人気記事
About&Contact
PREMIUM JAPAN » 旅
Stories
Premium X
鹿児島の「宝」を巡る旅
2026.9.24
奄美大島旅紀行 触れる・食べる・泊まる、島の文化をめぐる旅
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
鹿児島県本土と沖縄県のほぼ中間に位置する奄美群島は、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の8つの有人島からなる。今回旅した奄美大島はその中で最も大きく、面積は700平方キロメートルあまり。東京23区や琵琶湖よりも広く、南北を車で縦断するにもおよそ2時間を要する。
奄美大島は、徳之島、沖縄島北部及び西表島とともにユネスコの世界自然遺産に登録され、2026年7月には5周年を迎えた。ここでしか見られない独自の生態系が守られ、ルリカケス、アマミノクロウサギなど絶滅危惧種も暮らす貴重な自然を宿す島だ。
東シナ海と太平洋、ふたつの海と亜熱帯の森に恵まれた島には、長い歴史の中で育まれた独自の文化が、今も暮らしの中に息づいている。「触れる・食べる・泊まる」をテーマに、奄美大島を旅した。
強い日差しと深い緑。奄美大島の第一印象
奄美空港からレンタカーを走らせると、まず目に飛び込んでくるのは、強烈な太陽の光と、その下に広がるさとうきび畑の濃い緑である。光と影のコントラストが、驚くほど鮮明だ。集落が現れては途切れ、その合間に小さな入り江が姿を見せる。海はエメラルドグリーンに輝きながら、波一つ立てずおだやかだ。クルマから降りて入り江を歩いてみる。容赦なく照りつける日差しに肌を焼かれながら、木陰に入れば、ふっと救われるような涼しさに包まれた。
神に捧げた飲み物をルーツに持つ 奄美大島のソウルフード「ミキ」
レンタカーで島を巡る道すがら、地元のスーパーマーケットに立ち寄るのも旅の楽しみだ。棚を眺めているだけで、この土地ならではの食文化が見えてくる。中でも目を引いたのが、「ミキ」と呼ばれる飲み物である。米とさつまいも、砂糖を原料に発酵させた乳酸菌飲料で、奄美大島を代表するソウルフードのひとつ。島では数社ほどが製造販売しており、島の人たちはそれぞれにお気に入りがあるという。ひとつ購入して「ミキ」を飲んでみる。おかゆを思わせるとろりとした舌触りに、ほのかな甘みとかすかな酸味が重なった。
かつて奄美では「ノロ」と呼ばれる女性祭司が祭祀を司っていた。「ミキ」は、豊年祭などで神に捧げるためにつくられた口噛み酒を起源とするともいわれ、その名も「お神酒」に由来するとされる。かつては各家庭でもつくられていたそうだ。スーパーの棚にごく普通に並ぶ飲み物の中にも、島で受け継がれてきた文化が宿っている。そんな発見もまた、奄美大島を旅する面白さである。
「触れる」奄美大島の伝統産業を知る、大島紬村を訪ねて
さとうきび畑と空と海を横目に、奄美空港から車でおよそ20分。奄美を代表する伝統工芸、大島紬を訪ねて「大島紬村」へ向かった。約1万5,000坪の敷地には、ヤシやアダン、ソテツ、ヒカゲヘゴなどの亜熱帯植物が生い茂り、まるで植物園のよう。夏にはシークワーサーが実り、秋にはシャリンバイが赤い実をつける。
「ルリカケスの声がしますね。姿を見せてくれるかもしれません」。そう教えてくれたのは、大島紬村の社長で、自らも伝統工芸士である越間得晴さんだ。代々大島紬の製造に携わってきた家に生まれた越間さん。この村は父の代に、奄美の自然に触れながら大島紬を知ってもらいたいという願いからつくられたという。現在では制作工程の見学に加え、泥田での絞り染め体験も行われている。
泥と植物が生み出す、大島紬の深い黒
越間さんと庭園を歩いていくと、泥染めの作業場にたどり着く。大島紬を象徴する「泥染め」は、シャリンバイに含まれるタンニンと泥の鉄分を化学反応させ、独特の黒褐色を生み出す伝統技法である。染めて、泥につけ、洗う。これを何度も繰り返し、2〜3週間、時には1か月以上をかけて深い黒を定着させていく。
「江戸時代に始まった技法で、一説には、薩摩藩の武士から紬を隠すため泥の中に入れたところ、独特の黒に染まったことが始まりともいわれています。技法として確立されたのは、明治から大正時代です」
工房では、シャリンバイ染め、摺込捺染(すりこみなっせん)、締機(しめばた)、手織りなど、大島紬が完成するまでの工程を見ることができるのだが、その複雑さと緻密さに圧倒される。一つひとつの工程に熟練の技と時間を要し、その積み重ねによって一反の大島紬が生まれる。目の前で手仕事を見ると、その貴重さが実感として伝わってくる。
初めて泥染めの様子を見た。大島紬の独特の黒はこうして染められていたのだ。
大島紬の緻密な柄は、織りながら描いていくものではない。実は、織り始める前の糸の段階ですでに図案が仕込まれている。設計図に沿って、一本一本の糸に柄の一部分となる染め分けを施し、その絣糸(かすりいと)を経糸(たていと)と緯糸(よこいと)に使って、染め分けた位置を正確に合わせながら織っていく。つまり、一本の糸だけを見ても柄はわからない。それぞれに仕込まれた柄の一部分が、織り進めるにつれて重なり合い、やがて緻密な文様となって現れるのである。一反の大島紬の柄は、織機にかけるよりも前から、すでに無数の糸の中に分解されて存在しているのだ。
奄美大島・龍郷町発祥とされる「龍郷柄(たつごうがら)」。幾何学的な文様が印象的な、大島紬を代表する伝統柄のひとつ。ハブの背模様やソテツの葉など、島の自然をモチーフに発展してきた伝統柄である。幾何学的な文様は遠目には端正に、近くで見ると驚くほど緻密。大島紬ならではの絣の技術がよくわかる柄のひとつだ。
大島紬を、いまの暮らしへ
園内には、白を基調としたモダンなショップも併設されている。伝統的な龍郷柄から、ドット柄が印象的な白大島まで着尺が並ぶほか、アロハシャツや蝶ネクタイ、バッグ、財布など、現代の装いに取り入れやすいアイテムも揃う。反物を仕立てた際に生まれる端切れも、くるみボタンや帯留め、シュシュへ。長い時間をかけてつくられた布を、最後の一片まで生かす。伝統工芸をぐっと身近に感じさせるものが並び、あれこれ手に取っているうちに時間が過ぎていく。
「古典柄だけでなく、現代的な絵柄やオリジナルデザインも積極的に取り入れています。また、職人の手仕事が詰まった反物を一つも無駄にしない『ゼロウェイスト』の姿勢も大切にしています」と越間さん。
コロンとしたオーバル形がかわいい、大島紬の帯留め。柄も色もさまざまで悩んでしまう。
シックな大島紬の蝶ネクタイ。ハリ、ツヤのある大島紬ゆえ、装いをランクアップしてくれそう。
「食べる」奄美の食文化を次世代に手渡したい、なつかしゃ家の食卓
ビジネスや観光の拠点である名瀬は、奄美大島の中心地だ。多くの飲食店が軒を連ねる屋仁川通り(やにがわどおり)は、地元では「やんご通り」の愛称で親しまれている。その通りから少し入ったところに「なつかしゃ家」はある。店というより、田舎の親戚の家を訪ねるような一軒家の郷土料理レストラン。初めて訪れたのに、どこか懐かしさが込み上げてくる。その名の通り「なつかしゃ家」なのだ。この日も予約でいっぱいの店内を切り盛りしていたのが、女将の恵上イサ子(えがみ いさこ)さんである。
席に着くと、テーブルいっぱいに郷土料理が並んだ。鮮やかなピンク色のハンダマご飯、ピーナッツ豆腐、豚骨料理、祝い事に欠かせないもち米天ぷら。一品一品に島の知恵が詰まっている。
奄美大島のお料理の特徴は?と聞いてみた。「味の決め手は、サトウキビから作られるザラメと黒糖の巧みな使い分け。ほとんどの料理にザラメを使い、黒糖はお菓子に用いるのが奄美流。ザラメと黒糖だとやっぱりその味わいがお料理に使った時違うんです。全然コクが違うから」と恵上さんが説明してくれた。
奄美には「塩豚」の文化も根付いている。冷蔵庫のなかった時代、豚肉にたっぷりと塩をまぶして保存し、正月前に仕込んだものを翌年5月頃の田植えの時期に食べていたという。
「昔はそれぞれの家で米を作っていたので、豚肉にたっぷりと塩をして、その藁に包んで軒下に下げておくんです。それを田植えの頃に外して、煮て食べるんですよ」
肉を長く保存するための知恵でありながら、米を作る暮らしとも結びついていた塩豚。奄美の郷土料理には、島で暮らしてきた人々の生活が映し出されている。
鮮やかなピンク色が目を引くハンダマご飯。島のお料理は茶色になりがちだから、色どりのきれいなもので目も楽しんでもらいたいと恵上さんが考案した。島野菜のハンダマをお米と一緒に炊き込んで作る。
島の米作文化と強く結びついていた塩豚。
恵上さんは元中学校の教員。定年まで勤め上げ、退職したのち郷土料理の店を開くのが夢だった。3歳の時に父を亡くし、料理は母の手伝いをしながら自然と覚えた。小学校5年生になる頃には運動会に自分で手巻き寿司を作るほど。
「家は貧しかったけれど、『貧乏はしても心の貧乏はさせない』という母の口癖だった言葉が、私の生き方の根底にあります」。
そして教員時代のある出来事も「なつかしゃ家」を開く原動力になった。夏休み直前の暑い日のことだった。
「数十年前、まだ奄美大島内でも生活水準に差があった頃のことです。中学一年生を筆頭にした3人兄弟が問題行動を起こし、鹿児島の教護院に送られることになりました。名瀬港へ見送りに行った私は、『どうして親元を離れて行くの?』と彼らに尋ねたんです。すると、『先生、俺たち兄弟3人、朝昼晩のご飯が食べられたら、どこでもいいんだ』。そう答えたのです」
何十年も前のことだというのに、恵上さんは少し涙ぐんでいる。あの日の言葉は、「子どもたちに二度とあのようなひもじい思いをさせてはいけない」という使命感へと変わった。退職後、かつての教え子たちが「先生」と言って帰ってこられる館を作りたい。その思いの原点となった出来事だった。
次なる夢は「体験の館」。奄美の文化を未来へつなぐ
「おいしいよ、食べてみて。疲れも取れるから」と恵上さんが勧めてくれた「ふくらかん」。奄美大島で古くから親しまれている黒糖を使った伝統的なお菓子。農作業の合間や、お祭りの際のお茶請けとして長く愛されてきたという。やわらかい感触と黒糖の優しい甘みが、おやつにぴったりだ。恵上さんが作るふくらかんは非常に人気があり、お土産として持ち帰られることも多いそう。単なるお菓子としてだけでなく、恵上さんと人との縁をつなぐ大切な役割も果たしている。
「なつかしゃ家」を実現した恵上さんには、次なる夢がある。郷土料理を食べて「美味しかった」で終わるのではなく、自ら作り、その背景にある文化まで体験できる「館」を作ることだ。黒糖を使った蒸し菓子ふくらかんや天ぷら作りなど、誰もが参加できるクッキングクラスも思い描いている。
女将の恵上イサ子さん。厨房からお客さまのおもてなしまで大活躍。
中でも伝えていきたいのが、正月に一年の健康や繁栄を願っていただく奄美大島の伝統料理「三献(さんごん)」である。一の膳、二の膳、三の膳と順に供される儀式的な料理で、同じ三献でも、お吸い物の出汁には豚骨や魚など地域による違いがあるという。
しかし若い世代では、準備や作法を簡略化する家庭も増えている。恵上さんは伝統を絶やすまいと、奄美高校の家政科で年に一度、4時間をかけて三献料理を教えている。
「高校生たちが『こんな伝統があるんだ』と知り、家族に話して、『じゃあ来年のお正月はやってみようか』という家庭が一つでも増えてくれたらいいなと思っています」
今日は奄美の唄者、 前山真吾さんが島唄を披露してくれる賑やかな夜だ。まずは「朝花節」で座が開く。三線(三味線)を弾きながら、ファルセットと節回し、音階は、初めて聞くのになぜか郷愁を掻き立てる。心が浮き立つような「ワイド節」で店内が温まってきた。恵上さんは配膳しつつ踊りつつと、見ているこちらも笑顔に。この店には、ここが自分の帰る場所だと思わせる安心感があふれている。
「76歳にもなってね、体験施設を作りたいとか、まだ夢を追いかけているから、人から見たらアホと思われるかもしれないでしょ」
恵上さんは少々自虐的に言うけれど、それでも夢を諦めたりはしない。今度は恵上さんの教え子たちが、先生を応援してくれている。奄美の食文化を次世代へつなぐために、恵上さんの挑戦は、まだ続く。
なつかしゃ家
鹿児島県奄美市名瀬柳町11-26
0997-57-1980
完全予約制
音楽と酒造りが出合う、奄美大島 西平酒造
奄美大島を旅するなら、黒糖焼酎は欠かせない。本来、黒糖を原料とする蒸留酒は、日本の酒税法では税率の高い「スピリッツ」に分類される。戦後、米麹を使用することを条件に、奄美群島(奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島)に限り黒糖を原料とする焼酎造りが認められ、現在まで続く。黒糖焼酎は、奄美群島だけで造ることのできる、この土地ならではの酒なのである。
その黒糖焼酎に、新しい感性で向き合っている蔵がある。まもなく創業100年を迎える西平酒造だ。4代目の西平せれなさんは、東京の音楽大学へ進学後、ミュージシャンとして活躍していた経歴を持つ。現在も酒造家であると同時にミュージシャンでもある。さらに社員の半数もミュージシャン活動をしているというから面白い。
音楽と酒造り。一見異なるふたつの世界が、この蔵ではごく自然につながっている。それぞれが役割を担い、互いの感性を響かせながら黒糖焼酎をつくり上げる。そのものづくりは、バンド活動にも似ている。
創業当時からの主要ブランドは「珊瑚(さんご)」。「珊瑚」は最も古くからあり、従来はもっと力強い味わいだった。西平さんが帰郷後、女性や若者にも飲みやすいものを作りたいという蔵を刷新する機運があり、杜氏を説得して現在の味わいに改良。ラベルデザインも3年前に一新した。ポップなデザインが魅力的。
音楽で熟成する黒糖焼酎「Sonic Aging(ソニック・エイジング)」
音楽家が集まる西平酒造らしさを象徴するのが、「Sonic Aging」というユニークな試みだ。専用の音楽室に熟成樽を置き、それぞれの樽に異なるジャンルの音楽を聴かせる。選ばれたのは、ロック、レゲエ、ヒップホップ、ハウス、ラテン、そして奄美の島唄の6種類。ジャンルによって異なる周波数やリズムの振動が樽の中の原酒を揺らし、熟成や味わいにどのような変化をもたらすのかを探るプロジェクトである。
単に「音楽を聴かせた酒」として売り出したのではなく、6種類をそれぞれ商品化していること。島唄を聴いて熟成した酒、ロックを聴いて熟成した酒。それぞれを飲み比べ、香りや色、口当たり、風味の違いを自分の舌で確かめることができる。
「音楽をつくるように醸し、奏でるように発信する」を掲げる西平酒造。音楽と酒造りという自分たちが持つふたつの個性を、単なるイメージではなく、実際の酒造りにまで結びつけたのが「Sonic Aging」なのである。
ソニック・エイジング中の蔵を案内してくれる西平せれなさん。音楽を取り入れるというアイデアのキーマンとなったのは、当時スタッフだったオーストラリア出身のジョンさんだった。実際に使用しているスピーカー(ハードウェア)については、島に住んでいる知り合いのエンジニアの方に相談し、その方に製作してもらったとのこと。
黒糖焼酎を、まず島の人たちに知ってほしい
西平酒造がいま力を入れていることのひとつが、蔵見学ツアーである。当初は島外から訪れる人に黒糖焼酎を知ってもらうために始めたが、意外にも地元からの参加が多かった。とりわけ若い世代には、黒糖焼酎がどのような酒なのか、よく知らない人も少なくないという。
