100年先へ続く文化へ育てたい。そんな思いを胸に挑戦を続けているのが、富山県砺波(となみ)市の三郎丸蒸留所を擁する若鶴酒造代表取締役社長 稲垣貴彦さんだ。「The Ultimate Peat(ピートを極める)」を掲げ、世界初の鋳造製蒸留器「ZEMON」の開発や樽工房の設立、ボトラーズ事業、蒸留所同士の連携など、日本のウイスキー文化の土台づくりに取り組んでいる。その挑戦が評価され、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。目指しているのは、一つの蒸留所の成功ではない。日本のウイスキーを次の100年へ受け継ぐ仕組みをつくることだ。その思いを聞いた。
ジャパニーズウイスキーブームの先にある課題
世界的なジャパニーズウイスキーブームを背景に、日本の蒸留所は急速に増えてきた。2013年には10カ所ほどだった蒸留所は、この10年余りで約100カ所以上へと拡大した。一方で、設備や樽、職人の不足、人材育成など、産業基盤の課題も顕在化している。一時のブームで終わらせず、文化として次の100年へつないでいけるのか。今、日本のウイスキー産業は大きな岐路に立っている。
その課題に真正面から向き合っているのが、三郎丸蒸留所を率いる稲垣貴彦さんだ。
北陸新幹線新高岡駅からJ R城端線油田(あぶらでん)駅から徒歩1分、新高岡駅からタクシーで約20分の場所にある若鶴酒造。
三郎丸蒸留所 大正蔵入り口にある若鶴酒造と三郎丸蒸留所ののぼりや樽。「三六〇」は、2025年12月に就任した北陸最若手の杜氏、田村幸作氏が手がけた三郎丸蔵の新ブランド。
若鶴酒造の創業は1862(文久2)年。砺波平野の豊かな伏流水に恵まれ、この地で160年以上酒造りを続けてきた。ウイスキー造りを始めたのは戦後間もない1952年。米不足で日本酒を十分に造れなかった時代、二代目であり、稲垣さんの曾祖父にあたる稲垣小太郎氏は、「米以外の原料で酒を造る」という挑戦に踏み出した。
翌年発売した「サンシャインウイスキー」は、その名に、戦後の日本に再び明るい時代が訪れてほしいという願いが込められていた。その後、蒸留棟の火災や市場の低迷など幾度もの危機に見舞われながらも、地域に支えられ、ウイスキー造りの灯は守られてきた。
昭和27年にウイスキーの製造免許を取得後、初めて発売したのが「サンシャインウイスキー」。
受け継ぐためには、変えなければならない
大学卒業後、東京のIT企業で働いていた稲垣さんが富山へ戻る決心をしたのは10年前のこと。当時の若鶴酒造は日本酒が事業の中心で、ウイスキー造りは夏場だけ細々と続けられ、売り上げも全体のわずか5%に過ぎなかった。大きなリスクを伴う設備投資や新たな挑戦に踏み切ることはなく、昔ながらの製法を守り続けていた。
「この先、ウイスキー事業をどうするべきか」
そんな岐路に立っていたとき、蔵の奥に1960年蒸留の若鶴モルトが残されていることを知る。半世紀以上眠っていたそのウイスキーを口にした瞬間、稲垣さんは「脳天を突き抜けるような衝撃」を受けた。
「これほどのウイスキーを、曾祖父が造っていたのか」
その瞬間、単なる家業ではなく、曾祖父が始めたウイスキー事業を未来へ受け継ぐ使命を感じたと話す。
「曾祖父と私は同じ時代を生きていません。でも、一本のウイスキーを通じて、その時代につながれたような気がしました。半世紀を超えて、子孫から先祖につながれるお酒って、ほかにはあまりないと思うんです。今日仕込んだ原酒が商品になるのは数年後、時には数十年後。造り手がいなくなっても樽の中では熟成が続き、その酒を飲む人へと時間が受け継がれていく。ウイスキーは、時間を閉じ込める酒だと思います」
まるでギャラリーのような雰囲気を漂わせる三郎丸蒸留所の熟成庫と、そこを歩く稲垣さん。これまでCharや田島貴男、元ちとせをはじめとする多彩なアーティストがここで演奏を披露しており、その模様はYouTubeチャンネル「BLUES& BARRELS」で公開されている。
三郎丸タロットシリーズでは、切り絵作家の加野由希絵氏(氷見市出身)のカードの切り絵が使用されており、それらが並ぶシアタールーム。
しかし、その思いだけで蒸留所をよみがえらせることはできない。
老朽化した建物の修復や設備の更新には莫大な資金が必要だった。ウイスキーは仕込んでも、商品として売り上げになるまで何年もの熟成期間を要する。設備に投資しても、すぐに利益は生まれない。長い時間を見据えた経営判断が求められる産業だった。
