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2026.8.1
伝統産業の「有松鳴海絞り」から、グローバルブランド「suzusan」へ
上質なカシミヤを素材としたストールは「suzusan」の人気アイテムのひとつ。2008年、ドイツの学生寮にあった数枚の有松鳴海絞りのテキスタイルが、ブランドの出発点となった。
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400年以上前から伝わる伝統工芸「有松鳴海絞り」。時代の流れとともに衰退の道を歩んでいたこの伝統産業に、遠くドイツから一筋の光が差し込んだ。その光源は、有松鳴海絞りの技術を用い、アパレルを中心としてさまざまなアイテムを展開するブランド「suzusan」である。日本の伝統産業をベースにしてグローバルブランドへと成長し、「有松鳴海絞り」の復興にも貢献した「suzusan」の取り組みが高く評価され、この度「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞する運びとなった。有松で生まれ育ちながらも、ドイツのデユッセルドルフを本拠地としてブランドを立ち上げた村瀬弘行さんに、現在にいたる道程と、日本の伝統工芸品に対する思いをうかがった。
衰退の一途を辿っていた、伝統産業「有松鳴海絞り」
一枚の布地に浮かび上がるさまざまな柄。それは、滲んでいたり、擦れていたり、ぼやけていたりする。そして不均一。その不均一が揺らぎを生み、懐かしくも心地よい美しさを醸し出す。
国の伝統工芸品に指定されている「有松鳴海絞り」の美しさを言葉にするならば、こんな表現が相応しいだろうか。ただ残念なことに、産業としての有松鳴海絞りは衰退の一途を辿っていた。そこに新たな風を吹き込んだのが、株式会社スズサンが発信するブランド「suzusan 」である。
愛知県名古屋市の有松地域で、400年以上前から行われている絞り染めの総称、それが有松鳴海絞りだ。木綿布を糸で括(くく)る、あるいは縫ったりたたんだりした後に染料に浸すことで、その部分だけが染まることなく、生地色がそのまま柄として残る。職人が手作業で括るため、微妙な力加減の変化で染まり具合は不均一となり、個々の柄には「滲み」や「擦れ」などのグラデーションが生じる。さらに「シボ」と呼ばれる独特の凹凸が布地に現れ、浴衣にした場合は心地よい清涼感が生まれる。また、括り方や縫い方によって柄は千差万別となり、有松鳴海絞りには技法として100種類以上の柄があると言われている。
「手蜘蛛絞り」、「織り縫い絞り」、「杢目縫い絞り」など、有松鳴海絞りの柄は、100パターン以上存在する。写真は「巻き上げ絞り」と「帽子絞り」と呼ばれる模様。©SUZUSAN
このような有松鳴海絞りは江戸初期に生まれ、主に手拭として爆発的な人気を呼び、有松が東海道沿いであったことから、街道を行き来する旅人が土産物として買い求め、その名は全国に広まった。しかし、明治から大正期にかけて最盛期を迎えたものの、近代化に伴う日本人の生活様式の変化や、その独特の柄が「古臭い」とも言われ、前述するように昭和後半ころからは、衰退の一途を辿りつつあった。




上は安藤広重による「東海道五十三次」の鳴海宿の浮世絵。色とりどりの手拭が店先に掛けられている様子が克明に描かれている。下は街道筋の面影を残す、現在の有松の街並み。有松で作られた絞り染めは、江戸時代には隣の宿場町である鳴海宿で主に売られたため、「有松鳴海絞り」という名称が広まった。©SUZUSAN
「布が山のように溢れている家の中で食事をし、布に囲まれて寝る。そんな少年時代でした」
「父が模様の原型となる型を彫る工程に携わる職人でしたので、布が山のように溢れている家で食事をして寝る。幼いころからそんな生活で、朝から晩まで型を彫るコンコンという音を聞いて育ちました」
株式会社スズサンのCEO兼クリエイティブディレクターの村瀬弘行さんは、自身の幼少期をそう語る。物心ついた時から有松鳴海絞りに囲まれていた村瀬さんだが、10代後半となり世の中がバブル崩壊に見舞われていたころ、有松に忍び寄る衰退の気配も感じていた。
「僕らの世代の職人の子どもたちには、家の仕事を継ぐという発想は、僕も含めてまったくありませんでした。父も家業は自分の代で途絶えてもよい、くらいの覚悟は持っていたと思います」
「日本の美大受験に失敗して名古屋へ帰るバスの中で、ヨーロッパへ行くことを決断しました」と村瀬弘行さん。その決断がやがて「suzusan」へつながるとは、当時は知る由もなかった。
アートを学ぶために一念発起してイギリスへ、そしてドイツへ
日本の美大受験に失敗した村瀬さんは、アートを学ぶために一念発起してイギリスへ渡る。海外へ出ることに対して、父親は何も反対しなかったが、経済的な援助は受けず、1年間のアルバイト代を貯めて渡航費と学費に充てた。「何しろ当時、家計はドン底の状態でした。僕のアルバイト代まで、一部を家に渡していたくらいです」