そこで、まずは地元の人たちに、自分たちの土地で造られている酒を知ってほしいと、見学ツアーを増やした。酒造りの現場を実際に見てもらい、さまざまな飲み方を提案することで、黒糖焼酎をより身近に感じてもらおうとしている。
西平さんの視線は、酒蔵の外にも向いている。
「ゆくゆくは地域の情報誌を作りたいんです。屋仁川のエピソードやお店の情報をアーカイブとして残し、地域の歴史や文化を伝えていくための媒体ができたらと考えています」
造り続けるだけではなく、まず知ってもらうことから始める。西平酒造の新しい試みの根底には、黒糖焼酎という奄美の文化を、島の次の世代へ手渡したいという思いがある。
「珊瑚」「加那」など西平酒造に古くからあるブランドとともに、新しい黒糖焼酎造りにもチャレンジし続ける。
西平酒造株式会社
鹿児島県奄美市名瀬小俣町11−21
蔵見学は要予約 2,500円お土産付
0997-52-0171
「泊まる」奄美の自然と文化に包まれる、ティダムーン
旅の滞在先に選んだのは、奄美空港から車で約10分、太平洋に面して建つ「ティダムーン」。目の前には青い海が広がり、その沖には「立神(たちがみ)」と呼ばれる岩が浮かぶ。奄美では古くから、海の彼方に豊穣の神々が住む「ネリヤカナヤ」があると考えられてきた。立神は、そこからやって来る神々の道標とされてきた、島の信仰と深く結びついた存在である。
ホテルの名は、奄美の方言で太陽を意味する「ティダ」と、英語の「MOON」を組み合わせたもの。太陽と月、海、そして立神。ホテルに身を置いているだけで、奄美の自然と、その奥にある島の文化を身近に感じられる。大島紬の織元がオーナーを務めるだけあって、館内には「大島紬美術館」を併設。島の食材を生かした料理も楽しめる。泊まることそのものが、奄美の文化に触れる時間になる。そんなホテルである。
太平洋と過ごす、ふたつのスイートルーム
ティダムーンには全23室の客室があり、そのうち6室がスイート。中でも太平洋に面した「衣-gin-」と「縁-en-」は、ともに66平方メートルのゆったりとした空間と、目の前に広がる海が印象的なスイートルームである。
「衣」のテーマは、その名が表すように大島紬。室内の随所に大島紬が取り入れられ、空間の中で身近に感じられるように設えられている。落ち着いた色調の室内の先には大きな窓が広がり、その向こうは太平洋。海と空が刻々と色を変えていく様子を、部屋にいながら眺めて過ごすことができる。
この部屋でひときわ目を引くのがバスルームだ。海に向かって開かれた空間にバスタブを備え、湯に浸かりながら太平洋を一望できる。朝には水平線から昇る太陽を、夜には月明かりに照らされた海を眺めながらのバスタイム。日常ではなかなか味わえない時間である。
広大な太平洋の向こうに喜界島を望む「衣-gin-」のバスルーム。
もうひとつの「縁」は、太平洋に面した角部屋。窓の向こうには喜界島、沖合には立神を望む。室内は極めてシンプルで、大きなガラス窓の先には広いテラスが続く。朝日を浴びながらヨガをしたり、椅子に腰掛けて海を眺めたり。旅先だからと予定を詰め込まず、何もしない時間を楽しみたくなる。
この部屋の特徴はミニマルなインテリア。あえてテレビは置かれていない。この部屋で見るものは、一日の中で刻々と変化し表情を変える海と空があればそれでいいのだ。ゆっくりと昇る朝日のまばゆさも、夕刻から短い時間に現れるマジックアワーも、夜には海面に月明かりが帯のように伸びる「月の道」が現れることもある。見るべきものは奄美大島の自然が全部用意してくれているのだから。
「衣」と「縁」、趣は異なるが、どちらにも共通するのは、窓いっぱいに広がる奄美の海。テラスに出て潮風にあたり、海を眺めながらバスタイムを楽しむ。あえて予定を入れず、この部屋で一日を過ごす。そのために泊まりたくなるスイートである。
心を整えてくれるミニマルなインテリア、そして海と空。心身ともに癒されていく時間がここにある。
取材時はちょうど新月の時。潮が引いている様子はまるでモンサンミッシェルのよう。バスルームから「立神(たちがみ)」と呼ばれる岩が見え、スピリチュアルな気配を感じさせる。
大島紬の美を間近に。大島紬美術館
ティダムーンを語るうえで欠かせないのが大島紬である。オーナーは大島紬の織元で、現在も大島紬を織り続けている。館内の「大島紬美術館」には、皇室に献上されたものと同柄の貴重な作品をはじめ、歴史あるものから現代的な大島紬までが一堂に並ぶ。
さらに、奄美の自然を描き続けた日本画家・田中一村の原画や、その絵を大島紬で表現した作品など、ここでしか見ることのできないものも展示されている。絵画の世界を染めと織りによって表現した大島紬は、近くで見るほど、その緻密さ、ドラマティックな色彩に驚かされる。
ティダムーンに宿泊して、大島紬美術館でさまざまな時代や表現の大島紬に触れる。織元が手がけるホテルだからこそ、滞在の中で大島紬を身近に感じられるのである。
入ってすぐ目の前に現れるのは奄美大島を愛した作家・田中一村の屏風絵。八曲一双の屏風は大迫力。奄美の植物の生命力を写す。
大島紬の織元ならではの見事な作品が並び、大島紬の魅力を堪能できる。田中一村の絵画を着物柄に織り込める唯一の織元でもあり、従来の大島紬のイメージを一新する斬新な作品も多く並ぶ。
大島紬美術館の星加麗子さんは、きもののプロ。気軽にきものの楽しさを教えてくれる。
美しい海や森、この島ならではの文化、そして人々の暮らし。奄美大島には、観光地としてつくり込まれすぎていない素朴さが、今も残っている。旅を終える頃には、その飾らない心地よさがすっかり好きになっていた。また帰ってきたい。そう思わせてくれる奄美大島の旅だった。
鹿児島の宝を巡る旅は、これからも続く。これまでの「南の宝箱 鹿児島を巡る旅」は以下から。
Photography by Azusa Todoroki(Bowpluskyoto)
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
Stories
Premium X
鹿児島の「宝」を巡る旅
Premium X
関連記事
投稿 奄美大島旅紀行 触れる・食べる・泊まる、島の文化をめぐる旅 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
Lounge
Premium Salon
京都通信
2026.9.21
京都で月を愛でる──平安から続く観月の文化と美意識
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
秋の夜、ふと見上げた空に浮かぶ月。その美しさに足を止める時間は、昔も今も変わらないのかもしれません。
京都では平安時代から、月を愛でる文化が育まれてきました。月そのものだけでなく、水面に映る姿や、移ろう表情、周囲の景色とともに月を楽しむ。そこには、日本ならではの美意識が息づいています。
今回の京都通信では、平安時代〜現代にいたる観月の風習から、月見団子に見る地域の違いまで、月をめぐる文化をたどりながら、お月見の魅力を紐解いていきたいと思います。
平安貴族が愛でた月
月を愛でる文化は、いつ頃から親しまれてきたのでしょうか。
古くから、日本人にとって月は身近な存在。月の満ち欠けを基準とした暦、月の神様への信仰、そして文学や情緒の源泉として、日本人の暮らしや文化に深く根付いてきました。
そこへ中国の観月文化が加わったのが平安時代。以来、お月見の風習が宮廷を中心に広まったといわれています。
日本人は、月の満ち欠けや月齢に合わせて、十六夜、立待月、寝待月など、美しい名前をつけて親しんできた。
広く親しまれるきっかけとなったのが、嵯峨天皇による観月の宴。現在、大覚寺の東に位置する大沢池がその舞台となりました。
嵯峨野のなだらかな山並みを借景に水をたたえるこの池は、嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の苑池として造られた日本最古の人工林泉。中国の洞庭湖を模したことから「庭湖」とも呼ばれ、唐風文化を好んだ嵯峨天皇の趣向が随所に感じられます。
中秋の名月の夜、嵯峨天皇は文化人や貴族らとともに、色鮮やかな龍頭鷁首を浮かべて詩歌を詠み、管弦を奏でながら月を愛でる——そんな風雅なひとときを過ごしたとされています。
月を映して味わう。観月の美意識
観月の楽しみは、夜空に浮かぶ月を見上げることだけではありません。
実は、お月見の風習が広まった平安時代、月をじっと見つめることは良くないことと考えられていました。
平安時代初期に書かれた『竹取物語』には、月を眺めて物思いに耽るかぐや姫が「月の顔見るは忌むこと」とたしなめられる場面があります。また、『源氏物語』宿木の巻にも、「月見るは忌みはべるものを」という表現が。
それでも、人々は月を愛でてきました。
平安貴族たちは、月を直接見るのではなく、池の水面や盃のなかのお酒に映る“逆さ月”を愛で、風流を楽しんだとされています。
静かな水面に美しい姿を映した“逆さ月”。
このように、古くから人々は、月そのものだけでなく、月がつくり出すさまざまな景色にも心を寄せてきました。
日が暮れて、空の青が少しずつ深まり、やがて月が昇る。
十五夜に近づくにつれ、満ちていく月。
雲に隠れていた月が、ふと姿を見せる、その瞬間。
情景の美を見出すだけでなく、満ち欠けする月の姿に、時の移ろいやもののあわれを感じ取っていたのではないでしょうか。
今年のお月見は、そんなことに思いを馳せながら、月を眺めるひとときをゆっくりと味わってみるのもよいかもしれません。
現代に受け継がれる月見の文化 京都で楽しむ観月会
平安時代の貴族たちが楽しんだ観月の文化は、長い年月を経た今も受け継がれています。中秋の名月の頃になると、各地で観月会が催され、月にまつわる行事を楽しむことができます。もちろん、それは京都でも。
普段は見ることのできない夜の神苑と、秋の味覚、京都の情緒を一度に楽しむ特別な一夜です。
ライトアップされた神苑の幻想的な景色とともに、名月を愛でる秋の夜。
まずは、ライトアップされた名勝庭園「平安神宮神苑」へ。昼間とは異なる趣の庭園をゆっくりと散策し、静寂に包まれた秋の夜を堪能します。ディナー会場となるのは、神苑を臨む会館。旬の味覚をふんだんに取り入れた、この夜だけの特別なコースで、実りの秋を五感で味わいます。食事の時間には、舞妓さんによる舞も披露。艶やかな装いと優美な舞を間近で鑑賞したあとは、舞妓さんとの写真撮影も可能です。
美しい月を愛でながら、京都ならではの秋の風情と、古都の伝統文化に触れる特別なひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
〈~中秋の名月を愉しむ~観月ディナー〉
開催日程:2026年9月25日(金)
公式サイト:https://www.heianjingu.com/party/afternoontea/usual/kangetsu-heian/
国の重要文化財に指定されている仁和寺の「二王門」と美しい満月。
そのほか、月にちなんだ法要や雅楽・舞楽を楽しめるものから、茶席や食事とともに付きを愛でるものまで、さまざまなイベントが。大覚寺・大沢池では毎年、3日間にわたって「観月の夕べ」が開かれます。1,000年以上の時を経てもなお、同じ場所で月を眺められることに、昔と今とが月を介してつながっているような感慨を覚えます。
こうした観月会をきっかけに、古くから続く月見の文化に触れてみるのも一興です。
月見団子に見る地域の文化
江戸時代になると、お月見の風習は庶民にも広まります。ただ月を愛でるだけでなく、秋の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈るための行事として定着。月に見立てたお団子をお供えするようになったのは、この頃からだといわれています。
関東の月見団子は、満月に見立てた丸い形。まん丸だと、死者の枕元に供える「枕団子」と同じになってしまうため、ほんの少し潰してつくる。
実は、この月見団子には地域による違いがあります。関東では、白く丸い団子を積み上げる形が一般的。一方、関西では、里芋を思わせる細長い形の団子にあんを巻いたものがよく見られます。
そのほか、静岡には「へそもち」と呼ばれる中央がくぼんだ団子を供する地域も。沖縄には細長いお餅に小豆をまぶした「フチャギ」を供える風習があります。
十五夜(中秋の名月)は「芋名月」とも呼ばれ、里芋などを供える風習とも結びついてきました。関西で見られる里芋形の月見団子も、こうした風習を背景にしたものとされています。
関西の月見団子。里芋の形を模しているという説のほか、雲がかかった月を表しているという説も。
また、名月は十五夜だけではありません。
旧暦8月15日にあたる十五夜の約ひと月後、旧暦9月13日を「十三夜」と呼びます。
十五夜が中国伝来の行事であるのに対し、十三夜は日本独自の月見の風習。
十五夜に次いで美しいとされるこの夜の月は、満月ではなく少し欠けた姿をしています。この月を名月として愛でるところに、不完全なもののなかに美を見出す、日本らしい美意識を感じさせます。
十三夜は、栗や豆が収穫できる時期であることから、「栗名月」や「豆名月」とも呼ばれ、月見団子のほか、栗や枝豆、柿、南瓜など、季節の収穫物を供えるのが習わし。
かつては十五夜と十三夜、どちらか一方の月だけを見ることを「片見月」といって、縁起が悪いとされていたそう。人々にとって、十三夜も、それほど身近なものであったことがうかがえます。
月とすすきが彩る、秋の夜。古くから日本人が親しんできたお月見の風景。
今年の中秋の名月は9月25日。でも実は、満月を迎えるのは翌々日の27日なのです。名月と満月の日付がずれることは、しばしば起こるそうですが、2日ずれることは稀。次に起こるのは2043年なのだとか。
さらに、今年は中秋の名月と金運の吉日とされる寅の日が重なる年。そんな夜に月を眺めれば、何だか良いことが起こりそうな気がしてきます。
千年以上の時を超えて、今も私たちの暮らしに残る月見の文化。少しだけ立ち止まって、月を眺めてみる。秋の京都で、そんな時間を楽しんでみてはいかがでしょう。
Text by Erina Nomura
野村枝里奈
京都在住のライター。大学卒業後、出版・広告・WEBなど多彩な媒体に携わる制作会社に勤務。2020年に独立し、現在はフリーランスとして活動している。とくに興味のある分野は、ものづくり、伝統文化、暮らし、旅など。Premium Japan 京都特派員ライターとして、編集部ブログ内「京都通信」で、京都の“今”を発信する。
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
Lounge
Premium Salon
京都通信
Premium Salon
関連記事
投稿 京都で月を愛でる──平安から続く観月の文化と美意識 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
2026.9.15
「一枚の布」から未来を切り拓く A-POC ABLE ISSEY MIYAKEへ、高まる世界からの期待
ISSEY MIYAKEの変形素材の技術「スチームストレッチ」で作られた布に蒸気を当てて変形させている様子(「TYPE-I MM project」の制作風景から)。画像提供:©︎ ISSEY MIYAKE INC.