そこで立ち上げたのが、蒸留所の名を冠したシングルモルトブランド「三郎丸」。当時、若鶴酒造では二級ウイスキーもシングルモルトも「サンシャインウイスキー」の名で販売されていたが、ブランドの価値を考えるなら、シングルモルトでもっと蒸留所の個性を前面に打ち出すべきだと稲垣さんは考えたのだ。
最初に世に送り出したのは、曾祖父の時代に銅製ポットスチルで蒸留された原酒をボトリングした「三郎丸1960」だった。ちょうどその頃、同じ1960年蒸留の「軽井沢1960」が香港のオークションで高額落札されるなど、世界では長期熟成のジャパニーズウイスキーへの注目が急速に高まっていた。
半世紀以上の眠りから目覚めた「三郎丸1960」にも販売予定数の4倍を超える応募が集まり、1本55万円で発売された。この一本をきっかけに、富山発のシングルモルトブランド「三郎丸」の名は、国内外のウイスキー愛好家の間で広く知られるようになった。
2020年に完成したウッドラック式を採用した樽貯蔵庫の中。
貯蔵樽からウイスキーを汲み出す、稲垣さん。
「三郎丸1960」の売り上げに加え、クラウドファンディングで寄せられた支援を原資として、蒸留所の改修に着手する。
「資金集めはもちろんですが、なぜ蒸留所を残したいのか、なぜ未来へつなぎたいのか。その思いを多くの方と共有できたことが大きかったですね」
クラウドファンディングは資金調達の手段であると同時に、三郎丸蒸留所の未来に共感する仲間を集めるプロジェクトでもあった。蒸留所は少しずつ、新しい時代へ歩み始めた。
その象徴となったのが、2019年に完成した世界初の鋳造製ポットスチル「ZEMON(ゼモン)」である。
発想の原点は、富山県高岡市で400年以上受け継がれてきた高岡銅器だった。梵鐘づくりの鋳造技術をウイスキー造りに生かせないか──。その着想から老子製作所との共同開発によって誕生したのが、世界初の鋳造製ポットスチル「ZEMON」である。
昭和20年の富山大空襲を逃れた数少ない建物。<wbr />現在は三郎丸蒸留所として、1階でウイスキーを蒸留、<wbr />2階から見学ができる。
画像提供:三郎丸蒸留所
中央に見えるのが「ZEMON」だ。
「従来の蒸留器は銅板をたたき、曲げて造ります。一方、ZEMONは梵鐘と同じ鋳造技術を使うので、十分な厚みを持たせることができます」
銅には蒸留液中の硫黄成分を除去する働きがあり、錫には酒質をよりまろやかにする効果が期待される。銅と錫、それぞれの特性を活かした銅錫合金によって、三郎丸らしい力強さと滑らかさを兼ね備えた酒質を実現した。さらに、高寿命化やメンテナンス性の向上、製造期間の短縮、コストダウンなど、従来の蒸留器が抱えてきた課題も解決した。
「ZEMONは三郎丸だけのために造ったものではありません。日本の蒸留所が、国内で設備を調達できる選択肢を増やしたかったんです」
伝統産業は、昔と同じものを作り続けるだけでは先細りしてしまうこともある。だからこそ、高岡銅器という地域の技術を現代のものづくりへ生かし、新たな産業へとつなげる。その挑戦は、三郎丸蒸留所だけでなく、日本のウイスキー産業全体の未来を見据えたものだった。
蒸留所を守ることが目的ではない。蒸留所を起点に、日本のウイスキー文化を次の100年へつないでいく。その視点に立ったとき、稲垣さんの挑戦はさらに広がっていく。
後期乳酸菌発酵を行う木桶発酵槽。木の表面に独自の乳酸菌が住み着き、豊かな発酵へと導く。
蒸留所では、主にネズミや鳥などの害獣からウイスキーの原料である大麦を守るため、猫(ウイスキーキャット)を飼う習慣があった。現在は、蒸留所で動物を飼うことはできないために、その名残から置物を置いている。
産業は、一社だけでは育たない
稲垣さんが目指しているのは、三郎丸蒸留所だけの発展ではない。日本のウイスキー産業全体が、100年先まで続くための土台を築くことだ。
「一社だけが成功しても、文化にはなりません。産業全体が元気になってこそ、日本のウイスキー文化は次の世代へ受け継がれていくと思っています」
その考えを象徴する取り組みの一つが、三郎丸樽工房「Re:COOPERAGE(リクーパレッジ)」である。
「貴重なジャパニーズウイスキーの一滴たりとも漏らさない。それが私たちの使命だと思っています」
ウイスキーにとって樽は、単なる容器ではない。熟成によって香りや色、味わいを育む「もう一つの原料」ともいえる存在だ。しかし世界的なウイスキーブームを背景に樽不足は深刻化し、価格は高騰。品質のばらつきも大きくなっている。
