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2025.11.28
「藍の海」 福本潮子 作
銀座・和光「セイコーハウスホール」では、藍染作家の福本潮子さんの作品展が開催されている。展覧会名は「福本潮子-藍の海-」。深淵な宇宙をも思わせる作品で世界的に活躍している福本さんが、今回新たに藍染に選んだ素材は、実際に使われ、やがて破棄されようとしていた漁網。合成繊維の登場で姿を消しつつある木綿という天然素材の漁網が、藍に染められアート作品として見事に蘇った。また、対馬麻のタペストリーや、蚊帳地として織られた亜麻への藍染など、作品が並ぶ会場は空気までもが藍に染められているような趣だ。
いくつもの波がゆらゆらと漂っている。漂う波の揺らぎを海中で受け止めているかのような浮遊感にも似た不思議な感覚に包まれる。波に近づくとわかる。網だ。大きいもので左右20メートルほど。小さいものだと10メートル。両端だけを天井レールに繋ぎ留めた漁網が、緩やかな曲線を描いて幾重も吊り下げられている。濃い藍から白へのグラデーションが続く網は、かつて海の中で揺蕩(たゆた)っていた記憶を秘め、静かにたたずんでいる。作品名は「藍の海」。
自重で撓(たわ)む漁網と、藍から白へのグラデーションが複雑な表情を作り出す。
藍染を用いたさまざまな表現活動を行い、「藍染美術家」として世界各地で作品を発表してきた福本潮子さんが、今回試みたのは漁網への藍染だった。
「この網の素材は木綿です。この網は実際に長く使われた後、そのまま廃棄されようとしていたもので、私が入手した際は真っ黒でした。それを洗って漂白し、藍で染めたのです。藍は天然の素材にしか染まりませんが、古く汚れていた網でも綺麗に染まります」
かつては木綿や麻を素材とする漁網が主流だったが、現在では大半がポリエステルやナイロンなどの合成繊維へと変わっている。耐久性があるうえに軽く手扱いやすいからだ。しかし、廃棄され海中に留まったこうした化学物質が海を汚染していることが、世界中で問題となっている。
「天然素材の木綿の漁網は美しい藍色に染まります。それは汚染されていない美しい海のそのもの。廃棄されようとしていた漁網が、藍に染まってこうした姿に変わりました。合成繊維で海が汚染されていく現状に、この網が何らかの波紋を投げかけることができたらと思っています」
木綿の漁網は重い。それを一定の長さに切って染めていく。それはある意味では重労働だ。染める際には漁網を持ち上げて吊るす、小さなクレーンまで使う。そうまでして、なぜ福本さんは漁網を染めたのか。それは漁網が天然素材だったからだ。
苧麻、中国の綿、亜麻……。長年にわたってさまざまな作品を発表し続けてきた福本さんは、たえず天然素材とともに歩んできた。しかし、その天然素材が次々と姿を消そうとしている。
藍に染まった天然素材の美しさに多くの人が出合うことで、こうした現状を少しでも食い止めることができるのではないか。福本さんは、そう願いながら藍と向き合い続けている。
会場に一歩足を踏み入れるとこの光景が広がる。ライティングの具合でそうは見えないが、網の一部分は濃い藍に染まっている。
会場の壁面に、縦長のタペストリーが何点か掛けられている。作品名は「対馬」。名前が物語るように、九州の離島、対馬に由来する作品だ。
「対馬の人々は大麻や麻を育て、対馬麻という独特の布を織り、労働着としていました。古い労働着をほどいて、それを縫い合わせてタペストリーとし、その一部分を藍で染めてみました。対馬は岩がちで道も狭く、村と村との交流はあまりありませんでした。だからそれぞれの村で独自の柄や風合いの織物となっています。対馬という島の風土と、そこに暮らす人びとの生活が凝縮された、そしてかつては日本のどこでも行われていた手作業の尊さを教えてくれる、素晴らしい布です」
「対馬」と名付けられたタペストリー。織り手の息遣いを感じさせる布の風合いを藍が引き立てる。いずれも100年以上前の織物。
そんな布に出合った福本さんだが、始めのうちは、藍で染める部分が多くを占めていた。やがて藍で染める箇所はほんのわずかとなり、大部分は布地のままの作品となっていった。
「さまざまなものを受け止め、それを染み込ませてきた布が持つ風合いや力強さを大切にした方がよいと思い始めたのです。藍は、この布が持つ力強さを引き立たせる役目です。楔(くさび)のように入った藍が、島の自然の厳しさや、絶海の孤島を語ってくれれば、と考えています」
柔らかく揺らいでいるかのような「藍の海」に対し、「対馬」と名付けられた壁面の作品は、峻厳すら感じさせるたたずまいで、前に立つ人に向かってくる。そのどちらもが天然素材であり、藍染の姿でもある。
滋賀県湖北の長浜で蚊帳地として織られていた布を用いた作品。亜麻を材料とするこうした蚊帳地もほぼ消滅した。
「藍は空気中の酸素と触れることによって発色します。水洗いを何度もしますから清浄な水、藍を受け止める天然繊維、天然素材そのものである藍。つまり、空気、水、天然繊維、そして藍。すべてが自然からの授かりもので、この4つがないと藍染は成り立たちません。この絶対的な自然の摂理が組み合わってどんな表情となるか、私はその表情のなかから自分の表現を引き出しているだけなのです。自分を出そうとはしていません。もちろん、こうすればこうなる、という感触を得るためのトライアルは何度も行います。でも最終的には自然にまかせる。自分が手を動かした跡のようなものは、あまり残したくありませんね」
かつて福本さんは、ひとつの作品を作るために、より完成度の高い出来具合を求め、気が付くと2万枚もの布を染めていたそうだ。そんな福本さんだからこそ、「自分を出そうとはしていない」という言葉はより重く響く。
自然の摂理が絶妙に組み合わさることによって生まれる藍染。今回、破棄されようとしていた漁網や100年以上前の対馬織を用い、新たな藍染の表現を引き出した福本さん。今度は、どのように自然の摂理を組み合わせ、どのような表現を引き出してくれるのだろうか。
会期:2025年11月27日(木) 〜 2025年12月7日(日)
時間:11:00 – 19:00 (最終日は17:00まで)
櫻井正朗 Masao Sakurai
明治38(1905)年に創刊された老舗婦人誌『婦人画報』編集部に30年以上在籍し、陶芸や漆芸など、日本の伝統工芸をはじめ、さまざまな日本文化の取材・原稿執筆を経た後、現在ではフリーランスの編集者として、「プレミアムジャパン」では未生流笹岡家元の笹岡隆甫さんや尾上流四代家元・三代目尾上菊之丞さんの記事、「星のや」滞在記などを担当する。京都には長年にわたり幾度となく足を運んできたが、日本文化方面よりも、むしろ居酒屋方面が詳しいとの噂も。
銀座・和光 「福本潮子─藍の海─」
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投稿 銀座・和光「福本潮子─藍の海─」藍染が蘇らせた、木綿の漁網 は Premium Japan に最初に表示されました。