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
A-POC ABLE ISSEY MIYAKE(以下、A-POC ABLE)は、コロナ禍の2021年に誕生したイッセイ ミヤケのブランドだ。美しい服を生み出すだけのブランドではない。伝統の素材や職人技を受け継ぐ産地、変形素材やコンピューターアルゴリズムを扱う研究者やスタートアップ、第一線のアーティストから若手クリエイターまで——分野の異なる企業や個人との協業を重ね、これまでにない服作りのあり方を次々と生み出し、日本発のデザインの発想を世界へ届けている。「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」では、同ブランドが手がけてきた数々のプロジェクトの革新性と、日本のものづくりの地平を広げてきた貢献。その両面を評価し、同賞を贈ることとした。
熱を加えると、一枚の布が自ら立ち上がる
平らな一枚の布に、高温の蒸気を当てる。すると、布が自ら折れ、ふくらみ、やがて身体を包む立体へと変形していく。まるで布そのものが、これからなるべき形を記憶していたかのようだ。これは魔法ではない。イッセイ ミヤケのブランド「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE」(以下、A-POC ABLE)が得意とするスチームストレッチという技術だ。
同ブランドは、2023年、この技術を軸に、Nature Architectsと協業し「一枚の布」が変形し立体的なジャケットやワンピースになる「TYPE-V Nature Architects project」を発表し世界的に話題となった(2025年には同技術で作ったブルゾンを製品化)。
イッセイ ミヤケが1970年代から追い続けてきた「一枚の布」の理想が、一段進化した。
下のカエデのような葉のような布がスチームストレッチの技術で1着の服へと変化する。画像提供:©︎ ISSEY MIYAKE INC.
最先端の服作りを手掛けながら、もう一方では17世紀に京都で生まれた友禅染の系譜を受け継ぐ手捺染(てなっせん)の技で現代美術家、宮島達男さんの作品を描いたブルゾンを作り、京都市京セラ美術館で展示もしている。最近ではコペンハーゲンのデザインイベントで、布とワイヤーで作った光を纏う照明を出品し大きな話題をさらった。 テクノロジー、伝統の職人技、一次産業、現代アートとA-POC ABLEの活動領域は縦横無尽だ。
産業革命後、大量生産されるようになった西洋の服作りが日本にも広まり定着したのは20世紀になってから。A-POC ABLEは、それが服作りの唯一の答えでも、最終形でもないと世界に示すように、日本各地に眠る素材、技術、アーティストの想像力を見つけ出し、それまで交わらなかった点と点を「一枚の布」という概念の上でつないで、世界に届くプロダクトに変えてきた。
新進気鋭の写真家・梅本健太さんと取り組んだプロジェクト「TYPE-VIII Kenta Umemoto project」。光と影を巧みに駆使し新たな写真表現を追求した代表作「FLŌRA」シリーズのビジュアルを大胆な構図でワンピースやジャンプスーツに熱転写プレスし再構築した。 画像提供:©︎ ISSEY MIYAKE INC.
A-POC ABLEとプロジェクトを共にすることで、協業先とイッセイ ミヤケが手を携えて世界に羽ばたいてきた。Premium Japan Awardでは、こうした前例のないチャレンジや協業したクリエイターたちと高め合う姿勢の両方を評価して、2021年に誕生したこのブランドに賞を贈ることにした。これまでの取り組みにブランドを率いるデザイナーの宮前義之さんに話を聞いた。
A-POC ABLE ISSEY MIYAKEのチームを率いるデザイナーで三宅デザイン事務所のデザインディレクターの一人である宮前義之さん。2011年より “ISSEY MIYAKE”の4代目デザイナーとしてパリコレクション発表に関わる衣服制作を手掛けていた。最近ではアップル社との協業で開発した「iPhone Pocket」で中心的役割を果たすなど八面六臂の活躍をしている。
A-POC――服づくりの工程そのものをデザインする
A-POC ABLEを理解するには、まずA-POCの話から始めなくてはならない。
A-POCは「A Piece Of Cloth」の頭文字、すなわち「一枚の布」のことだ。通常の服は、生地を選ぶところから始まり、その布をデザイナーが設計した服のパーツの形に裁断して、縫い合わせていく。これに対してA-POCでは、あらかじめコンピューターに服のパーツの形、柄、構造、例えば熱で収縮する糸をどこに使うかなどの設計図を先にプログラムしておき、コンピューター制御で布を作るところから始まる。
できあがった布にはあらかじめ服のパーツが切り取りやすい形で織り込まれているので、あとはそれを切り出して、プラモデルのように組み合わせていくことで服が作れる。
1998年、三宅一生さんが藤原大さんと共にコレクションとして発表するや、服のシルエットだけではなく、製造のプロセスそのものを変える画期的な服づくりの技術として大きなニュースとなり、その後、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やメトロポリタン美術館にも永久収蔵された。
このA-POCの登場は、当時、アパレルデザインを学び、これから服作りの仕事をしようと考えていた宮前さんにとっても衝撃的な事件だったという。
「今まで自分が学んできたことは何だったんだろう、と思うくらいショックでした。でも同時に、すごくワクワクしたんです」
1998年と言えば、インターネットの普及が始まり、アップルが最初のiMacを発表した年。コンピューターが生活へ入り始めたタイミングで、服づくりもテクノロジーとつながり、新しい時代が幕開いた。その中心にA-POCがあったと、宮前さんは振り返る。
一般の服は既成の布に型紙を当てて服のパーツを切り出して作る。これに対してA-POCでは、最初から服の各パーツの形が埋め込まれた状態の布をつくるところから始める。このため一般の服作りと比べて無駄になる布(裁断ロス)が少ない。写真の「TYPE-IX Synflux project」ではデザインラボラトリーSynfluxの「Algorithmic Couture」というAIとアルゴリズムのデジタル技術でこの裁断ロスを最小に留めている。画像提供:©︎ ISSEY MIYAKE INC.
A-POC ABLEに限らず、イッセイ ミヤケの各ブランドの服作りでは「一枚の布」を出発点に、そこからさまざまな形のアイテムに展開させるという視点を大事にしている。
「用意された生地」から始めない
3年後の2001年、イッセイ ミヤケ入社を決心した宮前さんが最初に任されたのが、このA-POCのブランドだった。
繊維産業は長い分業の連鎖で成り立ち、一般的なデザイナーは、出来上がった生地を選ぶところから仕事を始めることが多い。しかしA-POCの現場では、デザイナー自身がもっと制作工程の上流へ入り込んでいく。なぜこの糸なのか。なぜこの織り方なのか。この工程は本当に必要なのか。別の方法はないのか。工場や職人と直接対話しながら、工程を分解し、もう一度組み立て直す。宮前さんはそこで繊維の知識を徹底的に叩き込まれた。
同時に、日本のものづくりの現実も見てきた。繊維産業は縮小してきたが、各地には高度な技術を持つ職人や工場が残り、顔を合わせて試作と改善を重ねられる距離感もある。これを日本の弱さではなく、まだ活かし切れていない強さだと見るようになった、と宮前さんは語る。
2012年春夏から2019年秋冬まで、宮前はISSEY MIYAKEのデザイナーとしてパリ・コレクションブランドを率いた。半年ごとに大きなテーマを構築し、服を作り、世界に発表する。デザイナーとしてこれ以上ない濃密な経験である。一方で、続けるほどに、ある種のもどかしさも膨らんだ。本当に新しいものは、半年で生まれるのだろうか。もちろん、既存の素材や技術を編集して新しいイメージを提示することはできる。
しかし、産地の作り手と工程から見直すこと、専門領域の研究者と未知の技術を育てることには、もっと長い時間が必要だ。 三宅一生さんとも、そんな話を重ねた。イッセイ ミヤケの服作りで度々、使われてきたA-POCの技術だが、三宅さんはこの技術はまだ完成しておらず、時代が変わろうとする今だからこそ、もう一度発展させるべきだと思っていた。
こうして2020年、横尾忠則さんとのプロジェクト「TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE」が始動する。横尾さんの複雑な絵の世界を、布の上にプリントするのではなく、限られた色の糸を組み合わせて織りで表現したプロジェクトだ。印刷したのではなく、織りで表現しているため、裏地を見ると、まるで絵のネガフィルムのような不思議な表情が現れる。
できあがった服を見た横尾忠則さんも、三宅一生さんも大変満足し、宮前さんもこの体験でA-POCをもう一度発展させられる感触を得たという。こうして宮前さんは2021年、チームを作ってA-POC ABLE ISSEY MIYAKEという新しいブランドを始動させることになった。
A-POC ABLEのブランドは、横尾忠則さんと共に発表した「TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE」というプロジェクトの成功を受けて誕生した。それ以後、横尾さんとは継続的にプロジェクトを続けている。2022年に発表された第2弾では東洲斎写楽の役者絵をモチーフに意図的な版ズレを強調した作品をユーモラスで多彩なブルゾンにした。なお、黒いマネキンはMagnaRecta(マグナレクタ)と言う会社と共同開発し「130」(ワンサーティー)の名でブランド化している壊れても修復しながら使い続けられる3Dプリンター技術で作られている。画像提供:©︎ ISSEY MIYAKE INC.
「ABLE」は可能性を示す言葉。実際、ブランドの活動はファッションの領域を越え、アーティスト、素材メーカー、デザイナー、研究者、音楽家、建築家へと広がっている。
「最近は一言で何をやっているのか説明するのが難しい」と宮前は笑う。だが、軸はぶれていない。常に「一枚の布」から考えること。そして、作り手と受け手の関係を広げること。そのシンプルな原点があるからこそ、領域はいくらでも広がっていく。
TYPE-XIII Atelier Oï projectでは、スイスを拠点とするデザインスタジオatelier oï(アトリエオイ)と協業して、衣服という枠を飛び越えてスチームストレッチ素材で作った照明を開発。ミラノ、東京に続いてコペンハーゲンで展示され好評を得た(照明技術では日本を代表するポータブル照明メーカー、Ambientecが協力している) 画像提供:©︎ ISSEY MIYAKE INC.
アートが技術を要求し、技術がアートを刺激する
A-POC ABLEは、この5年間、さまざまなアーティストやクリエイターと協業をしてきた。
宮前さんは、アートは美術館の壁だけではなく、もっと日常的な場にもあるべきものだと考えている。服なら身体に最も近い場所で毎日触れられ、着ることで気分や意識も変わる。アートの力を借りて、日常の感覚を少し押し広げられるのではないか。
横尾忠則さんの後にも、現代美術家の宮島達男さん、デザイナーの狩野佑真さん、グラフィックデザイナーの小林一毅さん、写真家の西野壮平さん、写真家の梅本健太さん、グラフィックデザイナー/クリエイティブディレクターの花原正基さん、東京都現代美術館での個展で一躍有名になった現代美術家・寒川裕人 / ユージーン・スタジオさんなどさまざまなクリエイターと協業を行ってきた。
最新のプロジェクトの1つが現代美術家・松山智一さんとの「TYPE-XII Tomokazu Matsuyama project」で、2026年夏、ニューヨークでも大々的に披露され好評を得た。
このようにA-POC ABLEは、最新のテクノロジーとも協業し、アーティストとも協業する。宮前さんは、アートとテクノロジーの関係を「振り子」のようだと表現する。高い表現を目指すアーティストと向き合えば、これまでの技術では足りなくなる。もっとできないか、という要求が研究を前へ進める。逆に、新しい技術と出会えば、それまで思いつかなかった表現が見えてくる。アートだけでも、テクノロジーだけでもない。その往復運動の中に、A-POC ABLEの創造がある。
ニューヨークを拠点に世界で活躍する現代美術家・松⼭智一さんと取り組んだプロジェクト。京都の工房で鮮やかにプリントしたベース生地に、特殊な技法による三角形のパターンをプリントしました。身体の動きに応じて表情が立体的に変化する独自のテクスチャーが特徴。今年、ニューヨークにオープンしたISSEY MIYAKE / NEW YORKでもお披露目が行われ大好評を得た。画像提供:©︎ ISSEY MIYAKE INC.