さらに日本では樽職人の減少が進む一方で、クラフトウイスキーの蒸留所は急増している。その結果、多くの蒸留所が自前で樽の修理や修復ができず、大切な原酒を守るための環境づくりが課題となっている。
樽工房において、「新たに蒸留された無色透明の原酒は、樽の中で長い年月を過ごすことで、琥珀色の色合いや豊かな香りを生み出すんです」と話す稲垣さん。
「10年前と比べると、価格は高い時で4倍ほどになりました。しかも漏れる樽が本当に増えました」
長い年月をかけて育てた原酒が、樽の隙間から失われてしまう。その損失を防ぐため、三郎丸蒸留所は樽工房を設立した。傷んだ樽板を交換する「リペア」、用途に応じて組み替える「リメイク」、内側を削って焼き直す「リチャー」。一本一本異なる状態を見極めながら、樽に新たな命を吹き込んでいる。
「樽は容器ではなく、原料なんです。ウイスキーを造っているのは、樽でもあるんですよ」
樽を守ることは、原酒を守ること。そして、日本のウイスキーの品質を守ることでもある。
「新しく造るより、直す方が難しいんです。どこが悪いのかを見極め、その樽に合わせて修復しなければならない。一本として同じ状態の樽はありません」
現在、日本で樽職人はごく限られている。
三郎丸樽工房「Re:COOPERAGE」で樽の修復・修繕を担っているのは、29歳でキャリア10年の樽・木桶職人、祝迫智洋さんだ。
「樽と木桶の両方を扱える職人は、世界でも祝迫さんだけだと思います」
そう語る稲垣さんは、祝迫さんに絶対の信頼を寄せる。
樽工房では、全国の蒸留所から修理を引き受けるだけでなく、技術者の育成にも力を入れている。樽工房は三郎丸のためだけにあるのではない。日本のウイスキー産業全体を支えるインフラとして、その役割を広げている。
敷地内にある樽の修理・再利用する樽工房「Re:COOPERAGE」。樽のリペア・リメイク・リチャーなどを専門に行なっている。
ここではバーボン樽を中心に、シェリー樽、赤ワイン樽、ミズナラ樽、スパニッシュオーク樽など、様々な樽が集まってくる。
廃材となるはずの木材は、時計や小さな樽など、別のアイテムに生まれ変わらせている。
その発想は、ボトラーズ事業にもつながっている。
2021年には、ウイスキー専門店「モルトヤマ」の下野孔明さんとともに、ボトラーズブランド「T&T TOYAMA」を立ち上げた。
ボトラーズは蒸留所から原酒を買い取り、独自に熟成やブレンドを行い、新たな価値を加えて市場へ送り出す存在だ。原酒が商品になるまで長い年月を必要とする蒸留所にとって、資金面や販路を支える役割も果たしている。
「スコットランドでは、自分たちにない原酒は交換するのが当たり前です。それぞれが得意なものを持ち寄ることで、多様性が生まれる。日本もそういう産業になってほしいと思っています」
クラフト蒸留所が一社だけで世界へ挑むには限界がある。しかし、それぞれの個性を生かしながら協力することで、新しい価値は生まれる。
「ボトラーズ事業を通して、世界各地の蒸留所が集うイベントや販売会で、それぞれの蒸留所の特徴や魅力を紹介する機会も増えました。一社ではできないことでも、数社が集まることで、多角的な発信ができるようになります」
競争するだけでは文化は育たない。互いに支え合い、それぞれの強みを生かしながら成長していくことで、産業は厚みを増していく。
昨年新設された、三郎丸蒸留所のブレンダー室・ワークショップルーム。日本の伝統工芸である組子建具とガラスを融合させた「ガラスシリンダー」が美しい。
たくさんの保有する原酒を新たな魅力ある製品づくりへとつなげていく作業がなされている。
一番いいのは、実際に来てもらうこと
「一番いいのは、実際に来てもらうことです。蒸留所へ来れば、その土地の空気も、人も、ものづくりも伝わります」
その思いから、三郎丸蒸留所は開かれた蒸留所として見学を受け入れている。蒸留設備を間近で見ながらウイスキー造りの工程や歴史を学ぶことができ、ショップやテイスティングスペース、レストラン「竈 flamme 炭三郎」も併設する。
屋外のBBQスペースにも釜が置かれている。
レストランでは、役目を終えたウイスキー樽を燃料に炊き上げるご飯をはじめ、三郎丸の仕込み水や富山の食材を生かした料理を提供している。酒造りを支える水や土地の恵みを、食を通して体感できる場所でもある。