イギリスの美術学校で学ぶも、1年間で学費が底を尽いた。ドイツのデュッセルドルフにある美術学校は学費無料。そんな情報を耳にした村瀬さんは、イギリスからドイツへ移る。学費は無料であるものの、「クンスト・アカデミー」と称されるその美術学校は、かつてヨーゼフ・ボイスやゲハルト・リヒターという錚々たる現代美術アーティストが席を置いた、ドイツ国内でも有数の美術学校だった。
「クンスト・アカデミー」の正門前で、若き日の村瀬さん。この美術学校で学んだことが、やがて「suzusan」での商品プロデュ―スに大いに役立つこととなった。©SUZUSAN
イギリスで開催したテキスタイル展示会が大好評
「お金の心配をせずに、のびのびとアートを学ぶことができる、とても面白く楽しい時期でした」
そんな村瀬さんに、父から「イギリスでテキスタイル展示会をするから手伝いに来てほしい」という依頼が入った。デュッセルドルフに住み始めて3年ほど経ったときのことだった。
「幼いころから嫌というほど見てきた有松鳴海絞り。日本で『古臭い』とまで言われた柄でしたが、異国の地で改めて接すると、とても新鮮なものに見えました。イギリスの方々にもその柄はかなり好評で、自分自身でもその好評具合には驚きました。調べてみると、染色というのは、なぜかヨーロッパでは発達せず、専ら刺繍や織り、編みが中心なのです。そんな背景もあって、有松鳴海絞りの独特の風合いが新鮮で好評を博したのかもしれません」
「ヒロユキ この素晴らしいストールは一体なんだ」
展示会を終え、余った数点のストールを、村瀬さんは当時住んでいたデュッセルドルフの学生寮へ持ち帰った。好評だったという感触はあったものの、それをビジネスにする発想はまだ芽生えていなかった。
しばらく経ったある日の夕方、学生寮のルームメイトとキッチンでビールを飲んでいたときのこと。無造作に置かれていたストールを目にしたルームメイトが言った。「ヒロユキ、この素晴らしいストールはいったい何なんだ!」
ビジネスを専攻していたそのルームメイトは、「この素晴らしいストール」を用いた事業をデュッセルドルフで立ち上げることに着手する。こうして、2008年にはドイツを本拠地とした法人と新ブランドが産声をあげた。村瀬さんがヨーロッパに渡ってから5年の歳月が流れていた。
村瀬さんの父が、100年以上続いた有松鳴海絞りの「鈴三商店」を4代目として引継ぎ、屋号を「スズサン」と改めていたことから、ブランド名は自ずと「suzusan」となった。
「suzusan」はドイツの学生寮のキッチンから始まった。世界企業「アップル」が、ガレージから始まったように。
「手で作る」「有松で作る」 最初に決めた二つの大切なこと
「手で作る。有松で作る。ブランドを立ち上げる際に、この二つのことは守ろうと決めました。手仕事によって生まれる製品は、マスマーケットには不向きですので、ラグジュアリーをターゲットにするべき、という考えも当初からありました」
ラグジュアリー層をターゲットにする方策として、従来は木綿を染めるだけだった絞り染の技術を、カシミヤやシルク、あるいはアルパカなどの高級素材に応用することに着手した。木綿とは異なり、こうした柔らかい素材に絞り染めを施すのは、至難の業だった。
「suzusan」の代表的な技法のひとつである「まだら絞り」。「日本の伝統」から離れた抽象画のようでもあり、水墨画をも思わせる。また、カシミヤに施された絞り染めが、独特の風合いを生む。
「最初のころは、失敗の連続でした。しかしさすがは400年続いた技術。試行錯誤を重ねるうちに木綿以外の素材も染めることができるようになりました」
品質の高い商品を作る目途はたったが、まったく無名ブランドの、しかもかなり高価格の商品をショップに置いてもらうにあたっては苦労の連続だった。
「小さなオンボロ車に商品を積み、ヨーロッパ中を回りました。セレクトショップやデパートなどに飛び込み営業です。1日に10軒断られたこともあります。メールを送っても返答無し、というのも日常茶飯事。車の走行距離も嵩み、最後には車体の床が抜けましたよ」
従来の有松鳴海絞りでは到底考えられなかった華やかなカラーリングと可憐な柄のドレスをはじめ、カーディガン、パンツ、プルオーバー、カットソーなど、「suzusan 」はさまざまなアイテムで展開されている。
こうした努力が実を結び、上質なニットを貴ぶ服飾文化が流れるヨーロッパで、「suzusan」ブランドは次第に一定層からの熱い支持を受け、広まっていった。「飛び込み営業」から始まった販路は、今や29か国80都市にまで広がり、扱い店舗数は120店以上となっている。また2014年には日本の「鈴三商店」も「株式会社スズサン」へと法人化された。
「クリエイティブディレクターを名乗っていますが、僕自身はファッションやテキスタイルの勉強をしたことはありません。ですので、ファッションブランドを立ち上げたつもりはなく、あくまでも有松鳴海絞りを未来へ残していくことに、企業としての存在意義を置いています。
ブランドを立ち上げた際に、有松鳴海絞りの現状を、『素材』『技法』『用途』の三つに分類し、守るべきは『技法』であり、『素材』と『用途』は柔軟に考えていくことにしました。ですので、素材は世界各地から調達しています。でも必ず有松で絞る。それを守り通しています」
柔軟な発想が生んだ、さまざまなアイテム