アルゴリズムと職人技が、一枚の布で出会う
テクノロジー企業との協業で最も象徴的なのが、冒頭でも触れたNature Architectsとのプロジェクトだ。Nature Architectsは、東京大学での折紙工学研究の知見を発展させ、変形する素材(メタマテリアル)でもものを作る技術を開発している。
メタマテリアルで作りたいものの形を入力すると、そこから逆算して、設計図を作ってくれる。イッセイ ミヤケには特殊な糸を使って布を織り、蒸気を当てて変形させるスチームストレッチという独自のメタマテリアルの技術があったが、さまざまな立体状を折りの設計図に転換するためには、膨大な計算や折紙工学に基づいたシュミレーションが必要となり、人間の頭で考えて設計するには限界があった。
Nature Architectsによる折り紙の設計技術と出会ったことで、「一枚の布」をジャケットのような複雑な立体形状に変形させることが可能になった。この技術はミラノデザインウィークで発表されて以後、世界のデザイン雑誌やコンピューター関連の学会で紹介され、Nature Architectsの名を世界に広めた。
A-POC ABLEのチームは、ただ素材選びやテクノロジーの面白さだけを追求しているのではなく、日々、手を動かして布を織っては新しい美しい形を模索している
他にも、東京大学大学院の研究グループと富士フイルムが開発した変形するフィルム素材でアクセサリーを作るプロジェクトや、テキスタイルの廃棄を減らすアルゴリズムを持つデザインラボラトリーのSynflux(シンフラックス)とのプロジェクトなども進めている。
宮前さんは、こうした先端テクノロジーのプロジェクトを自動車レースのF1にたとえる。限界まで性能を追い込み、新しいエンジンを作るような研究。一方で、それだけでは事業は続かない。そこで磨いた技術を、街中を快適に走る乗用車のような日常のプロダクトへ還元していく必要がある。研究と商品開発。尖った実験と安定した生産。その両輪を回すことが、工場の機械を継続的に動かし、日本のものづくりを次へつなぐことにもなる。
米の籾殻が、演奏家の「特別な黒」になる
A-POC ABLEが模索し挑戦しているのは服作りの技術だけではない。
日本の一次産業と深く結びついた素材に関する取り組みも多い。宮前さんが特に熱心に取り組んでいるのが、高知県土佐市で和紙を作るメーカー、三彩と協業したプロジェクト「TYPE-Ⅶ Kouzoshi project」だ。
土佐地方で作られる楮(こうぞ)。この素材で作られた和紙は繊維が長く強靱で、世界的な文化財修復などにも使用されている希少な和紙。三彩は、この日本が誇る貴重な原料を途絶えさせないように衣服という日常的に触れるものに使ってもらうべく、この楮から糸を作り、A-POC ABLEがそれを布に起こしプロダクトを作った。
決して簡単ではない楮からの糸作りだが、三彩が専用の機械を作り、和紙らしい風合いや柔らかさ、ハリと言った特徴をどのように出すかをA-POC ABLEのチームと議論を重ねながら形にしていった。産地を“素材提供者”として捉えるのではなく、作り手と一緒に価値の見せ方までを考えるA-POC ABLEのチームの姿勢がよく現れたプロジェクトでもある。
高知県土佐市にある三和製紙グループの会社、株式会社三彩と協業で誕生した楮絲(こうぞし)を使ったストール。紙らしいハリ感をどこまで残すかなど両者で話し合いを続けながら布を作ったという。画像提供:©︎ ISSEY MIYAKE INC.
長い分業の歴史の中では、高度な技術を持つ職人でさえ、自分の仕事が最終的に何になったのかを知らないことがある。
工程のブラックボックス化は、時に新しい発想を阻む壁にもなる。だからA-POC ABLEのチームは協業者と膨大な議論を重ねる。
なぜこの布が必要なのか。どんな服を作りたいのか。完成後には展示を見てもらう。
自分の技術が最終的にどう人の身体を包み、どう評価されたのか。すると作り手からも、「次はこうしてみよう」という提案が返ってくる。イノベーションとは、新しい機械を導入することだけではない。分断された人と工程を、もう一度つなぎ直すことでもあり、A-POC ABLEは服飾業界において、これを最も真摯に行っているブランドの1つだろう。
素材に関わる取り組みでもう1つ面白いのが、ソニーグループが開発したトリポーラス(Triporous™)を使ったプロジェクトだ。
これは米の籾殻を原料とする多孔質カーボン素材で、A-POC ABLEはそれを糸に練り込み、色落ちがしにくい独特の深い黒を持つ衣服へ展開してきた。やがて、このプロジェクトが宮前さんの頭の中で、三宅一生さんから投げかけられた別の課題に重なった。
「クラシックの演奏家たちは、なぜあれほど身体を大きく動かすのに、窮屈そうな正装で演奏しているのだろう。もっと自由に動け、美しく、音楽の場にふさわしい服は作れないのか」というものだ。 これが指揮者・井上道義さんとの協業へつながり、「TYPE-I MM project」が生まれた。
トリポーラスを練り込んだ黒い生地にスチームストレッチを組み合わせ、指揮者や演奏家の身体を心地よく包みながら、正装としての端正さを保つ衣服づくりだ。プロジェクトの工程は、演奏とものづくりを重ね合わせたドキュメンタリー映像として記録された。
トリポーラス素材の深い黒が印象的なオーケストラ用スーツの「TYPE-I MM project」。指揮者の井上道義さんだけでなく、オーケストラの全楽団員の演奏中の動きなどを調査し、動きやすい服づくりを目指した。その様子はドキュメンタリー映像となって一部公開されている。画像提供:©︎ ISSEY MIYAKE INC.
小さなチームだからできる、終着点を決めないデザイン
このようにA-POC ABLEでは素材の選び方から、衣服の設計、製造工程、仕上げの工程、さらには服の目的に至るまで服作りのすべての工程を見直し、新たなチャレンジを重ねている。
最近では、そのデザインのプロセスを服作り以外にも広げ始めた。スイスのデザインスタジオatelier oïと進めた「TYPE-XIII Atelier Oï project」——「一枚の布」と「一本のワイヤー」でできた照明で、技術面では日本を代表するポータブル照明メーカーのAmbientecが協力している。スチームストレッチの布によるシェードは交換が可能で、花を生けるように光の表情を変えられる。服から始まった技術が、暮らしの空間へ広がりつつある。
取り組みは商品にとどまらない。店舗やそこで使う什器、マネキンなども環境に配慮した形でデザインをしている。特に革新的なのは修正や補修がしやすくリサイクルもしやすい3Dプリンターで作ったMagnaRecta(マグナレクタ)という会社と作ったマネキンで、3Dプリンターを使った特殊な製法で壊れてもすぐに修復ができたり、リサイクルがしやすかったりといった特徴がある。
こうした服作り以外のプロジェクトも含め、協業した各社との取り組みは、「ダイアローグ」としてA-POC ABLEのブランドのホームページで日英中の三言語で丁寧に紹介している。
宮前さんの話を聞いていると、決して本人が前へ出て強烈な作家性を押し出すタイプではないことに気がつく。彼がむしろ目を輝かせるのは、自分が知らなかった技術や、誰かの研究について話す時だ。
ものづくりの舞台裏を知ることが、物に愛着を持ってもらう上で重要と考える宮前義之さんとA-POC ABLEのチームは、最近では展覧会などに合わせてスチームストレッチを使ったワークショップを開催している。好きなスチームストレッチ素材の布に蒸気を当て変形をさせて、それを人形に纏わせるというもの。これまでにミラノ、パリ、コペンハーゲンなどで開催してきたが、老若男女問わず人気なようだ。
「知らないことを知るのは楽しい」。その素朴な好奇心が、活動を広げる最大のエンジンに見える。最初はファッションに興味のなかった研究者が、会ううちに服を着ることを楽しみ始めることもあるという。逆にA-POC ABLE側は、彼らの専門領域から世界の見方を教わる。
協業とは、互いの好奇心が感染していくプロセスのようだ。現在のA-POC ABLEは、企業の中にありながら、小さなベンチャーのようなチームで動く。判断が速く、右へ行くか左へ行くかをその場で決められる。その身軽さを宮前さんは大切にしている。
デザインミーティングでも、最初から「ジャケットを作る」「バッグを作る」とゴールを決めない。紙を折る。四角いものを畳む。形を反転させる。素材を変える。そこから「これは服になるかもしれない」「逆さにしたらバッグかもしれない」「将来は建築に使えるかもしれない」と可能性を広げていく。
好奇心旺盛な宮前義之さん。新しい技術やアートなどについての話題は目を輝かせながら熱く語る。
日本のものづくりを「過去」ではなく「未来」として見せる
海外での反応を尋ねると、宮前さんはまず三宅一生さんという存在の大きさを口にした。その土台の上で活動できることへの敬意と自覚が、言葉の端々にある。
海外の展示会ではワークショップも行う。完成品を見るだけでなく、布に触れ、変化を体験してもらうと、子どもから年配者までが集まる。デジタルで何でも見られる時代だからこそ、目の前で形が変わる実感が人の心を動かす、と言う。
宮前さんは、海外で日本のものづくりへの関心が高まっていることも感じているという。だが、それを「日本はすごい」と内向きに称揚するだけでは意味がない。重要なのは、まだ知られていない技術や人を見つけ、現代の価値へ翻訳し、実物を持って世界へ出て、直接対話することだと言う。 A-POC ABLEには近年、世界中の企業から「こんなことはできないか」との相談が届くようになったらしい。半ば『ものづくりの悩み相談室』のようだ、と宮前さんは笑う。
その言葉は、このブランドの現在地をよく表している。 A-POC ABLEは、日本の優れたものを並べるショーケースではない。古い技術と新しい技術、手仕事とアルゴリズム、アートと産業。その間の壁を低くし、「一枚の布」をコンセプトにしたプロジェクトやプロダクトに変えることで世界に発信するプラットフォームとして無視できない存在になってきている。
今回、Premium Japan Awardの受賞者として選出したのも、ファッションのブランドとして以上に、日本発の新しいものづくり文化を生み出すプラットフォームとしての可能性を評価してのことだ。
宮前義之 Yoshiyuki Miyamae
1976年東京生まれ。2001年 三宅デザイン事務所に入社し、三宅一生が率いたA-POCの企画チームに参加。その後ISSEY MIYAKEの企画チームに加わり、2011年から2019年までISSEY MIYAKEのデザイナーを務めた。2021年にスタートしたブランドA-POC ABLE ISSEY MIYAKEでは、エンジニアリングチームを率いて、A-POCの更なる研究開発に取り組む。
Photos by Hidehiro Yamada
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
PREMIUM JAPAN AWARD
関連記事
投稿 「一枚の布」から未来を切り拓く A-POC ABLE ISSEY MIYAKEへ、高まる世界からの期待 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
2026.9.6
なぜ日本の海から海藻が消えているのか。シーベジタブルが挑む海の生態系回復への道
カゴ網の中には赤い海藻、とさかのり。魚やウニによる食害から海藻を守るため、カゴの中で大切に育てている。画像提供:シーベジタブル
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
「海藻で 海も人も すこやかに」――このスローガンを掲げる合同会社「シーベジタブル」は、海藻の「研究・生産・加工・販売」を行う会社である。海藻を研究し、陸上と海面での栽培方法を確立させ、食利用に加えて、海藻の新たな活用方法を提案する。日本の海域に生息する海藻は約1500種類以上もあり、そのすべてが毒を持たず、食用になり得る。だが、肝腎の海藻が激減しているのだ。会社名の「シーベジタブル(SEA VEGETABLE)」は「海藻=海の野菜」を意味する造語である。社には、研究者から料理人まで各分野のスペシャリストが集まり、栽培はもちろん料理開発まで行っている。無限の可能性を秘めた会社のあり様が高く評価されて、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。共同代表の友廣裕一氏に話を聞いた。
海藻資源の現状と「磯焼け」の原因
海の元気を取り戻すためには、海藻が極めて重要な位置にあることはあまり知られていない。理論だけではなく、実際に海藻の栽培に着手したところに、「シーベジタブル」の唯一無二の存在意義がある。
まず、海藻をめぐる海の現状を知ることによって、そこに喫緊の課題性があることが理解できるだろう。
以下、友廣氏が話す。
「天然海藻全般について言えるのですが、例えば、ひじき、昆布、とさかのり、天草なども収穫量が激減しています。とりわけ、ひじきの国産比率は10%程度まで低下し、輸入に頼っているのが現状です。すじ青のりにしても、天然物が市場から消え、ピーク時には価格が3〜4倍に高騰するなど、資源枯渇が深刻化しています」
共同代表の蜂谷 潤さんと出会い、海藻の豊かな未来を目指してシーベジタブルを創業した、と語る友廣さん。
一つひとつの海藻を見ると、色も形もさまざま。海藻の美しさに改めて気づく。
その原因はどこにあるのだろうか。
「海藻が減少する『磯焼け』の最大の原因は、魚やウニによる食害です。特に、温暖化のために冬の海水温が下がらなくなり、海藻を食べる生物が一年中活発に活動することで、芽が生えたばかりの海藻が食べ尽くされていまい、資源が回復できなくなっています。河川からの栄養減少も特定の海藻の成長が遅くなる原因にはなりますが、圧倒的な主因はやはり食害、とりわけ魚が海藻を食べてしまうからです」
海水温の上昇も、魚やウニの活動も御しがたい。現時点で、取られている対抗策はあるのか。
「現在の主な対策はダイバーによるウニの駆除ですね。一個ずつハンマーで叩くわけですが、広大な海域全体を網羅するアプローチとしては効率や継続性に課題が残るため、局所的・限定的な施策にとどまる側面があります。一方で、特に魚の食害に対しては有効な手立てがないのが現状です。既存の対策では、限界があると言わざるを得ません」