取材当日も、見学者だけでなく地元の人々が次々と訪れ、食事を楽しんでいた。蒸留所は観光施設にとどまらず、地域の日常に溶け込む交流の場にもなっていた。
レストランの入り口の横には仕込み水が出る蛇口がある。その柔らかくてミネラル感ある水質が、三郎丸のウイスキーの味わいを支えている。
そして、稲垣さんは新たな試みスタートとして、クラフトウイスキー蒸留所をより多くの人に知ってもらう試みをはじめた。
「私が戻ってきた頃、日本の蒸留所は10カ所ほどでした。それが今では約100カ所以上になりました。せっかくなら、三郎丸だけでなく全国の蒸留所を巡ってもらいたいんです」
その思いから始まったのが、全国の蒸留所を巡る「Japanese Whisky Passport 銅印帳」プロジェクトだ。鉄道を巡る「鉄印帳」のように、各地の蒸留所を訪れ、銅印を集めながら旅を楽しむ仕組みである。
「目指したのは、ウイスキー好きだけの企画ではありません。建築やものづくり、地域文化や食に興味を持つ人たちにも、日本各地の蒸留所を訪れるきっかけをつくりたかったんです」
蒸留所を巡る旅は、その土地の文化や食、伝統工芸と出会う旅でもある。蒸留所という「点」を旅という「線」で結び、日本のウイスキー文化という「面」へ広げていく。それもまた、産業を未来へつなぐための大切な仕組みだ。
「Japanese Whisky Passport 銅印帳」全国28ヵ所のクラフト蒸留所が紹介されており、各蒸留所で銅印を購入し、指定のページに貼って集めることができる。
稲垣さんが目指すのは、曾祖父から受け継いだ酒造りの志を起点に、高岡銅器の技術、樽職人の仕事、蒸留所同士が支え合う関係、そして地域へ人を呼び込み文化を育てる仕組みまで、日本のウイスキー産業を支える土台そのものを未来へ残そうとしている。
日本の蒸留所の数は増えた。だが文化は数だけでは育たない。今問われているのは、「増やすこと」ではなく、「育てること」なのである。
100年前、曾祖父が始めた挑戦は、いま「次の100年」を見据えた挑戦へと姿を変えた。三郎丸蒸留所で生まれたその挑戦は、一つの蒸留所の未来ではなく、日本のウイスキーをブームで終わらせず、次の100年先へと受け継ぐための取り組みだ。
稲垣さんは富山の地で日々思いを巡らせ、そして格闘をしている。
樽貯蔵庫では、夏場は上段温度管理のために、屋根散水システムを導入している。
若鶴酒造(三郎丸蒸留所)
富山県砺波市三郎丸208
Photos by Hidehiro Yamada
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林 信行の視点
2026.8.5
杉本博司「絶滅写真」が問うもの
映画一本分の光で劇場を撮るシアターシリーズの新作として2015年に制作された「廃墟劇場」。《パレス・シアター、ゲーリー》(2015)。
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もともとテクノロジーやデザインを追ってきた私が、本格的に現代アートの取材へ足を踏み入れるきっかけとなったのは、2005年、森美術館で開かれた「杉本博司:時間の終わり」展だった。
いま大きな注目を集めるAIもそうだが、テクノロジーの世界は、とにかく移り変わりが激しい。今年はじめて名を聞いた技術が、わずか2〜3年で世界を左右する巨大企業を生むこともあれば、誰にも気づかれないまま、いつのまにか消えていくことも多い。次から次へと新しいものが現れ、少し前のものは猛烈な速さで消費され、無価値なものへと追いやられていく。そんな潮流のなかでは、時代を超えて残るものを作ろうという気概も芽生えにくく、人は刹那的になりやすい。
そんな思いを抱えていた頃に観た2005年の展覧会は衝撃だった。写真という、絵画などに比べ複製が容易で、存在としては希薄になりがちなメディアを用いているのに、一点一点が、観る者を引き込む強いオーラを放っていた。
その理由のひとつは、杉本が写真という表現の本質を因数分解し、「時間」や「光」といった、より普遍的な要素を描き出す装置として用いている点にあるのだと思う。
しかし、解説文で、そうした難しい概念を読み解かなくても、まず何よりも一点一点が圧倒的に美しいからこそ、これだけ多くの人を惹きつけるのだと思う。
幽玄を漂わせる水平線や、命なきはずの蝋人形の視線が放つ圧倒的な存在感。こうした魅力は、たやすく生まれるものではない。綿密に構想され、幾度もの試行錯誤という時間に研磨されて、はじめて生まれる。