「用途」を柔軟にとらえる思考は、さまざまなアイテムを生み出した。ブランドの原点であるストールをはじめ、カーディガン、プルオーバー、シャツ、カットソーなど幅広く、しかもジェンダーレスであることも大きな特徴だ。展開はアパレルだけではない。照明器具、クッションカバー、テーブルウェアなどにまで及ぶ。
「用途を考えるにあたっては、ミラノやパリの街角、またヨーロッパの住宅の室内で、柄がどのように映えるかを考えました。技術は日本の伝統ですが、それが生み出す柄を日本テイストのみにこだわっていては、海外では受け入れてもらえません」
昨年は新たに「鈴三」ブランドが産声をあげた。漢字表記が物語るように和装のブランドである。有松鳴海絞りが衰退の一途をたどっていた当時、主な商品は浴衣だった。その浴衣は時として「お婆ちゃんが着るような」と揶揄された。
そうした過去の歴史もふまえながら誕生した「鈴三」は、「suzusan」で培われた新たなデザイン感覚と、400年続いた伝統の柄が融合し、まったく新たな和装の展開となっている。
上質なアルパカに絞り染めを施したクッションカバーをはじめ、インテリアやライフスタイルに特化したホームコレクションラインも展開。このラインには、ホテルや商業施設などからのオーダーも多い。
絞りの技術を応用し、防火ポリエステルに襞(ひだ)や凹凸をつけてランプシェードとした照明器具。不規則な襞や凹凸が独特の陰影を生み出す。
100種類以上存在する有松鳴海絞りの柄は、やはり大半がどこか日本的である。その一方で「suzusan」ブランドのアイテムが纏っている柄は、抽象化されモダン。そんな柄だからこそ、多くの人に受け入れられた。
その柄のベースとなるのは、有松に綿々と伝わり、幼いころから村瀬さんが目にしてきた数多くの有松絞りだ。その柄が、ヨーロッパで学んだアートというフィルターを通し、国境を越えた独創的な柄へと昇華され、アイテムに落とし込まれていく。
海外での時間が多い村瀬さんと有松の現場とのやりとりは、専らオンラインだ。村瀬さんが思いついたアイデアスケッチと、それをもとに現場で仕上がったサンプルとが、幾度となく飛び交い、やがて商品となっていく。
「絞り染めに携わりたい。そんな思いで有松にやってきました」
スズサンの現場スタッフは20名前後。うち10名以上が作り手として工房に立つ。かつては分業制だった絞りの工程が、この工房では一貫して行われている。一軒家を改装して設けられた2階建ての工房は、拍子抜けするほどコンパクトだ。けして広いとは言えないこの工房から、全世界へ「suzusan」ブランドの商品が羽ばたいているとは、なかなか信じがたい。
工房では2027年春夏として発表される新作が手がけられていた。布の上に型を置き、その上から括る場所を示す目印を刷毛で刷り込む「絵刷り」、その目印をもとに糸で括る「括り」。若い人が多い。しかし素早く鮮やかな手捌きで、絵を刷り糸を括っていくその姿は職人そのものだ。
「有松鳴海絞りの美しさ、とくにスズサンのモノづくりに携わりたいと思いここにやってきました」
スタッフの一人からは、そんな声が聞かれる。その声には、ものを作る喜びと、自身の仕事ぶりに対する誇りが漲っていた。
型の上から刷毛で目印を刷り込む「絵刷り」。かつては型紙を用いていたが、現代ではセルロイドとなった。スズサンには代々伝わる型紙が大量に保管され、それが新しい柄のヒントとなることもある。
「絵刷り」で刷り込まれた目印をもとに糸で括る「括り」の工程。手際よさが求められる一方で、括る際の力の入れ加減で、柄の滲みやぼけ具合が左右されるだけに、熟練の技術を要する。
工房で働くスタッフの面々。手作業は黙々と進められているが、いったん仕事から離れればこの笑顔。みんな若い。
日本各地の伝統工芸品産地をつなぎ成功体験情報をシェア
「経産省が指定している伝統工芸品は全国で244品目あります。そしてこれらの伝統工芸は世界から大きな注目を集めています。ところが伝統工芸の産地では、後継者不足や製品のアップデイトの遅れ、あるいは海外への発信手段がわからないなどが要因となり、かつての有松がそうだったように、衰退の道を辿っているところが大半です。日本全国に散らばっている産地をつないで成功体験情報をシェアし、どの産地にも明るい未来が訪れるようにするにはどうすればよいか。今はそんなことができたらと思っています」
「どの産地にも明るい未来が訪れるようにするにはどうすればよいか。最近はそんなことも考えています」
めざすは「from local、 to local」
そう語る村瀬さんは、「from local、 to local」という言葉を口にする。
「有松で言うならば、『フロームローカル』はある程度実現し始めているのではないかと思います。その次に着手すべきことは、『トゥローカル』。つまり有松という地に世界から人が訪れること。その手段として実は、海外からの旅行客向けに、有松を一日で巡るツアーを実施しています。古い街道の面影が残る有松の街並みを散策し、絞りのワークショップを体験する。そんなツアーが思いのほか好評で、少しづつではありますが、有松という土地に、世界からも注目が集まりつつあります。日本が誇る素晴らしい伝統工芸品を媒介として、こうした取り組みをほかの産地でも実現することができれば……。いうなれば、ローカルに複数形の「s 」がついた、フロームローカルズ・トゥローカルズです」