地元の漁師と協力し、海面栽培を続けている。画像提供:シーベジタブル
技術開発、天然依存からの脱却
そこで、「シーベジタブル」が成し遂げたことが三つある。
一つ目は、未利用海域の活用と栽培技術の確立である。
「漁師さんが種苗を調達して海で生産できる状態になっている海藻は、わかめ、昆布、海苔、沖縄もずくの4種程度に限られています。その結果、4種類の海藻が育つ海域は利用されていますが、それ以外の多くの海域が未利用な状態。つまり『海の耕作放棄地』のままとなっています。
当社が着手する時に最初にやることは、これらの未利用海域に適した海藻を見つけ出すことです。種苗研究所技術を確立した30種類以上の海藻の中から、海域に適した海藻を選びます。
私どもは種苗生産から量産までの技術をゼロから開発しましたが、海面栽培の場合は漁業権が必要になるので、自社で生産した種苗を漁師さんに譲渡して育ててもらいます。生産する海藻の一部を紹介しますと、すじ青のり、あつばアオサ、はばのり、とさかのり、みりん、若ひじき、スーナ、もずく、などです」
真上にあるガラスの小鉢に入っているのがシーベジタブルの「もずく」。このもずくは、市場に多く流通している「オキナワモズク」とは異なる、 一般にはほとんど出回っていない希少品種。画像提供:シーベジタブル
二つ目に挙げられるのが、世界初となる地下海水を使用した青のりの陸上栽培技術の成功だ。
「海洋環境(栄養塩不足など)に左右されない安定した高品質生産のために、地下海水を用いた陸上栽培技術を確立しました。全国に拠点を構えて、障害のある方や高齢者と共に、通年で安定した栽培を行っています。すじ青のりや黒のりに関しては、商業レベルでの陸上量産に世界で初めて成功し、2024年には黒のり生重量10万枚相当の生産を達成したのです。
私たちの基本方針は『海で作れるものは海で、海で作れないものは陸上で』と考えていますが、陸上栽培の場合は費用も大きくなるので、事業性(成長率×単価)も加味して進めています」
種苗生産の技術開発といい、陸上や海面での量産技術といい、世界に類のないことを成し遂げている企業であることは特筆に値する。
「海藻は生態系ピラミッドの底辺を成すものです。つまり、海面での海藻栽培は、小型葉上動物を増やし、それを餌とする魚の個体数を増加させるものでもあります。生態系ピラミッドの土台を広げることは、海の豊かさを回復させることでもあるのです」
全国的に青のりの供給が危ぶまれるなか、地域や企業からの「すじ青のりを作ってほしい」という声に応える形で、2016年にシーベジタブルが創業された。かつて一大産地だった高知県・四万十川でも水温上昇により1980年代以降から収穫量が激減しており、同社は創業当初から地下海水を用いた陸上栽培に着手。独自開発した設備と生産ノウハウによって高品質なすじ青のりの安定供給を実現した。その後、2020年に四万十川の出荷量がゼロにまで落ち込むなかでも、日本のすじ青のり文化を守り続けている。画像提供:シーベジタブル
地下海水を使用した海藻の量産型の陸上栽培では、異物混入が少なく、一年を通して水温が安定。シーベジタブルでは、全国各地で風味豊かなすじ青のりやあつばアオサを育てている。画像提供:シーベジタブル
事業展開と食文化のアップデート
実は、日本人の海藻消費は激減している。1人当たりの1日の海藻消費量は、平成6年で4.2グラムだったものが令和4年には2.1グラムと、28年間で半減してしまった。
かつてはワカメの味噌汁やひじきや酢の物を食べていた日本人の食卓が、欧化してしまったためだろう。
「日本において食が多様化するなかで、変化に対応できなかったのが海藻という食材じゃないかと感じています。そこで大事になってくるのは、料理開発です。従来の酢の物や味噌汁といった用途はもちろんあるのですが、大事なのは、例えば海藻をパンや焼き菓子と組み合わせたり、乳製品・油分と相性の良いイタリアン・フレンチでの活用など、新しいレシピや食べ方の提案です」
インタビューの際に出してくれたのは、北海道のチガイソを発酵させて作ったドリンク。深みがありながら、すっきりとした味わい。横にあるのが乾燥したチガイソ。
海藻が主役の「海藻サラダ」。画像提供:シーベジタブル
若ひじきを使った、ペルーを代表する料理「セビーチェ」。画像提供:シーベジタブル
「社内の料理開発チームや社外パートナーシェフたちとともに、家庭でも実践しやすい海藻の新しい食べ方や調理法を発信しています。
と同時に社内では、海藻×発酵といった研究開発も熱心に行っています。一例を挙げれば、『青のりしょうゆ』というまったく新しい海藻発酵調味料があります。そうした商品によって市場を再活性化させて、海藻の需要と消費を促しています」
ガストロノミーとのコラボレーションも盛んだ。
例えば、2025年のミシュランガイド東京および京都・大阪のセレモニーでは、三つ星に輝く「L’Effervescence」や「菊乃井 本店」が海藻を用いた料理を披露。「noma Kyoto」では、シーベジタブルの海藻を使用したメニューを2年連続で提供した。予約が極めて困難な「Pizza 4P‘s Tokyo」では、シーベジタブルの海藻を使用した2種類のメニューを常時出している。
これらは世界や日本のトップレストランだが、いずれも食材に対して極めて高い意識を持つシェフたちの店だ。
シーベジタブルの製品。「すじ青のり原藻(10g)」¥1,620、「とさかのり(22g)」¥810、「若ひじき(30g)」¥810
シーベジタブルが創業当時から主に生産している「すじ青のり」は、青のりの中で最も香り高く、最高級品種と言われる海藻です。画像提供:シーベジタブル
タンパク質を多く含む青のりを大豆の代わりに使用して発酵させた調味料。原料は、青のり、米麹、塩、水のみで、麹の甘い旨みと青のりの香りのバランスが調和した「青のりしょうゆ(200ml)」¥2,500。画像提供:シーベジタブル
多様なチャネルとの共創
外部企業との連携も盛んに行っている。
「百貨店関係ですと、2024年の9~10月ですが、伊勢丹新宿店と日本橋三越本店において、特別イベント『EAT & MEAT SEA VEGETABLE』を開催しました。それは全ジャンル横断の海藻フェアで、様々な店舗と弊社がコラボレーションしまして、約175商品が並びました。甘いお菓子との組み合わせからお酒がすすむ総菜まで、海藻の新たな食体験と言うべきものでしたね。今年10月から来年の春にかけて、複数の百貨店、デベロッパー、飲食事業者、料理人らと共に海藻フェアやイベントを仕掛ける予定です。
コンビニならセブン-イレブンとの協働では、『セブンプレミアム』で3商品『すじ青のり天ぷらうどん』『塩焼きそば』『豆腐とたまごのスープ』で、いずれもすじ青のりが主役の商品です。
ほかにも「SEA VEGETABLE Co Creation Project」というプロジェクト創出を目指したプログラムを実施しており、パナソニック株式会社、株式会社テレビ東京、東京建物株式会社、株式会社みずほフィナンシャルグループなどの企業に参画していただいています」
海藻の可能性は食用品だけではない。そこをしっかりと捉えているところが、「シーベジタブル」の会社としての凄みなのだろう。
「海藻の用途は、食品だけではありません。飼料、肥料、バイオプラスチック、繊維、化粧品など、多くの用途に応用の可能性があります。例えば、東京・八重洲の常設拠点では海藻を主役にした飲食店『シーベジスタンド』を運営していますが、空間の壁や照明に海藻を使用しています」
2026年3月、東京・八重洲にシーベジタブル初となる常設飲食店「シーベジスタンド」をオープンした。海藻を味わう「海藻ラーメン」や海藻料理、さまざまな酒を提供。
「この展開に関して世界銀行は、2023年の報告書の中で、海藻の食品用途以外として、バイオスティミュラント(農業資材)、動物飼料、栄養補助食品、代替タンパク質といった10の新市場を特定しています。
世界の海藻の生産量は、2002年から2023年の間に約3倍に増加しました。世界銀行の同報告書では、2030年までに市場規模が最大118億ドル(約1.7兆円)に成長すると予測されています」
まさに、会社の未来には無限の可能性と成長が約束されたようなものだ。
共同代表の蜂谷 潤さん(左)。蜂谷さんは、海藻の種苗研究から、陸上・海面での栽培方法の確立まで、研究・生産部門を担当している。画像提供:シーベジタブル
今後の課題と展望
今後の課題はどこにあるのか。
「世界では海藻は成長産業と位置づけられていて、すごく盛り上がっています。現時点では海藻の利用において日本が世界の最先端にいるのですが、生産量も消費量も減っていて、食文化も衰退傾向です。気づいたらまた海外から逆輸入されるなんてことになりかねないので、オールジャパンで海藻産業を進化させて、世界に広げていくような立場を目指したいですね」
消費者の意識改革も必要だろう。
1階のシーベジスタンド、2階の料理人の視点で海藻を研究開発しているSEAVEGE- Kitchen Labには海藻を使ったシャンデリアがある。写真は2階の海藻シャンデリア。
「レストランに加えて、百貨店やコンビニを通して、海藻の多様な使い方は徐々に消費者の中に浸透し始めているとは思います。課題は魅力的なメニューを開発して、従来の和食だけではない海藻の使い方を広めていくことです。
海藻がカラダに良いことは、日本人のほとんどが知っている事実だと思うのです。さらに一歩進めて、『食べれば食べるほど海の環境が良くなる』という共通認識ができて、そうした好循環が実現できることを期待しています」
シーベジスタンド
SEAVEGE- Kitchen Lab
東京都中央区八重洲1-5-11
Photos by Hidehiro Yamada
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
PREMIUM JAPAN AWARD
関連記事
投稿 なぜ日本の海から海藻が消えているのか。シーベジタブルが挑む海の生態系回復への道 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
Features
秋の軽井沢で愛犬と楽しむ生演奏&体験企画
2026.9.11
「あさま空山望 presents 愛犬と楽しむ紅葉コンサート」を2日間限定開催
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
北軽井沢のヴィラリゾート「あさま空山望(くうざんぼう)」では、愛犬家のヴァイオリニスト・荒井桃子さんらによる「あさま空山望 presents 愛犬と楽しむ紅葉コンサート」を、2026年10月17日(土)、18日(日)の2日間限定で開催する。
4回目を迎える今年のコンサートでは、クラシックの名曲「子犬のワルツ」やハロウィンにちなんだ楽曲など、多彩なジャンルの音楽を演奏。さらに、撮影会やドッグマッサージ、ドッグヨガなど、音楽とともに、愛犬との心地よいひとときを過ごせる特別な2日間となる。
17日・18日開催の「森のハロウィン愛犬撮影会」は、秋色の花やパンプキンを飾ったハロウィン仕様の特別な撮影ブースが用意され、プロのフォトグラファーによる撮影で、愛犬との思い出を写真に残すことができる。
17日開催の「森の北欧ドッグマッサージ体験」は、北欧のアニマルケアマッサージをもとに開発されたドッグマッサージ。わんちゃんの骨格や筋肉に配慮し、手技のみのやさしい力で、血行促進や緊張の緩和、健康維持をサポートする。
このほか、「森のドッグヨガ体験」や「森のノーズワーク体験」、「森のミニマルシェ・ドッグラン一般開放」など、わんちゃんと楽しめるさまざまな体験イベントを実施する。
あなたも秋の軽井沢で愛犬との癒しのひとときを楽しんでみてはいかが。
◆あさま空山望 presents 愛犬と楽しむ紅葉コンサート
【開催日時】①2026年10月17日(土) 夕方公演 16:00開場 (16:30 開演)
②2026年10月18日(日) 昼公演 11:00開場 (11:30 開演)
【会場】あさま空山望内レストラン「天空柁(ダ)イニング」テラス
【予約方法】専用リンクより事前予約
※体験コンテンツなど詳細は専用予約リンクを要確認
関連リンク
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
関連記事
投稿 「あさま空山望 presents 愛犬と楽しむ紅葉コンサート」を2日間限定開催 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
Features
長野のおいしい情報を発信
2026.9.30
松本市のライフスタイル・ストア「LABORATORIO」がリニューアルオープン
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
長野県松本市のライフスタイル・ストア「LABORATORIO(ラボラトリオ)」がリニューアルオープン。1933年に建てられた歴史ある元薬局の建物を改装し、これまで市内の数カ所で展開していた店舗を集約して、新たに営業をスタートした。
1階の「MARKT(マルクト)」は、“食のクラフト”をコンセプトに、県内各地からセレクトした安心で美味しい食材やお酒、器や雑貨を扱うショップ。ポップアップイベントも随時開催していく。
2階の「LABORATORIO CAFE」では、創業以来人気のイングリッシュ・マフィンやスープなどの軽食、スペシャリティ・コーヒー、紅茶、信州のハーブティやジュース、スイーツを提供。パンやスイーツは、すべて店内のオーブンで毎日焼き上げる自家製のものだ。
また、今回のリニューアルに合わせ、同じ2階のフロアに新しく「IFUJI Matsumoto」もオープン。松本と穂高にある工房で作られた新しい木工製品がいち早く店頭に並べられる。
あなたも松本でゆったりと心地良い空間を楽しんでみてはいかが。
◆LABORATORIO(ラボラトリオ)
【住所】長野県松本市大手1-3-29 JR松本駅より徒歩8分
【定休日】火曜日、水曜日(秋以降は火曜日のみの予定)年末年始
【営業時間】1階10:00 – 18:00 2階カフェ11:00 – 18:00
2階IFUJI12:00~17:00
※詳細は公式サイトを要確認
関連リンク