杉本作品にもうひとつ感じる魅力は、見た目は西洋的な美しさと、かっこよさをまとっているのに、その根には「もののあはれ」に通じる日本の美意識が流れており、それを、現代の数寄者らしく、解説文や展示の妙をもって、そっと差し出してみせていることだ。
近年の杉本は、写真にとどまらず、建築、能楽、古美術、茶の湯にわたる多彩なプロジェクトを手がけている。私自身、自らの遺作と位置づけて築く江之浦測候所はもちろん、ヴェルサイユやニューヨークでの展示、舞台の演出、杉本がキュレーションした古美術の展覧会まで、その仕事を折にふれて追ってきた。
その杉本博司の、写真作品を中心とする大規模回顧展が、いま東京国立近代美術館で開かれている。「杉本博司 絶滅写真」——写真作品を中心に構成される国内の美術館個展としては、森美術館「杉本博司:時間の終わり」(2005年)以来、実に21年ぶりだという。
「絶滅」とは、なんだか穏やかでない言葉だ。だが、多くの人々をなぜか惹きつける終わりゆくものへの郷愁、儚さ、美しさの表現において、杉本博司を超える人物はなかなかいない。その杉本が「絶滅」そのものを主題に掲げたとなれば、期待は高まるばかりだ。
銀塩写真の、そして人類文明の葬儀
「回顧展というのは作家が死んでからやるものだと思うんですけども、僕の場合『もうそろそろ終わりかな』と感じられて、やらせてみようというのがお国の立場だったんですね」。開会に向けての説明会で、杉本は自虐的にこういって来場者の笑いを誘った。
「絶滅写真」というタイトルには、銀塩写真の終焉というメディアのレベルと、人類文明の絶滅という大きなレベルの、二重の意味が込められているのだという。
「銀塩写真の技術のための感材はどんどん消えていきますから、フィルムそのものもいつ消えてしまうかわからない」。
その銀塩写真に代わって台頭したのがデジタル写真だが、杉本は昨今増えているAIによる画像を含むデジタル画像を「脳内風景のイラストレーター」と酷評する。
「もし(デジタル技術だけを破壊する)サイバー原爆が落とされたら、今のデジタルインフラは全て消えてしまう。記録も消え、水道も電気もコントロールできなくなり、人類は石器時代に戻ってしまう。そうなれば21世紀のデジタルの記憶はすべて消え去る」。
本展が企てているのは、デジタル技術の台頭によって事実上の終わりを告げつつある「銀塩写真」というメディアの、そしてもしかしたらデジタルという信頼に足らず儚い存在に依存し、絶滅を控えている人類の、杉本自らが喪主を務める大がかりな「葬儀」でもある。
杉本博司のデビュー作ジオラマシリーズ。今回、新作としてこの《ホモ・エレクトス》(2025)を含む数点が初披露された。左は杉本博司氏。
半世紀のキャリアを振り返る展覧会
展覧会では杉本博司の初期から現在に至る半世紀のキャリアを、銀塩写真約60点に、数点の立体作品を加えた全13シリーズで総覧する。
ほぼ年代順に沿った3章構成で、冒頭は構想から半世紀を経て、ようやく全点での展示が可能となった初期作品「ジオラマ」シリーズを含む初期三部作で、人類の意識の始まりへと遡る。第2章では、その意識が築いた「観念の形」をテーマにした作品。そして終章では、光そのものを定着させた作品群を経て、一生分の光を一枚に凝縮しようとする最新作「CAMERA MAN」へと至る。この3章構成を組んだのは、本展を担当した同館主任研究員・増田玲(ますだ・れい)だ。
杉本博司の代表作《海景》のシリーズが並ぶ部屋は本展覧会のハイライト。ベンチが置かれじっくり作品と対峙できる(サテライト会場には国立近代美術館所蔵の《海景》も展示されている)。
なんと言っても圧巻は代表作「海景」シリーズが並ぶ展示室だ。緩やかに円弧を描く一室に、水平線を揃えた7点が並ぶ。太古の人類が見たのと同じ景色を求めた末に行き着いた、上下を空と海で二分する構図。作品と対峙するベンチに腰掛けてしばらく眺めていると、館内のざわめきが遠のき、意識が、時空を超えた水平線の彼方へ吸い込まれていくような心地よさがある。
他の展示もそうだが、杉本自身が異なる形状の部屋を巧みに生かし展示そのものを作り込み、セクションの配置から照明の一点一点まで確認しており、それだけに一分の隙もない美しさに仕上がっている。
蝋人形を撮影した「肖像」シリーズは、奥行きのある一室に並ぶ。突き当たりの壁に掲げられるのは、ダイアナ妃。その視線に導かれるように、一点また一点と肖像をたどりながら、奥へ進んでいく。