デュッセルドルフで立ち上げた法人を拠点に、ヨーロッパ各地はもとより、最近では北米やアジアでも「suzusan」に注目が集まり始めている。村瀬さんが海外で過ごす時間は、以前よりも増してより多くなってきた。
「僕は、有松にほとんどいない社長、と有松の人からも言われています」
村瀬さんは苦笑いする。しかし、村瀬さんの心はいつも有松を、そして日本の伝統工芸にある。
Photos by Azusa Todoroki
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旅館の矜持 THE RYOKAN COLLECTIONの世界
2026.7.28
50年の老舗に加わった和モダンのヴィラとメゾネット。
日本文化に滞在する「坐漁荘」の総支配人代理・井戸伸治氏
本館脇の庭園にて。生い茂る樹木と年月を感じさせる苔が素晴らしい。
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「ザ・リョカンコレクション」に加盟する旅館の女将や支配人を紹介する連載「旅館の矜持」。今回は静岡県の伊豆・浮山温泉郷にある「ABBA RESORTS IZU – 坐漁荘」の井戸伸治・総支配人代理兼総料理長を紹介する。
富士箱根伊豆国立公園内の手つかずの自然のただなか、瀟洒な建築が点在する伊豆高原の別荘地の一画に「ABBA RESORTS IZU – 坐漁荘」はある。約6000坪もの敷地を擁し、50年以上の歴史を連綿と紡いできた老舗旅館である。
国立公園の中に位置するだけあって、敷地内には樹木が生い茂り、緑は目映いほどだ。それはちょっとした小山のようであり、広大な庭園には清流や滝がしぶきを上げ、色とりどりの錦鯉が戯れる。濡れそぼった苔が風情を醸し出している。
以下、井戸伸治・総支配人代理に話を聞いた。
新築のファミリーメゾネットは天井が高く気持ちが良い。万葉集を意匠にした装飾がここかしこに配されている。
新オーナーが推進させたハイブリッド戦略
「本館である東館につらなる南館に、ファミリーメゾネットとヴィラを合わせて6室を増築したばかりです。それぞれの客室が『万葉集』にある柿本人麻呂の和歌や与謝蕪村の俳句をテーマにしておりまして、それらの世界観をインテリアや色彩などに織り込みました。これらの客室は7月7日から稼働しています」
新築された6つの和モダンな客室は、いずれも日本文化を体現した落ち着きのある空間となっている。
そもそも井戸総支配人代理は今から28年前に、副料理長として「坐漁荘」に入社した。当時は創業者でもある先代のオーナーが所有する旅館だった。当時から伊豆半島では頭一つ抜き出た本格的な会席料理を供する高級料理旅館として、その名を馳せていた。
大きな転機は2012年に訪れる。
「現在の外国人オーナーの手に渡りました。経営譲渡の話は2008年ぐらいから始まっていたのです。しかし、譲渡が成立する1年前の2011年3月に、東日本大震災が起きまして、当旅館も先行きは、存続すらまったく分からないような状況に陥りました。
この話は立ち消えになるかもしれないなと思っていたのですが、当初の計画通り、現オーナーは事業を引き継いでくれたのです。『旅館というのは世界の中でも日本にしかない文化なのだから、そういうものを衰退させないでやって行きましょう』というのがオーナーの気持ちでした。当時、私は料理長をしておりましたが、本当にありがたくて、感謝しかなかったですね」
もちろん、不安がないわけではなかった。
「とは言え、外国人オーナーですから、日本旅館がどのように変わって行くのだろうかという不安はありました。ところが、オーナーが最初に宣言したのは、『日本文化の継承』だったのです」
プール付きのヴィラ。周囲はまるでウブドの杜のようだ。
建物に関しては、残す部分は残し、刷新する部分もあった。
「運営方針としては、伝統的な和風旅館の良さは残しつつ、現代の顧客ニーズに対応するハイブリッド戦略を採用しました。本館の歴史的価値は最小限の改装で維持しつつ、プライベートプールの付きのヴィラや、ペット同伴可能な客室、メゾネットタイプの客室も作りました」
ヴィラ棟は16室もあり、本館から少し離れた大自然の中に点在し、とりわけプライベート感に優れている。バリ島のウブド辺りにあるヴィラを思い起こさせるものだ(他に新築されたヴィラ2棟は本館の横にある)。ヴィラに限らず、すべての部屋に温泉の露天風呂が完備している点もゲストにとっては非常に嬉しいポイントだ。
部屋付き露天風呂の類を見ない開放感。
魅力的な3つのレストラン
この宿の第一の魅力が、施設を囲む大自然であるとすれば、二番目の核となる魅力は多彩な食事にある。新オーナーは食事には大幅に手を入れた。
「食事のスタイルは従来の部屋食からレストラン食にしました。会席料理は継続して、コンテンンポラリーフレンチと鉄板焼きを導入しました。このことによって、富裕層や旅慣れたお客様、連泊するお客様が増えました」
この日のお造りはすべて地魚で、金目鯛やアオリイカ等。やはり格別に美味しい。
伊豆は食材の宝庫でもある。
「和食は50年以上にわたる会席料理の伝統を現在も継承しています。私は総料理長も兼任しておりますので、献立は私が考えています。今は旅館全体の仕事で忙殺されていますが、腕が鈍るといけないので、時々は厨房に立ったりしています。