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
関連記事
投稿 松本市のライフスタイル・ストア「LABORATORIO」がリニューアルオープン は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
Lounge
Premium Salon
編集部&PJフレンズのブログ
2026.9.3
「青森屋 by 星野リゾート」で体感する、祭りの熱狂と温泉の静けさ。 青森を体感する旅
「みちのく祭りや」のショーの様子。
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
夜の街を、巨大なねぶたが進んでいく。
闇のなかに鮮やかな色彩が浮かび上がり、勇壮な表情をたたえた人形ねぶたが近づいてくる。「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声に囃子の音が重なり、その後ろでは跳人(はねと)たちが力いっぱい跳ね踊る。
青森ねぶた祭を実際に目にして、まず感じたのは、「祭りを見る」という言葉では収まりきらないほどのエネルギーだった。
青森ねぶた祭は、毎年8月2日から7日に開催される。今回は、まさに祭りの真っただ中に青森を訪れる機会を得た。新幹線も飛行機もほぼ満席。全国から多くの人がこの祭りを目指してやって来ることを、青森へ向かう道中から実感した。
そんな旅の拠点となったのが、青森県三沢市にある「青森屋 by 星野リゾート」だ。
「のれそれ(青森の方言で“目一杯”の意味)青森~ひとものがたり~」をコンセプトに、祭りや方言、温泉、食、工芸など、青森の文化を滞在しながら体験できる温泉宿である。
かつて名馬の産地として知られた青森。公園を巡る馬車が毎朝運行している(予約制)。
22万坪の雄大な敷地を歩き、青森の景色を堪能する
東京から「青森屋 by 星野リゾート」へは、東北新幹線で八戸方面へ向かい、青い森鉄道に乗り換えて三沢駅へ。飛行機なら羽田空港から三沢空港へ向かい、空港から送迎バスで約20分だ。
奥に見えるのが「青森屋 by 星野リゾート」の宿泊棟。敷地内には大きな池がある。
到着してまず驚かされるのが、そのスケールである。
敷地面積は約22万坪。緑豊かな敷地の中央には大きな池があり、その近くには馬やポニーがいる牧場まである。館内だけで過ごすホテルというより、自然に囲まれた大きな公園のなかに泊まるような感覚に近い。
宿泊棟は本館・西館・東館の3棟、客室は全236室。温泉に入って終わりではなく、広い敷地や館内を歩きながら、さまざまな青森文化に出会える仕掛けがいくつも用意されている。
その中心となるのが、本館1階の「じゃわめぐ広場」だ。「じゃわめぐ」とは、青森の方言で「心が騒ぐ、ワクワクする」という意味。
エレベーターを降りると目の前に「五所川原立佞<wbr />武多『かぐや』」が現れ、さっそく心がじゃわめぎ始める。
ほかにも「ヨッテマレ酒場」や「じゃわめぐ売店」「うるほひ横丁」などがあり、まるで昔ながらの祭りの縁日に迷い込んだような賑わいだ。食事をしたり、買い物をしたり、写真を撮ったり、一杯飲んだり・・・それぞれの楽しみ方ができる空間になっている。
ホテル内には多くの方言が使われた場所があり、またスタッフの方々の方言で話すのが聞こえてくる。青森の文化である方言を敢えてお客様に触れてもらう、これもおもてなしになっているのだ。
じゃわめぐ広場と西館をつなぐ通路は、季節によってしつらえが変わる。
私が訪れた夏には、約300個の金魚ねぷたが彩る「しがっこ金魚まつり」や「金魚ねぷた灯籠回廊」などが登場。9月から11月には、約300個のりんご灯籠が並ぶ「りんご灯篭回廊」へと姿を変える。
思わず足を止め、写真に収めたくなる。季節を変えてまた訪れたくなるのも、青森屋の楽しさのひとつだ。
「金魚ねぷた灯籠回廊」の様子。
季節によってワークショップが開催されている。
わずか一室。「ねぶたの世界」に泊まる特別な客室
次に気になるのは、やはり客室だ。
青森屋には、わずか一室だけの特別室「青森ねぶたの間」がある。写真では見たことがあったが、今回は特別に室内を見学させてもらった。
主室にある、幅約3.2m、高さ約1.4mの天境立体ねぶた「東北の雄 阿弖流為(アテルイ)」。北方の守護神・毘沙門天(びしゃもんてん)の加護を得て、鬼神を従え奮闘する勇姿が表現されている。
中央にあるのは、主室のねぶた障子「津軽海峡 義経飛龍」。青森県や岩手県の一部では、源義経が奥州平泉の地より生き延び、<wbr />きたを目指したと古くから伝えられており、義経が荒れ狂う津軽海峡を渡ろうとする場面である。
扉を開けた瞬間、思わず「これはすごい」と声が出る。
玄関で迎えてくれるのは、高さ約2メートルの「田村麿と妙見宮の鬼面」。さらに主室へ進むと、「東北の雄 阿弖流為」を表現した立体ねぶたが圧倒的な存在感を放っている。
第7代ねぶた名人・竹浪比呂央氏の協力によって制作された造形は、単なる客室装飾というより、部屋全体がひとつの作品のようだ。
しかも、その仕掛けは目立つ場所だけにとどまらない。
洗面台や浴室の桶など、何気なく使う場所にもねぶたのモチーフが潜み、インターホンからは「ラッセラー、ラッセラー」という祭りの掛け声まで聞こえてくる。
どこを見ても、ねぶた、ねぶた、ねぶた。
わずか一室だけに予約のハードルは高そうだが、この圧倒的な迫力に包まれて過ごす一夜は、忘れられない思い出になるに違いない。
これだけ賑やかな空間で、果たしてぐっすり眠れるのだろうか。そんなことまで少し気になってしまう。
寝室の天井にあるねぶた絵は、見る位置によって表情が変わる。主室から寝室を望むと、義経の勇壮な顔が立体的に浮かび上がって見える。
2026年誕生。「ほっこりんご和室」に見る、もうひとつの青森
2026年にリニューアルして誕生したのが、りんごをモチーフにした「ほっこりんご和室」である。
りんごのアーチやクッションなど、まず目に飛び込んでくるのは、思わず写真に収めたくなる愛らしいデザインだ。
けれど、この部屋の魅力は、「青森といえば、りんご」という分かりやすさだけではない。
たとえば、室内に置かれたりんごのオブジェには、豪雪によって折れてしまったりんごの木が使われている。また、木片や皮などを漉き込んだ「りんご和紙」も室内に取り入れられている。
雪国でりんごを育てること。豪雪とともに暮らすこと。そして、本来なら捨てられてしまう木を、新たな形で生かしていくこと。
そうした土地ならではの自然環境やりんご産業の背景を知ると、愛らしい客室の見え方も少し変わってくる。
2026年8月に宿泊がスタートした「ほっこりんご和室」は、全35室。
各部屋に置かれている、りんごの木から生まれた「ほっこりんご」のオブジェ。
ベッドボードには、りんごの木から生まれた和紙で作られた、りんごの花の壁掛け。
青森文化との出会いは、客室だけではない。
館内を歩いていると、「BUNACO」や「津軽金山焼」といった青森の工芸が、ごく自然に目に入ってくる。展示品として並べられているのではなく、照明や器、インテリアとして実際の空間に溶け込んでいるのだ。
「あ、この照明も青森のものだったんだ」。
そんな小さな発見をきっかけに、土地の工芸へ興味を広げていくのも、旅の楽しみ方のひとつだ。
忘れられない、しっとりとした湯の心地よさ
青森屋を訪れたら、時間を取ってゆっくり楽しみたいのが、自家源泉の温泉だ。
内湯は天井や壁、浴槽に青森ヒバがふんだんに使われ、足を踏み入れた瞬間から清々しい木の香りに包まれる。
泉質はアルカリ性単純温泉。湯に身体を沈めると、肌を包み込むようなやわらかな感触があり、湯上がりにも、しっとりとした心地よさが残る。
青森ヒバをふんだんに使った、木の香り豊かな内湯。
水の上に浮かんでいるかのような「浮湯」。
露天風呂には「浮湯」という名がつけられている。その名の通り、まるで池の上に浮かびながら湯に浸かっているような開放感がある。
冬(12月〜2月)には、ねぶたの山車と、ゲストが願い事を書いた小灯籠が浮湯の周りの池に浮かび、この時期にしか見られない幻想的な景色が広がる。その光景を想像しただけで、今度は雪の季節に訪れてみたくなる。
原稿を書いている今も、あのやわらかな湯の感触を思い出すと、もう一度浸かりたいという気持ちが湧いてくる。
それほど、印象に残る温泉だった。
青森には、朝早くから湯に入る文化もあるという。
前夜の賑やかさが嘘のように静かな朝。やわらかな朝の光のなかで入る温泉には、夜とはまた違う心地よさがある。宿泊するなら、ぜひ朝風呂も楽しみたい。ホテルから歩いて10分ほどのところには、宿泊者以外も利用できる「元湯」がある。時間に余裕があれば、温泉のはしごをしてみるのもいい。
青森の朝風呂文化を体験できる「元湯」。
伝統工芸品「津軽びいどろ」の職人の協力によって作られたオリジナルガラス。
祭りの熱気をサウナで味わう「青森ねぶたサウナ」
もうひとつ見逃せないのが、「青森ねぶたサウナ」である。
青森ヒバを使用した香り豊かなサウナ室。その正面に設えられているのは、第7代ねぶた名人・竹浪比呂央氏が主宰する「竹浪比呂央ねぶた研究所」が制作した、「龍王」を題材とするねぶただ。
サウナのなかにまでねぶたがあることに、まず驚かされる。
さらに室内には祭囃子が流れ、その盛り上がりに合わせてオートロウリュが行われる。
熱気に包まれながら、目の前には迫力あるねぶた。
静かに“ととのう”サウナとはひと味違う、青森屋ならではの高揚感がある。サウナ室の前には、地下水を汲み上げた水風呂も用意されている。
祭りの熱気をサウナで表現してしまうあたりも、なんとも粋である。
サウナ室正面のねぶたは、青森ねぶた祭でもよく用いられる「龍王」。水や雨を司る神として知られている。
サウナストーンは、ねぶたの武者や青森の夏の風物詩「金魚ねぷた」をモチーフにしている。
サウナ室の目の前には、地下水を汲み上げた水風呂がある。
湯上がりのお楽しみは、蛇口から注ぐりんごジュース
温泉から上がったあとも、ここだけの青森体験は続く。
じゃわめぐ広場にあるのが、りんごの木に設えられた「りんごジュースが出る蛇口」だ。蛇口をひねると、4種類のりんごをブレンドした冷たいりんごジュースが注がれる。
「蛇口からジュースが出てきたら」。
そんな子どもの頃の夢をそのまま形にしたような演出に、大人でもちょっと嬉しくなってしまう。
温泉で火照った身体に、冷たいりんごジュース。
こんな何気ないひとときにも、青森らしさがしっかりと詰まっている。
無料で楽しめる「りんごジュースが出る蛇口」。提供時間:8時〜12時/15時〜20時
夜は「みちのく祭りや」へ。青森四大祭りの熱気を体感
夜になったら、「みちのく祭りや」へ出かけてほしい。
ここでは、五所川原立佞武多、弘前ねぷたまつり、八戸三社大祭、青森ねぶた祭という、青森を代表する4つの祭りを題材にしたオリジナルショーが繰り広げられる。
会場には6名のねぶた師が手掛けた作品が並び、映像や照明、囃子とともに祭りの世界を体感できる。座席は予約制なので、滞在が決まったら早めに予定へ組み込んでおきたい。
そして驚かされたのが、舞台に立つ演者が、日中は調理や客室など、それぞれの仕事を担う青森屋のスタッフだということ。
普段の仕事をしながら練習を重ね、夜になると演者として舞台に立つ。
だからこそ、単なるエンターテインメントとは少し違う熱量を感じるのかもしれない。
聞けば、青森出身のスタッフも多く、自分たちの土地の文化を、自分たち自身で伝えていきたいという思いがあるそうだ。
館内で聞こえてくる方言も含め、青森屋ではスタッフ自身が青森文化の伝え手になっている。
ショーの最後には観客も参加し、会場全体がひとつになって盛り上がる。
青森の祭りを実際に訪れることができない季節でも、その熱気の一端を感じられるはずだ。
※2027年4月より、16時30分〜17時30分に公演時間が変更になる。
毎日21時〜22時に開催される「みちのく祭りや」は宿泊者向けで、全席完全予約制。
青森屋のオリジナルショー「青森四大祭りショー」。
弘前ねぷたまつり「筆とねぶた」。
会場入り口にある、ねぶた師・立田龍宝(たつたりゅうほう)氏がデザインを担当した8枚の木製ねぶたの切り絵。
本物の青森ねぶた祭へ。宿で知った文化がつながる瞬間
今回の滞在では、「青森屋 by 星野リゾート」が用意する「青森ねぶた祭観覧バスツアー」に参加し、祭りの会場へ向かった。
到着すると、沿道にはすでに多くの人が座り、祭りのスタートを今か今かと待ちわびている。
やがて遠くから、夜の闇に浮かび上がる巨大な人形ねぶたが見えてきた。
近づくにつれ、細部まで描き込まれた鮮やかな色彩や、立体的な身体の動きがはっきりと見えてくる。
「ラッセラー、ラッセラー」。
掛け声と囃子が響き、跳人たちが跳ねる。
その熱気に押されるように、沿道の観客からも「ラッセラー、ラッセラー」と声が上がる。
映像で見ていた祭りからは想像できなかったほどの迫力と一体感だ。
私自身、青森ねぶた祭を体験するのは今回が初めてだった。
これほどまでに会場全体がひとつになり、人の心を高揚させる祭りがあるのか。
久しぶりに夏祭りの熱気に身を置いたことで、どこか忘れていた日本の夏の記憶まで呼び起こされたような気がした。
人生で一度は見てほしい祭りだ、と言い切りたくなる。
そして、祭りを終えてホテルへ戻ったとき、館内にあるねぶたの意匠も、「ねぶたの間」も、サウナの「龍王」も、「みちのく祭りや」で感じたスタッフの熱気も。本物の祭りを知ったあとでは、それまでとは少し違って見えるのだ。
宿で文化に触れ、本物の祭りへ出かけ、再び宿へ戻る。
ホテルの空間も、ねぶた祭体験も全てが一つにつながり、青森という場所を丸ごと体験したような気持ちにすらなった。
朝食は、青森屋 by 星野リゾートの「のれそれ食堂」でいただく。朝夕ともにブッフェスタイルで、豊富な海産物が並び、思わず笑みがこぼれる。帆立ラーメンに、刺身をのせたごはん、新鮮な野菜の蒸し物など、朝から食欲が止まらない。
「のれそれ食堂」に入ると、左右に飲食スペースが広がっている。
新鮮な海産物が並ぶ。
目の前で調理してくれる帆立ラーメン。
ホテルをチェックアウトしたあとは、元湯であの素晴らしい湯をもう一度楽しみ、帰途に着いた。
東京へ戻ってからも、青森で見た景色や祭りの音、温泉の心地よさは鮮明に残っている。
そして気づけば、次は青森のどこを旅しようかと考えている。
「奥入瀬渓流ホテル by 星野リゾート」で森と渓流の静けさに身を置くのもいい。「界 津軽」に滞在しながら、また違う青森の文化に触れる旅もしてみたい。