以下では、各章に展示された作品をもう少し詳しく紹介しよう。
人類最初の記憶から観念化する社会への物語
第1章「時間・光・記憶」では、1970年代半ばから80年代にかけて発表された初期三部作「ジオラマ」「劇場」「海景」を通して、人類の意識の始まりと時間の推移が探求される。
最初に並ぶのはデビュー作の「ジオラマ」シリーズだが、実はこの作品シリーズは本展覧会をもってようやく完結に至った。1974年に渡米した杉本は、アメリカ自然史博物館で見た白熊の剥製を大型カメラで撮影し、生命のないものが生きて見えるという「写真の虚と実」を突いた。シリーズは動物の剥製にとどまらず、猿から人間への進化をたどる人類史の再現へと展開していく。若き日の杉本はマルクス主義やエンゲルスの『猿が人間になるについての労働の役割』、ダーウィンの『種の起源』に影響を受けた。そして労働と道具の発達が人間の脳を育み社会を作ったという唯物史観を、ジオラマによって視覚化しようとしていた。
しかし、長年どうしても撮影許可が下りない展示が2点あった。「原人がハイエナに食われている」場面など、人類の被捕食(他の動物に食べられていた)時代や新石器時代を描いたジオラマである。70年代当時の人権意識や人種差別への配慮から伏せられてきたという。杉本は「これらを加えてシリーズを完結してくれないと、私のコレクションを寄贈しない」と交渉して、現館長から撮影許可を得たという。
続く「劇場」シリーズは、映画1本分の光を使って、真っ暗な劇場を撮影するという実験から生まれた。1970年代ニューヨークの映画館で、映画が上映している間、シャッターを開けっ放しにする撮影を実験的に行った。現れたのは、映画という時間の集積が真っ白な光へと還元され、闇の中で輝くスクリーンと、その光で輪郭が描かれた劇場内装飾や客席の姿だった。目に見えない時間の経過を、物質的な痕跡として定着させた名シリーズだ。
初期三部作の最後を飾る「海景」は、人類の意識の始まりへと遡る試みだ。なぜ、意識の始まりなのか。杉本はこう考えた——古代人と現代の私たちが、まったく同じ姿で見られる景色があるとすれば、それは海のほかにない。空と海、水平線だけ。島も船も写らないその一枚は、時間を超えて人の意識をつなぐ装置だ。彼は世界中の海を探し、一枚目は1980年、カリブ海のジャマイカで撮影した。障害物のない断崖を地図で探し、日の出や月の出の方向、季節、風向きまで計算して現地に立つ。三日間雨を待ち続けた結果、水蒸気が雨へと変わる決定的瞬間をとらえた、という作品もある。
この主題の原点は、杉本自身の最初の記憶にある。五歳の頃、熱海から東京へ帰る湘南電車の窓。トンネルの合間に、海がパッ、パッと現れては消える。そのコマ落としのような光景こそ、彼の意識が芽生えた場所だった。だからこそ「海景」は、人類の記憶であると同時に、杉本自身の記憶の原点でもあるのだ。
建築家の頭の中にあるぼやっとしたイメージを像にした「建築」シリーズ(左は《バラガン邸》(2002)、右は《サンテリア・モニュメント》。(1998))
この「海景」で、意識の起源を探った杉本。第2章「観念の形」では、その意識がいかにして現代の複雑な社会や概念を構築してきたかを検証している。建築をモチーフとした「建築」、ファッションの変遷をたどる「スタイアライズド・スカルプチャー」、数式を立体化した彫刻「観念の形」。いずれも、人間の知性や想像力が生み出した「モノの形」をめぐる考察だ。
「建築」では、モダニズム建築の名作をあえて焦点をぼかして撮ることで、建築家の頭の中にあったイデアとしての建築を浮かび上がらせる。杉本に言わせれば、近代建築はコンクリートという疑似石が流行した結果であり、都市という名の巨大な「蟻塚」を作っているにすぎない。「スタイアライズド・スカルプチャー」では、身体を保護するための衣服が時代とともに装飾性を帯び、人工的な形態へと進化していった過程を探る。そして「観念の形」では、人間の脳内現象を視覚化した数学模型を通して、芸術と科学が交差する地点を形として見せている。いずれも、人類が自然から離れ、自らの観念によって世界を再構築してきた軌跡であり、同時に、その合理主義がいずれ限界を迎え絶滅へ向かうベクトルであることを、暗に示している。
数式とグラフによって表された形を彫刻にした「数理模型」と、衣服の装飾性を写真にした「スタイアライズド・スカルプチャー」のシリーズ。
「絶滅写真」--人類文明とは何だったのか