何と言ってもありがたいのは、伊豆の食材の豊富さです。それは地産地消を基本にできるほどなのです。
まず、伊東市場や静岡県内から仕入れる新鮮な魚介類、特に金目鯛、クロムツ、伊勢海老、カサゴ、赤ハタ、アオリイカ等です。特に伊東市場は車で30分の距離ですから、そこから来た魚は鮮度が抜群です。冬季には浜名湖産の天然トラフグのプランもあります。実は浜名湖は、天然トラフグに関して、日本でもトップクラスの水揚げ量なんですよ。
それと、地元農家と連携した野菜です。少し離れても三島野菜で、ミニ大根、ニンジン、ラディッシュ、ジャガイモ、玉ねぎ、トマト、ルッコラ、原木シイタケなど、厳選して使用しています。
実は私の自宅は近くの山の中にあるので、週に2、3回は近所の農家さんから野菜を仕入れて、朝の出勤の時に私が運んだりしています(笑)」
低温調理された黒毛和牛。茄子、ミニ人参、コリンキー、シャドークイーン等々、付け合わせの野菜が主役に匹敵するほどの味だ。
晩の会席メニューには牛肉も出るが、肉はどうなのか?
「牛肉は以前は静岡のものを使っていましたが、仕入れが安定しないので、今は宮崎の黒毛和牛に落ち着いています。和食の料理人は肉焼きを教わることはないんですね。ですから、当館では低温調理をしてみたり、牛肉や合鴨の研究も熱心にやっています。
それから、フレンチで使っている地元の天城シャモは、肉質がプリプリで素晴らしいです。鹿肉も美味しいので、それを使うことに注力しようとしています」
和食、フレンチ、鉄板焼きの3つのレストランはいずれもが美味しく、評判はすこぶる上々である。2017年には、世界的な「ワールド・ブティック・アワード」の和食・洋食の料理部門で受賞もしている。
「あの時は、フレンチのシェフと私で、ロンドンの授賞式に行ってきました。
献立は、和食が2カ月に一回、フレンチは季節ごとに変えています。和食、フレンチともに、3連泊されるお客様で和食やフレンチや鉄板焼きだけを選ばれても、献立を替えて対応できます。ベジタリアンやヴィ―ガンにももちろん対応しております」
伊豆のど真ん中で、これほど食に特化した旅館も珍しい。地域との関係も深い。
「『地域と共に栄える』ことがオーナーの考え方でもあり、運営方針でもありますから、食材の仕入れ先は地元の生産者や市場が中心となります。いわば、地域経済との共存共栄を目指しております」
フレンチレストランでの朝食。地元の温野菜と自家製のトーストが驚きの美味しさだ。
厨房での優れた教育方針
「厨房の現場というのは、師匠が若手を仕込むに当たっては、『見て覚えろ』というのが慣例でした。非常に厳しいのが当たり前で、ややもすると、激しい????責や手が出ることも珍しくなかったのが料理の現場です。私は副料理長としてここに来たのですが、料理長である大将は、当時の静岡県の調理師会の会長をやっておられるような有名な方でした。その方の考えは慣例とはまったく違っていて、『僕らが若い時に受けたような指導をしちゃダメだよ』とよく言われました。『若手は宝だよ』というのが彼の考え方の根本にあったのです。
勿論、怒る時は怒るのですが、『納得のいくような怒り方をしなさいよ』と言われていました。当時としては、非常に珍しいことでしたね。その精神は今でも受け継がれていて、丁寧な指導はこの宿の伝統になっています。その結果、人材の確保も安定していますし、なにしろ、組織力が上がりますね」
調理師学校との連携も強化している最中だ。業界では、料理の修業先や就職先として、「坐漁荘なら間違いない」というのが定説になっているとのことだ。
地域随一の風格を感じさせるエントランスにて。
稀有な着物や刀剣と日本文化体験
最後に触れておきたいのは、宿の三番目の魅力についてである。それは日本文化の体験であり、触れ合いである。
「オーナーが日本文化に深い敬愛を寄せる人物であることはすべに述べましたが、それはある意味、日本人以上とも言えるほどです。彼は元々、途轍もない着物のコレクションを持ち、また、博物館レベルと評される刀剣のもの凄いコレクターだったのです。
着物は玄関を入ったすぐにところに季節ごとに展示していますし、刀剣はいつでも見学が可能な刀剣ギャラリーに陳列してあります」
着物のごく一部を紹介すると、手描き友禅の逸品である訪問着「京友禅」疋田染(ひったぞめ)鬘帯(かずらおび)、「京都西陣織」で全て手織りの袋帯、世界的に活躍した加賀友禅の巨匠・由水十久(ゆうすいとく)の訪問着などである。
刀剣の一部を紹介すれば、人間国宝天田昭次刀匠が生涯をかけた集大成といえる作品です。天田刀匠の最後を飾る精華といえる作品など、三十振り余りが所蔵されている(展示はその一部)。
「平成二十三年秋吉日 現代・新潟」
刀/刃長:39.4(一尺三寸)、反り:0.4cm 脇差/刃長:75.0cm(二尺四寸七分半)、反り:2.0cm
また、希望があれば、お茶や香り袋づくりなどの文化体験もできる。
「日本人がちょっと忘れつつある文化――刀剣であり着物であり、茶道や香道に触れられるのがこの宿の良さだと思っています」
現在の宿泊客の構成は、日本人6割、インバウンド4割。価格帯は1名8万~20万となっている。