一度の旅が、次の青森への旅につながっていく。
「青森屋 by 星野リゾート」は、青森を楽しむ目的地であると同時に、もっとこの土地を知りたくなる入口でもあった。
青森屋 by 星野リゾート
青森県三沢市字古間木山56
Profile
谷口優子 Yuko Taniguchi
女性誌で長年、インテリアや旅、ライフスタイルをテーマに企画・編集・執筆を行う。人やものづくりの背景にある物語を伝えることを大切にしている。
関連リンク
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
Lounge
Premium Salon
編集部&PJフレンズのブログ
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
2026.9.12
見えない美に光を当て、「彼方」へ 「A Lighthouse called Kanata」が世界に築いた、日本美術の航路
イタリア産トラバーチンの壁面と、作品に合わせて光量や色温度を調整する特注照明が印象的な1階メインギャラリー。一般的なホワイトキューブとは異なる荘厳な空間が、作品の素材感と陰影を際立たせる。画像提供:A Lighthouse called Kanata
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
顧客も所属作家もいなかった創業直後、ロンドンの国際アートフェア「COLLECT 2008」にわずか8平方メートルのブースで初出展し、作品を完売。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)が3作品を購入した。2013年からは世界屈指のアートフェア、TEFAF Maastrichtへの出展を重ね、現在ではArt Basel HKやFrieze Seoulなどのアートフェアに加え、メトロポリタン美術館(The Met)やV&A、龍美術館をはじめ、世界の一流美術館やトップコレクターへ日本の作家を紹介している。青山にあるギャラリー「A Lighthouse called Kanata」は、日本のアートシーンでは、まだそれほど話題にのぼることがないが、海外で確かな実績のあるアートギャラリーだ。
その活動を貫くのは、日本に眠る優れた作家と作品の魅力を、自らの審美眼で選び、質の高い英語の文章と展示によって世界へ正確に伝える仕事だ。彫刻家の安田侃などアーティストから寄せられる信頼も厚い。Premium Japan Awardは、日本の美を世界の評価へつないできた同ギャラリーと、それを率いる青山和平の功績に光を当てたいと考え、第1回アワードを贈ることとした。
2025年に移転したばかりの表参道のギャラリーで、青山和平に話を聞いた。
世界の美術館が訪ねてくる「灯台」
表参道近くの静かな通りに佇むA Lighthouse called Kanata。日本の優れた作品を見出しその魅力を世界のトップ美術館やコレクターに伝えることで、日本のアートシーンの未来を明るく照らそうとしている。画像提供:A Lighthouse called Kanata
異色の経歴を持つギャラリスト「A Lighthouse called Kanata」代表の青山和平。米英で教育を受け、確かな審美眼と堪能な英語力を用い、まだ光を浴びていない日本のアート作品を世界に紹介し続けてきたことで、今では海外の有名美術館やトップブランドから厚い信望を得ている。
東京・表参道。まい泉通りから少し入った場所に、地上3階と屋上テラスからなるA Lighthouse called Kanataの新しい拠点が立つ。3フロア構成で床面積は約720平方メートルと広い。
「言葉、宗教、国境、人種を超えて、一見して人の心を打つものこそ、本当に優れたものだと思います。その感覚を生み出す演出として、このギャラリーをつくりました」と青山は言う。
建物に入ってもすぐにギャラリーは現れない。入り口の先には茶室のにじり口を思わせる長い通路があり、突き当たりを曲がった扉の先にやっとギャラリーが姿を現す。一般的なホワイトキューブ(白壁)のギャラリーではなく、壁は重厚な石灰岩。その荘厳さに圧倒される。使われているのはイタリア産のトラバーチン。光が細かな凹凸に触れ、作品の輪郭と影を静かに浮かび上がらせる。
実は青山には、空間について忘れられない原体験があるという。若い頃、夜の大聖堂に足を踏み入れると、静寂に包まれた空間で、一つの作品だけが月明かりに照らされていたという。
「宗教心の有無にかかわらず、誰もがその美しさに感動したと思います」このギャラリーでも、そんな荘厳さを感じて欲しかったという。
2階には招待制のセカンドギャラリーに加え、VIP用のプライベートビューイングルームやバーが用意されている。客がソファに腰かけ、セラーから運ばれてきたワインを楽しんでいると、目の前の引き扉が開いて、おすすめの作品1点だけが現れる。作品との対峙が終わると、一度、扉が閉まり、次の作品の登場とともに再び扉が開く。作品と人が一対一で出会うための、小さな儀式--上質を知る世界のトップバイヤーやトップコレクターを微笑ませる、こうした仕掛けが、青山が本当に世界のトップ層を相手に仕事をしていることを伺わせる。
ギャラリーでは見る人の目線を想像し、展示台の高さはもちろん、作品同士の間合い、光の光量や色温度まで調整する。青山にとって作品の展示とは、完成した作品を並べる最終工程ではなく、作品が持つ力を最大限引き出す創造行為だという。
今ではこのギャラリーを目指して、海外の美術館がツアーを組む。シンシナティ美術館やヒューストン美術館のトラスティーが来廊し、メトロポリタン美術館は金沢の老舗料亭から料理人を迎えて晩餐会を開く。そして世界のトップファッションブランドのプライベートイベントも行われているという。
VIPルームのバーカウンター。正面には彫刻家・安田侃の《天秘》を配し、カウンターにはアイルランドの作家ジョセフ・ウォルシュによる流麗な木製椅子が並ぶ。作品と家具、もてなしが一体となったKanataの美意識を感じさせる。
2階には開催中の個展とは別に同ギャラリーが扱う主力作家の作品が並べられた予約制のセカンドギャラリーが用意されている。
顧客も作家もゼロ。8平方メートルからV&Aへ
青山は1979年、東京生まれ。1歳から9歳までを海外で過ごしたが、高校時代、横浜美術館で見たターナー展に衝撃を受けた。ニューヨークでの大学時代にはジャクソン・ポロックの《Autumn Rhythm: Number 30, 1950》に圧倒された。人生の節目ごとに、進む方向を変えるようなアート作品と出会ってきたという。
だが、大学で選んだのは美術ではなく法律だった。ニューヨーク大学を卒業後、オックスフォード大学大学院へ進学。法律を学んだのは、弁護士を目指したからではなく「法律的な頭の使い方」に興味があったから。実は小説家や政治家になることも考えていたという。
転機は、長く疎遠だった父からの連絡だった。父は南青山で陶磁器や器を扱う小さな店、酉福(ゆうふく)ギャラリーを営んでいた。大学院修了後の一年間、静岡県三島市にあった姉妹会社で陶磁器の仕事を学びながら、小説を書いてみないかと誘われた。
「いざ行ってみたら、全く文章が書けなかった。もう全然、筆が進まないんです。ただ、不思議と焼き物、陶磁器の世界には入り込んでしまって、素晴らしい世界だと思いました」
父の商売の方法と、自分の考えには隔たりがあった。修業後はいったん外資系企業へ就職し、世界各地を飛び回る。そこで妻と出会い、結婚を機に独立した。会社員として指示通りに動くより、自分の信じる価値を形にする道を選んだ。
実は海外生活と欧米の美術館巡りを通して、青山は大きな疑問を抱き始めていたという。
「これほど豊かな日本の美術文化が、なぜ世界でほとんど知られていないのか。2000年前後には、杉本博司や草間彌生でさえ、現在ほど大きく紹介されていませんでした。」
青山には確信があった。
「客観的に見ても、日本の美術文化は世界に冠たるものです。全く引けを取っていない、むしろ勝っているんじゃないかと思うものがたくさんある。それなのに、紹介されていなかった。だったら、そこで自分にしかできない仕事は何だろうと考えたんです」
2007年、結婚祝いのご祝儀を元手に東空アートを設立した。登記も自分で行った。人脈も資金もなく、顧客も作家もゼロ。それでも「日本の美術文化を世界へ紹介する」という一点だけは決まっていた。
ほどなく、英国のヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)を会場に開かれる国際アートフェア「COLLECT」の案内をインターネットで見つけた。「これだ」と思った。この時点ではまだ自分のギャラリーがなかったため父に「酉福」の看板を借り、出展費用も周囲から借りた。当時は1ポンド約260円。選んだ6人の作家を、8平方メートルのブースへ持ち込んだ。
「まだ所属作家もお客様もいませんでしたが、飛び込みました。もしかすると勝てるかもしれないという自信がありました」
日本でまだ知られていない作品でも、世界の人々なら先入観なく評価してくれるのではないか。そう考えての挑戦だったという。
結果は完売。V&Aが三原研、武山直樹、長江重和の作品を購入し、世界的なコレクターも顧客になった。青山は「本当にラッキーでした」と笑うが、幸運を一度の出来事で終わらせなかったことこそが、このギャラリーの本質だろう。
すべてが順風満帆だったわけではなく、最初の頃はお客様が少なく、雀の涙ほどの売り上げしかない時期もあったが、継続することで、少しずつ力がついてきたと青山は振り返る。
「自分が何をしたいのか、世界に何を残せるのかという理念が何よりも先にありました。利益はその後からついてきました」
父の引退を機に、2011年には東空と酉福を統合。2020年に「A Lighthouse called Kanata」へと改称した。「Kanata=彼方」は、遠く向こう側を指す言葉。「Lighthouse」は英語で「灯台」のことだが、ここには二つの日本語を重ねている。「灯台下暗し」と「一隅を照らす」だ。
「日本人は、目の前にある自分たちの美術文化に気づかない。若冲も浮世絵も、具体美術も、海外で評価されてから日本で評価を得た。だったら世界のトップの人たちに先に知ってもらい、そこから日本へ戻せばいいと思ったんです」
光を遠くへ送り、その光によって、足下にあった日本の美を日本人自身も見つけ直す。少し風変わりで長い名称には、青山の戦略とロマンティシズムがそのまま刻まれている。
VIPによる貸切イベントなどにも頻繁に利用されるA Lighthouse called Kanata。実はルーフトップにも素敵な家具を揃えたテラスが用意されている。
「素材・技術・美」を、世界の言葉にする
Kanataは、絵画や彫刻に加えて陶磁、ガラス、金属、漆、竹や木などの様々な素材でできた作品も取り扱う。いわゆる「工芸」の素材を用いる作家も多い。あえて用途や技法によって工芸と美術を切り分けない。素材と技術によって空間を変える表現を、同時代のアートとして提示している。
青山が作品を選ぶときの基準は明快だ。
「一過性の流行は追いません。100年後、200年後の日本に何を残せるか。最初のフェアから、作品を選ぶ目線は変わっていません」
優れた作品には三つの要素がある、と青山はいう。第一は、作家が素材を深く理解し、愛していること、すなわちマテリアリティ。第二は、その人にしかない卓越した技術、クラフトマンシップ。そして第三は、素材と技術を誰も見たことのない表現へ昇華するビューティー、美への執着だ。
「本当に優れた作品、普遍的な美や名作には、三つの要素があると思っています。何千年前のエジプトでも、ローマ帝国でも、ルネサンスのラファエロでも変わらない法則です」
青山は、その作品が時代や文化の違いを超えて人に届くかどうかを重視するという。「一見して人の心を打てるか。それは本来、とても大切なことです。たとえば2000年前のローマ帝国の人に見せても、その技術や美しさが分かるかです」
一方で、コンセプトだけが先行し、素材や技術、美を軽視する昨今の風潮とは一線を画す。作品に込めた考えは、素材の選び方や技術、目に見える形として表れるべきだと、青山は考えている。手でつくる行為が軽視されがちな時代に、Kanataは素材、技術、美の結びつきを現代美術の中心へ引き戻そうとしている。そして、その美学を「形象派(Keisho-ha/School of Form)」、あるいは「New Materialism」として発信している。
こうした美術的価値の発信で、青山が何よりも大事にしているのが「言葉の力」だという。初回の海外アートフェア出展時から自らカタログを制作し、作品や作家についての説明も自身で書いてきた。
「日本語と英語の説明を、AIに任せることなく、自分の視点で書く。美術館に作品を購入していただくときの解説も、私が書かせてもらっています。誰かに教えられたのではなく、自分がお客様なら、どうすれば納得するかを考えてそうしました。」
その文章は、ただ作品の背景を説明するだけではない。なぜその素材でなければならないのか。伝統技法がどのように更新され、どんな空間を生み出すのか。作家の手から生まれたものを、世界の美術史やコレクションの文脈へ接続することを心がけているという。要するに販売のための説明ではなく、日本の美意識に国際的な居場所を与えるための文章を書いているのだ。
生田丹代子のガラス彫刻は、その成果を示す一例だろう。板ガラスを切断し、接着し、幾層にも重ねることで、光と動きを内包する螺旋状の形をつくる作家だ。2010年にV&Aが作品を購入し、2019年制作の《Ku-131 (Free Essence-131)》はメトロポリタン美術館のコレクションに入った。国内では「工芸」と見られていた表現だが、青山の言葉の力で、海外のギャラリーでは現代の彫刻として受け入れられた。
「うちは作家任せにしません。二人三脚で、その作家の一番いいところを引き出す。いままで見たことのない世界観や作品を一緒につくっていく。口だけ出すのではなく、お金も出す。それを大切にしてきました」
作品を買い取り、制作資金を支え、長所と弱点を率直に伝え、展示まで組み立てる。