第3章は展覧会そのもののタイトルにもなっている「絶滅写真」と名付けられている。銀塩写真の終焉と人類文明の絶滅というテーマが、最も直接的に表現される空間だ。写真というメディアの起源と限界を問う作品群が並ぶ。
化石も、時間を保存する点において写真に似ているという杉本の「化石(前写真、時間記録装置)」シリーズの《P.P.T.R.D.037 棘のある三葉虫》(2008)。
ネガ写真しか作る技術がなかった時代に撮影されたタルボット家の家庭教師の像を、現代の技術で現像し《Photogenic Drawing 015》(2008)。
この第3章は、化石を写した作品「化石(前写真、時間記録装置)」シリーズで始まる。杉本は「化石と写真は同じ機能を持っている。どちらも時間を保存することができる」と指摘する。数億年前の三葉虫が石の中に閉じ込められたように、写真もまた過去の時間をフィルムに閉じ込める。銀塩写真が絶滅しようとしている今、杉本が撮った写真そのものが、未来の地層から発掘される「化石」になろうとしている。
その隣に並ぶのは、写真の始まりそのものを写した一枚だ。「フォトジェニック・ドローイング」は、19世紀の写真術の祖ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが遺した初期のネガに、杉本が向き合った作品である。カメラを使わず、感光紙の上に物を置いて光を当てると白黒の反転したネガが得られることを発見したタルボット。これが後の銀塩写真の原型となった。本シリーズでは、杉本がそのタルボットのネガの明暗を反転させ、忘れられた技術の亡霊を蘇らせている。
第3章で強い存在感を放っているのが、「肖像」シリーズだ。ロンドンのマダム・タッソー館などに立つ蝋人形を撮影したもので、冒頭で触れたダイアナ妃をはじめ、歴史上の人物たちが、まるで存命中に描かせた肖像画のような佇まいでこちらを見返す。生きていないものが、写真になった途端に生々しい実在感を帯びる——デビュー作「ジオラマ」で突いた「写真の虚と実」を、人間の顔という最も雄弁な対象で反復している。
「放電場」は、そのカメラすら介さず作られた作品群だ。もともと暗室では、フィルムに静電気の火花が走り、像を傷つけてしまう事故がしばしば起きる。杉本はこの厄介者を作品へと反転させた。人工的に高圧電流を放ち、その閃光をフィルムに直接焼きつける。レンズも被写体もなく、光そのものが枝分かれしながら、樹木や血管、あるいは稲妻のような模様を刻む。写真が「何かを写す」ものだという前提すら外し、光と銀塩がじかに出会った痕跡だけを表したシリーズだ。
蝋人形の写真だというのに、不思議と艶かしい「肖像」シリーズ。
3章終盤に並ぶ「放電場」、「Opticks」そして「陰翳礼讃」。
続く二作は、その「光」そのものと向き合う。17世紀、アイザック・ニュートンはプリズムを通して太陽光を七色に分けてみせた。杉本はその実験を再現し、分光した色の帯をポラロイドに写し取る。絵の具という物質を一切介さず、光そのものだけで描かれた純粋な色を写したのが「Opticks」だ。
一方、谷崎潤一郎の随筆に名を借りた「陰翳礼讃」では、暗闇のなか、蝋燭に火が灯り、揺らめき、やがて燃え尽きて消えるまでが一枚に収められる。片時も同じ形をとらない、炎という光の一生。谷崎が電灯以前の陰翳に日本の美を見たように、杉本もまた、闇があってこそ立ち上がる光の階調をすくい取っている。
第3章はこの後、杉本が蒐集する古美術コレクションから選んだ、絶滅の瞬間を思わせる一枚に、祈りを捧げるように自作の光学硝子五輪塔を添えた展示が続く。
そして3章の最後を飾るのが、新作「CAMERA MAN」という謎めいたメガネ型機器の彫刻展示だ。アイウェアブランドのJINSとカメラメーカーのSIGMAの協力を得て作られたというこの装置は、レンズ部分にシャッターがついている。装着してボタンを押すと、3分間はシャッターが開かず、暗闇の中で過ごすことになる。3分後にわずか1秒だけシャッターが開き、眼前の風景を目に焼きつける。このシャッター開口時間の1秒を人間の一生(約85年)とすると、人類の文明史1万5000年は約3分に相当するのだという。
つまり装着者は、文明が始まる以前の長い暗闇をくぐり抜けたのち、最後の一瞬にだけ世界を見ることを許される。人類が積み上げてきた1万5000年も、一人の一生も、宇宙の時間からすればまばたきほどの1秒にすぎない——その途方もないスケールを、顔に掛けた一台の装置が体感させる。写真とは、光と時間を定着させる装置である。その原理を半世紀かけて解体してきた杉本は、行き着いた果てで、カメラを人間の身体そのものへ畳み込んでみせた。