「幾度かの増改築を経て、宿のハードウェアとしては完成に近づいたのではないかと思っています。今ある最優先課題は人材育成です。それによって、サービスの品質の段階をさらに上げて行くことです。そのためにはスタッフが意識を一つにして、常に勉強をしながら上を追い求めていくことが大事ですね」
ロビーにある囲炉裏にて。背後の庭園に広がる苔が美しい。
井戸伸治(いどしんじ)
静岡県伊東市出身。20代前半、「東京パレスホテル」内「和田倉」及び他店にて修業。1999年、「坐漁荘」副料理長として入社後、2007年、料理長。2014年、リニューアル期に総料理長に就任。2025年より総支配人代理を兼任、現在に至る。
構成/執筆:石橋俊澄
Toshizumi Ishibashi
「クレア・トラベラー」「クレア」の元編集長。現在、フリーのエディター兼ライターであり、Premium Japan編集部コントリビューティングエディターとして活動している。
photo by Toshityuki Furuya
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投稿 50年の老舗に加わった和モダンのヴィラとメゾネット。
日本文化に滞在する「坐漁荘」の総支配人代理・井戸伸治氏 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
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マリー・アントワネットが生んだ“スタイル”の魅力に迫る
2026.7.30
日本唯一の開催。横浜美術館「マリー・アントワネット・スタイル」
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2026年8月1日(土)から11月23日(月・祝)まで、横浜美術館にて展覧会「マリー・アントワネット・スタイル」が開催される。ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)が企画した世界巡回展で、横浜はその最初の巡回地であり、日本では唯一の開催となる。
(左)フランス王妃マリー・アントワネットの胸像 セーヴル磁器製作所、ルイ゠シモン・ボワゾ 1788年頃 軟質素焼磁器 40.7 x 26 x 15 cm ヴィクトリア&アルバート博物館蔵 ©Victoria and Albert Museum, London (右)フランス王妃マリー・アントワネットの胸像(背面) セーヴル磁器製作所、ルイ゠シモン・ボワゾ 1788年頃 軟質素焼磁器 40.7 x 26 x 15 cm ヴィクトリア&アルバート博物館蔵 ©Victoria and Albert Museum, London
ローブ・ア・ラングレーズ 製作地不詳 18世紀後期(1770–90年代) 絹ブロケード *袖口のレースは近年の追補 共立女子大学博物館蔵 ※展示期間:8月1日(土)~9月9日(水)
皿 マリー・アントワネットの食器セット「真珠とヤグルマギク」 セーヴル磁器製作所 1781年 軟質磁器、エナメル、金 3 x 24.2 x 24.2 cm ヴィクトリア&アルバート博物館蔵 ©Victoria and Albert Museum, London
「歴史上もっともファッショナブルな王妃」と称されるマリー・アントワネット。本展では、ドレスやジュエリー、家具、絵画、版画、写真など約200点を通して、王妃が築き上げた美意識やライフスタイルを紹介。18世紀後半の歴史的なファッションから2025年のオートクチュールまで、その影響が現代へと受け継がれてきた軌跡を、多彩な展示で紐解いていく。
通称「サザーランド・ダイヤモンド」 オリジナルのネックレス フランス製 1780年代に加工 プラチナ、ダイヤモンド、金、銀 長さ 35.8 cm、8 cm、8.1 cm ヴィクトリア&アルバート博物館蔵 ©Victoria and Albert Museum, London
マリー・アントワネット旧蔵の天然真珠とダイヤモンドの3 連ネックレス フランス製 18世紀後半 天然真珠、金、ダイヤモンド 各連の長さ: 38.5 cm、41 cm、43 cm ハイディ・ホルテン・コレクション、ウィーン Photo courtesy of Sotheby’s
マリー・アントワネットの肘かけ椅子(4点組の1点) ジャン゠バティスト゠クロード・スネ 1788年 クルミ、綿布に絹の刺繍( 近年の上張り) 97.5 x 63.5 x 63cm ヴィクトリア&アルバート博物館蔵 ©Victoria and Albert Museum, London
「首飾り事件」のネックレスの一部と伝わるダイヤモンドをはじめとする旧蔵品や、王妃ゆかりの品(約10点)のほか、小説、演劇、映画などに描かれてきた18世紀当時の品々も多数展示。また、王妃の処刑に用いられたとされるギロチンの刃や、フランス革命を紹介する展示も加わり、人物像や時代背景をより立体的に感じられる構成だ。さらに、アジア巡回に合わせて展示内容を再編成。国内に所蔵されている優品約20点も展示される。