新作の彫刻?装置?「CAMERA MAN」はJINSやSIGMAの協力を得て作られたという。
時代の終わりを狂歌で笑う
ここまでの紹介だと、本展は終末論を突きつける重苦しい展覧会と思えるかもしれない。しかし、ここからが杉本の真骨頂だ。彼はこの絶滅という極めてシリアスな主題を、展示空間全体に散りばめた「狂歌」というユーモアで包み込んでみせる。
室町から続く「詩画軸」の伝統をなぞり、重厚な写真の一点一点に、わざわざ不真面目な本音や、世を斜めから見た一句を解説代わりに添えている。たとえば杉本は、自身の芸術活動を「人生これ暇なり。暇をいかに潰すか、これ人生の肝要なり」と言い切る。食い扶持を稼ぐ以外の時間はすべて「暇」であり、宗教も哲学も学問も、壮大な暇つぶしだという。芸術の道もまた自己陶酔の幸せな暇つぶしであり、「ここに生まれ落ちて狂い咲き、その心情を吐露するに至れり。狂歌詠み『素遁卿(すっとんきょう)』と申すなり」と、自らを戯画化しておどけてみせる。
真面目なものは和歌、不真面目なものは狂歌——そう語りながら、そこには古今和歌集の本歌取りや近世文学のパロディが高度に織り込まれており、分かるものにはより奥深い楽しみを与えてくれる。もっとも杉本は、それを一部の人だけの特権にするつもりはないようで、その歴史的・文学的文脈について「分からなかったら、だいたいAIに聞いてみればよい」と笑ってみせる。
別フロアにあるサテライト会場では杉本が作品制作に使った通称「杉本ノート」も展示されている。
杉本流:亡びの美学
軽く狂歌で笑い透かしてはいるものの、杉本作品の一点一点の裏には、緻密な計算と、膨大な調査や実験の積み重ねがある。今回の展覧会ではサテライト会場にて、そんな杉本が作品制作のために綴ったノート、「杉本ノート」も展示されている。こちらも見逃せない。
「有終の美」とは何か。展覧会を見て改めて考えさせられ、そのなかで、杉本が長年情熱を注ぎ、時には自身の遺作とも呼んできた建築、小田原文化財団「江之浦測候所」を思い出した。
杉本はかねて、この建築群を「文明が滅びた後、5000年後に発掘された際に、遺跡としていかに美しく残るか」を想定して構想したと語ってきた。エジプトのピラミッドやギリシャのパルテノン神殿を遠望するように、自らの作品がいかに美しく滅びるかを逆算する視座は、平家物語から連なる日本の「亡びの美学」に通じる。
そして今回の展覧会もまた、すべてがデジタル化され、記憶がデータとして漂白されていく現代という壮大な喜劇の、その幕引きなのだ。悲嘆にくれるでもなく、抗うでもなく、狂歌を詠み、笑いながら、消えゆくものの最期をこれ以上なく美しく設える。終わりを、祝祭に変えてしまう。それが、杉本博司という喪主のやり方だ。そして、その幕引きを美しいと感じてしまうことこそ、私たち日本人が長く育ててきた美意識にほかならない。
◆杉本博司 絶滅写真
会期:2026年6月16日(火)〜9月13日(日)
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー(東京都千代田区北の丸公園3-1)
開館時間:10:00〜17:00(金・土は20:00まで、入館は閉館30分前まで)
休館日:月曜(7月20日は開館)、7月21日
Profile
林信行 Nobuyuki Hayashi
1990年にITのジャーナリストとして国内外の媒体で記事の執筆を始める。最新トレンドの発信やIT業界を築いてきたレジェンドたちのインタビューを手掛けた。2000年代からはテクノロジーだけでは人々は豊かにならないと考えを改め、良いデザインを啓蒙すべくデザイン関連の取材、審査員などの活動を開始。2005年頃からはAIが世界にもたらす地殻変動を予見し、人の在り方を問うコンテンポラリーアートや教育の取材に加え、日本の地域や伝統文化にも関心を広げる。現在では、日本の伝統的な思想には未来の社会に向けた貴重なインスピレーションが詰まっているという信念のもと、これを世界に発信することに力を注いでいる。いくつかの企業の顧問や社外取締役に加え、金沢美術工芸大学で客員名誉教授に就いている。Nobi(ノビ)の愛称で親しまれている。
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