このほか、オリジナルグッズやコラボレーショングッズも多数展開。「ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル」では、展覧会開催期間中、本展の世界をテーマにした特別コース「Petit Trianon(プチ・トリアノン) ~マリー・アントワネットの追憶~」が提供される。
ヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン)の展示風景 ©Victoria and Albert Museum, London
ブレスレットの留具 フランス製 1770年頃 ダイヤモンド、青の鉛ガラス(人工宝石)、金 各 3.9 x 3 x 1.4 cm ヴィクトリア&アルバート博物館蔵 ©Victoria and Albert Museum, London
あらゆる点で新たな様式(スタイル)を築いたマリー・アントワネット。その美意識が現代のクリエイターたちにもインスピレーションを与え続ける理由を、この貴重な機会に体感してみてはいかがだろうか。
◆マリー・アントワネット・スタイル
【会期】2026年8月1日(土)~11月23日(月・祝)
【会場】横浜美術館(神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1)
【休館日】木曜日 ※ただし8月13日、9月24日、11月19日は開館
【開館時間】10時~18時/11月21日・22日は20時まで(入場は閉館の30分前まで)
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長崎の魅力と未来戦略を鈴木史朗市長が語る
2026.7.27
長崎市長が語る ニューヨーク・タイムズ紙「2026年に行くべき52カ所」に選出した長崎の今
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2026年6月、東京・有楽町の外国特派員協会(FCCJ)で開催された講演会に、長崎市の鈴木史朗市長が登壇した。
アメリカの有力紙『ニューヨーク・タイムズ』が毎年発表する「52 Places to Go(行くべき52ヶ所)」。2026年版では、日本から長崎と沖縄が選出され、長崎は17番目に紹介された。さらに読者投票では5位に選ばれ、世界的な注目を集めている。
冒頭、鈴木市長は、「日本と世界を結ぶ玄関口として発展してきた都市として長崎ですが、長崎には世界遺産もありますし、美しい景観もあります。しかし、それだけで選ばれたとは思っていません」と語った。
「長崎には交流の歴史があり、平和への願いがあり、人々の暮らしがあります。そうした一つひとつの物語が評価されたのではないでしょうか。今の時代は、単に有名な観光地を見るだけではなく、その土地が持つ背景やストーリーに価値を感じる旅行者が増えています。長崎はそうした意味で非常に魅力的な都市だと思います」
世界から評価されたのは、観光資源の豊富さだけではない。そこに息づく歴史や文化、人々の営みを含めた「物語」そのものだと市長は選出の理由を分析した。
世界に開かれた港町が育んだ多文化共生のDNA
長崎を語るうえで欠かせないのが、出島を中心とした国際交流の歴史である。
江戸時代、日本が鎖国政策をとる中で、長崎は唯一西洋へ開かれた窓口だった。特に出島はオランダとの交易拠点として機能し、海外の人・モノ・文化・知識が流入する重要な場所となった。
その結果、長崎には日本、中国、ヨーロッパの文化が融合した独自の文化が育まれた。
「長崎では、日本、中国、オランダの文化が混ざり合い、『和・華・蘭(わからん)文化』と呼ばれる独自の文化を形成してきました。多様な価値観を受け入れてきた歴史こそが長崎の財産です」
異文化との共生は、長崎の街並みにも色濃く表れている。石畳の坂道の先に教会があり、その近くには寺院や和風建築が並ぶ。和洋中が自然に共存する風景は、日本国内でも極めて稀有なものだ。
「長崎の歴史を振り返ると、異なる文化や宗教、価値観を持つ人々が共存してきました。その経験は今の時代にも大きな意味を持っています」
さらに市長はこう続ける。
「世界では分断が課題になっていますが、長崎は交流によって発展してきた都市です。異なるものを受け入れながら共に生きるという価値観は、これからの社会にも必要ではないでしょうか」
長崎の人々に感じる穏やかさや寛容さも、こうした歴史の積み重ねの中から生まれたものなのだろう。
「日本のサンフランシスコ」と称される独特の景観
長崎の魅力は文化だけではない。
港を囲むように山々が連なり、その斜面に住宅が建ち並ぶ独特の地形は、しばしば「日本のサンフランシスコ」とも称される。
「港から山へと続く街並みは、長崎ならではの風景です。海と山が近接していることで、歩くたびに異なる景色と出会うことができます」
グラバー園から望む港の風景、稲佐山から見下ろす夜景、異国情緒漂う東山手や南山手エリアなど、長崎にはコンパクトな街の中に多彩な表情が凝縮されている。
「長崎は大都市のような規模ではありませんが、その分、人と街との距離が近い。ゆっくり歩きながら街の魅力を発見できる都市だと思います」
被爆地としての使命と平和への発信
鈴木市長は講演の中で、被爆地としての長崎の役割についても話した。
1945年8月9日、長崎は人類史上二度目となる原子爆弾の被害を受けた。
「1945年末までに約7万4千人が命を失い、市民の約3分の1が犠牲となりました。被爆者の皆さんは、その後も放射線被害や偏見と向き合いながら生きてこられました」
しかし長崎は、その悲劇を乗り越えて復興を遂げる。
被爆から間もない時期に長崎くんち(長崎の氏神様「諏訪神社」の秋季大祭)が再開され、1955年には平和祈念像が建立された。毎年8月9日には平和祈念式典が開催され、世界へ向けて平和のメッセージを発信し続けている。
また、1981年にはヨハネ・パウロ2世、2019年にはフランシスコ教皇が長崎を訪れ、信仰と平和の尊さを訴えた。
「長崎は人類最後の被爆地です。だからこそ核兵器廃絶を訴え続ける責任があります」
鈴木市長自身も核兵器不拡散条約(NPT)関連会議に合わせてニューヨークを訪れ、国際社会へメッセージを発信している。
「被爆者の高齢化が進む中で、私たちは何を次世代に残せるのかを真剣に考えなければなりません」
さらに市長はこう続ける。
「長崎が伝えたいのは悲惨な歴史だけではありません。その経験を経て、人類がどう平和を築いていくのかという未来へのメッセージです」
「数字や政策だけでは伝わらないことがあります。映像や物語には、人の心を動かす力があります。だからこそ私たちは様々な形で発信を続けています」
参加者と交流する鈴木市長。
「量より質」を追求する観光戦略
観光政策について、市長は明確なビジョンを示した。
「私たちは観光客数だけを追い求めるつもりはありません。地域の暮らしが犠牲になってしまっては意味がないからです」
京都などでオーバーツーリズムが課題となるなか、長崎はまだ十分な受け入れ余地があるという。一方で目指しているのは、単純な人数の増加ではなく、高付加価値型観光への転換だ。
「私たちが重視しているのは、一人ひとりの旅行者により深く長崎を体験していただくことです」
長崎市は欧米豪市場へのアプローチを強化している。
「欧米豪の旅行者は滞在期間が長く、地域での消費額も高い傾向があります。日帰り観光ではなく、二泊三泊、あるいはそれ以上滞在しながら文化や食を楽しんでいただきたい」
また、長崎観光を象徴する存在の一つが、世界文化遺産に登録されている端島、通称「軍艦島」だ。
かつて海底炭坑によって栄え、日本の近代化を支えた島は、現在では国内外から多くの観光客が訪れる人気スポットとなっている。
「軍艦島には、日本の近代化の光と影の両方があります。その歴史を体感できることが大きな価値だと思います」
長崎には、原爆による被害を受けた地域と、地形や気象条件によって被害を免れた地域が共存している。
「長崎は平和の尊さを実感できる街です。過去を学び、未来について考えるきっかけを与えてくれる場所でもあります」
鈴木市長は長崎の歴史から食文化、新たな食の提案まで幅広く紹介。
食文化にも息づく国際交流の歴史
長崎の魅力は食文化にも色濃く表れている。
出島を通じて伝わった砂糖文化から生まれたカステラは、長崎を代表する銘菓として知られる存在だ。
また、中国文化の影響を受けたちゃんぽんや皿うどん、和洋中が融合した卓袱料理なども長崎ならではの食文化である。
「長崎の食文化は、海外との交流の歴史そのものです。ちゃんぽんも卓袱料理も、多様な文化が交わる中で生まれました」
さらに市長は、新たな名物として「ながさき刺しゃぶ」を紹介した。
「まずは刺身として味わい、その後しゃぶしゃぶにし、最後は旨味が溶け込んだ出汁で麺を楽しむ。長崎の豊かな海の幸を存分に味わえる料理です」
長崎近海は一年を通じて豊かな漁場に恵まれている。
「長崎の海は非常に豊かで、質の高い魚介類が一年中手に入ります。食を目的に訪れていただいても十分満足していただけると思います」
旬の魚の刺身をしゃぶしゃぶにして、薬味と共にいただく「ながさき刺しゃぶ」。
旬の魚を各お店の出汁やタレでしゃぶしゃぶにすることで、刺身とは違う長崎の魚の旨みを楽しむことができる。
長崎の名産品。日本三大珍味と呼ばれる「からすみ」。長崎半島の先端部に位置する野母崎地方で捕れる鯔(ボラ)の卵で製造。「角煮まんじゅう」は中国から伝えられたトンポーロウを長崎風にアレンジ。「カステラ」は室町時代末期にポルトガル人から伝った西洋洋菓子が長崎で独自に進化。「長崎かんぼこ」はかまぼこの長崎弁。(左上から時計回り)
講演の最後に鈴木市長は、改めて長崎の未来像について語った。
「長崎は過去の歴史だけで語られる街ではありません。今も新しい魅力が生まれていますし、未来へ向けて進化し続けています」
そして最後にこう呼びかけた。
「ぜひ長崎を訪れ、この街が育んできた文化や食、そして平和への思いを体感していただきたいと思います。長崎で過ごす時間が、訪れた方にとって新たな発見や学びにつながることを願っています」
世界から注目を集める今、長崎は過去と未来を結ぶ都市として、新たなステージへ歩み始めている。そこには、観光地としてだけではない、持続可能な地域成長のモデルとしての可能性も秘められている。
Text by Yuko Taniguchi
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