そのやり方の手本にしているのは、印象派を支えた画商ポール・デュラン=リュエルだという。まだ評価されていなかったモネやルノワールの作品を買い支え、制作を続けられる環境をつくった人物だという。
作家には年上年下関係なく率直に接する。コレクターに対する態度もそうだという。数年後に価格が何倍になるといった根拠のない約束も口にしない。
「ごまもすらないし、媚びない、そして何より嘘をつかない。。大事なのは嘘をつかないことです。できること、できないことは率直に伝えます。若手作家のよくない作品に『よい』と言うことは、一番よくないと思っています。」
とにかく作品の本質を基準に話しをする。これこそが作家と顧客双方からの信頼につながっているのだろう。
一方、作品以外の依頼には驚くほど柔軟だ。海外の顧客のために、作品を自ら飛行機でハンドキャリーしたこともあれば、ホテルやレストランだけでなく、いけばな、茶、通常非公開の文化財を巡る旅程まで組むという。
「ギャラリストは、単なる小売業ではありません。サービス業だと思っています。だから、どんなお願いをされても、それを無茶ぶりだとは思いません。『これはうちにしかできないことだ』と考えて率先してやっています。」
2階に用意された特別な顧客のためのプライベートビューイングルーム。奥の壁には青山が注目する若手の村松辰之介の《瀧図》(2024)、テーブルの上には加藤貢介の《Legato XIV》(2023)が飾られている。右側の黒い部分は扉が引き戸になっており、コレクターが訪問した際には、この扉の奥に作品をただ1点だけ飾って見せるという。セラーにはハウスシャンパンのアンリ・ジローを含むワインを常時100本以上用意。
光を世界へ送り、日本へ戻す
大阪・関西万博アイルランド館前に展示されていたジョセフ・ウォルシュの作品《Magnus RINN》は、その後、京都の知恩院に展示され大好評を博している。
ジョセフ・ウォルシュ 2025年大阪・関西万博作品「Magnas RINN」ー京都・知恩院へ設置
画像提供: Ito Makoto, Coutesy of Joseph Walsh Studio
2025年大阪・関西万博のアイルランド・パビリオンの目の前には、高さ約6メートルの黄金の円環《Magnus RINN》が設置された。アイルランドを代表する作家ジョセフ・ウォルシュによる初の大規模屋外彫刻である。下半分は人の手の痕跡を残すブロンズ、上部は木からなり、全体が金箔で覆われる。人と自然、時間の循環を象徴する作品だ。
Kanataはウォルシュを長く紹介し、その仕事を通じてアイルランド大使館や同国外務省との関係を築いてきた。万博のアイルランド館では、ウォルシュと青山が培った国際的な信頼が、国を代表する作品へ結実した。万博後、《Magnus RINN》は京都・知恩院へ移設され、アイルランドと日本、現代彫刻と寺院を結ぶ新しい風景をつくっている。
このプロジェクトは、Kanataの仕事が美術品の売買にとどまらないことを示好事例だ。作家、政府機関、大使館、造園家、歴史的な場所を結び、互いの文化が対話できる場をつくる。日本美術を海外へ紹介するだけでなく、海外の優れた作家を日本の文脈へ迎え入れる、双方向の文化活動だ。
海外の優れた作家を日本へ迎え入れる一方で、やはりKanataの活動の原点は、日本でまだ十分に評価されていない美術を世界へ送り出し、そこで得られた評価を日本へ還流させることにある。
その視線は、評価がまだ追いついていない戦後作家から、世に出たばかりの若い世代まで、幅広く注がれている。
戦後作家の一人として青山が名前を挙げたのが、菅井汲だ。「具体以上の可能性があるのに、現時点では日本でも世界でも十分に評価されていません」と話す。
一方、次の世代について尋ねると、青山はVIP用プライベートビューイングルームの壁に掲げられた《瀧図》という作品を描いた村松辰之介を挙げた。
「これは写真じゃないですよ。絵ですからね。この技術の凄さは、2000年前の人にも分かると思うんです。彼が24歳のときに描いた作品です」
幅2メートルを超えるアルミニウムの画面に、油彩で滝を描いた作品。光を受けて表情を変える銀色の画面には、流れ落ちる水が精緻に描き込まれ、写真と見紛うほどの迫力がある。
青山が作品選びの基準とする「素材・技術・美」を凝縮した一枚と言えよう。
このように青山は、知名度や経歴ではなく、作品そのものが持つ力を自身の審美眼で見抜く。そして、その価値を日本語でも英語でも、曇りのない言葉で伝える。言葉だけなら、理念を語ることは難しくない。しかし、目の前にある作品の美しさと、生田丹代子をはじめ、青山が世界へ紹介してきた作家たちのその後の実績が、その審美眼と語りに確かな裏付けを与えている。
「こうした人たちの『一隅を照らす』ことが、Kanataの大切な理念です。忘れられた存在、埋もれている存在に光を当て、日本の美術界の希望の光として世界へ伝えていく」
Premium Japan Awardでは、世界の美術館やコレクターの心も動かす青山の審美眼はもちろん、その実績も評して賞を贈らせてもらうこととした。
「灯台下暗し」から見出し「一隅を照らす」ことで未来を明るく灯す。A Lighthouse called Kanataの少し風変わりなギャラリー名には青山和平のそんな想いが込められている。
青山和平 Wahei Aoyama
1979年、東京都生まれ。2001年ニューヨーク大学卒業、2003年オックスフォード大学大学院修了。外資系企業勤務を経て、2007年に東空を設立。2011年に東空と酉福ギャラリーを統合し、オーナーに就任。2020年、ギャラリーをA Lighthouse called Kanataへ改称した。日本の現代美術と美意識を国際的な文脈で紹介し、世界各地の美術館、コレクター、アートフェアとの関係を築いている。
Photos by Hidehiro Yamada
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
PREMIUM JAPAN AWARD
関連記事
投稿 見えない美に光を当て、「彼方」へ 「A Lighthouse called Kanata」が世界に築いた、日本美術の航路 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
Features
信州ワインと音楽に浸る、新たな温泉旅館へ
2026.9.5
【界 松本】全館リニューアル。「松本エレガンテに浸る湯宿」が誕生
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
長野県・浅間温泉に位置する星野リゾートの温泉旅館「界 松本」が、2026年8月4日に全館リニューアルオープン。「松本エレガンテに浸る湯宿」をコンセプトに、温泉はもちろん、信州ワインや音楽、松本の工芸文化まで、この土地ならではの魅力を堪能できる滞在を提案する。
民芸運動の息吹が残る一方、クラシック音楽が街に響く「楽都」としても知られている浅間温泉。今回のリニューアルでは、そんな土地の文化を背景に、建築、音楽、ワイン、名湯が響き合う空間へと進化した。
「ストゥツキーノ」とスパークリ ングワイン
大きく変わったのが食体験だ。従来の会席料理からイタリアンへと刷新。信州の食材を生かした料理に、冷涼な気候が育む信州産ワイン50種類から厳選したペアリングを合わせ、旅館=和食の常識を覆す。
「GAKUスイート」露天風呂
「GAKUスイート」室内
客室はすべて、松本が育んできた音楽の「楽」をテーマにしたご当地部屋「GAKUの間」へと生まれ変わった。なかでも1室限定の「GAKUスイート」には、リビングに専用のピアノを配したほか、温泉露天風呂やプライベートサウナ、水風呂、テラスも完備。プライベートな空間で、音楽による至高の「ととのい」を満喫できる。
ご当地楽「ソノリティコンサート」
音楽を楽しむ仕掛けはロビーにも。高さ10mの吹き抜けを生かし、毎晩、ご当地楽「ソノリティコンサート」を開催。日によって異なる楽器の生演奏に耳を傾けながら、旅の夜を過ごすことができる。
NAGANO WINE BAR
ロビーには、界ブランド初となるワインバーも誕生。長野にワイン文化を根付かせた「桔梗ヶ原ワインバレー」のワイナリーを中心に、厳選した長野県産ワイン5銘柄をグラスで提供する。食後にワインを片手に音楽の余韻に浸る、そんな大人の時間もこの宿の醍醐味だ。
大浴場「貴天」内湯
大浴場「貴天」露天風呂
湯上がり処
温泉旅館ならではの湯浴みも充実。浅間温泉の湯を引いた内風呂や露天風呂をはじめ、サウナや寝湯など、8種13通りの多彩な湯巡りを楽しめる。湯上がりには、新設された湯上がり処で信州で栽培が盛んなりんごを使った「りんご酢」を味わいながら、ゆっくりと休めるのもうれしい。
温泉旅館の心地よさはそのままに、松本ならではの文化を新しいスタイルで楽しめる「界 松本」。いつもの温泉旅行とはひと味違う、優雅な休日を過ごせそうだ。
◆界 松本
【住所】長野県松本市浅間温泉1-31-1
【客室数】29室(うち露天風呂付き客室 19室)
【付帯施設】ロビー、トラベルライブラリー、ワインバー、ショップ、食事処、大浴場(男女別)、湯上り処、テラス
【料金】1泊 41,000円~(2名1室利用時1名あたり、税・サービス料込、夕朝食付)
関連リンク
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
関連記事
投稿 【界 松本】全館リニューアル。「松本エレガンテに浸る湯宿」が誕生 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
Stories
Premium X
日本のプレミアムなホテル
2026.8.22
125年の時を重ね、いま新しく。 グッドウッドパークホテル・シンガポールの優雅な時間に身を委ねて
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
シンガポールを代表するホテルとして、125年以上にわたり時を刻んできた「グッドウッドパークホテル・シンガポール」。映画の舞台としてもたびたび登場する美しい建築は、クラシックホテルとしての威厳をたたえながら、目覚ましい革新を続けるシンガポールの街で、その歴史と文化を今に伝える特別な存在である。
そんな名門ホテルが、受け継いできた伝統を大切にしながら、より快適で洗練された空間へとアップデート。2026年には「メイフェアウィング」がリニューアルし、クラシカルな趣と現代の“クワイエット・ラグジュアリー”が響き合う、新たなページをスタートさせた。一軒のホテルを通して、新旧が美しく共存する街の魅力を旅してみた
シンガポールの歴史とともに歩んだ、ヘリテージホテルの物語
オーチャードロードからほど近い緑の中に佇む、グッドウッドパークホテル・シンガポール。その歴史が始まったのは1900年。もともとは、シンガポールに暮らすドイツ人コミュニティのための社交クラブ「テウトニア・クラブ」として建てられた。
1918年にはマナセ家の3兄弟が建物を買収し、英国の名高いグッドウッド競馬場にちなんで「グッドウッド・ホール」と命名。1922年にはレストラン、カフェ、エンターテインメントを楽しめる社交場となり、同年には世界的なバレリーナ、アンナ・パヴロワによる華やかな公演も行われた。
そして1929年、「グッドウッドパークホテル」として新たな歴史をスタートさせる。当初はマラヤ(イギリス植民地下のマレー半島の連邦)から訪れるビジネス客などを迎え、1930年代末には広く知られるホテルへと成長した。当時の著名なゲストには、後にウィンザー公となる英国のプリンス・オブ・ウェールズも名を連ねている。
その後、ホテルはシンガポールの激動の歴史を見つめることになる。第二次世界大戦中、日本占領下では日本軍高官の宿舎として使用され、終戦後には英国による戦争犯罪裁判の法廷に。1947年にはマナセ家の子孫、ヴィヴィアン・バス氏のもとへ返還された。
ここからホテルは、時代を先取りする新たな挑戦を始め、シンガポールのホテルとして初めて敷地内にスイミングプールを設置したり、1960年代には、エアコンを備えたホテル専用タクシーを配備したり、当時東南アジア最長とされたバーや空調管理されたワインセラーなどを備えて、革新的なサービスや設備を次々と導入していく。
さらに1989年には、ホテルを象徴する歴史的なグランドタワーが国定史跡に指定されるなど、125年以上に及ぶホテルの歩みは、そのままシンガポールという都市の変遷にも重なっている。
貴族の邸宅のようなローズマリースイート。ここには世界の王族や国際的な著名人、国家元首などが滞在している。
ゆったりとした時間が流れるロビー。
新たな魅力となった「メイフェアウィング」の心地よさ
近年、オーチャードロード周辺にはモダンでスタイリッシュなホテルが相次いで誕生し、シンガポールのホテルシーンも大きく進化している。その一方で、長い歴史を持つグッドウッド・パーク・ホテルも時代に合わせて、2026年に「メイフェアウィング」をリニューアルした。
新しくなったメイフェアウィングには76室の客室を用意。デザインを監修したのは、これまでもホテルの改装を手掛けてきた建築家エルネスト・ベドマール(Ernesto Bedmar)氏。ホテルが長い年月をかけて培ってきた品格を受け継ぎながら、よりモダンでタイムレスな空間へと生まれ変わった。
客室は明るいアースカラーを基調に、天然木やレザー、シザルラグなど自然素材を取り入れた落ち着きのあるデザイン。過度に飾り立てることなく、素材の質感やディテールの美しさを際立たせた空間には、“クワイエット・ラグジュアリー”という言葉がよく似合う。
メイフェアウィングの全客室にはプライベートバルコニーが設けられ、その先に広がるのは穏やかなプールや緑豊かなガーデン。扉を開ければトロピカルな風が室内へと入り、シーリングファンと自然換気による心地よさを感じながら過ごすことができる。
客室は2タイプ。「デラックス メイフェアルーム」は、プールまたはガーデンを望むバルコニーを備え、カップルからファミリーまで幅広い滞在に対応。「デラックス プールサイドルーム」は1階に位置し、客室から直接メイフェアプールへアクセスできる特別なつくりである。朝、バルコニーの扉を開け、緑を眺めながら風を感じ、あえて何もしない時間を楽しむのも良し。
リゾートのような落ち着いた印象のデラックス・メイフェア・ルーム。
機能的で贅沢なデラックス・メイフェア・ルームのバスルーム。
“食べるために訪れる”のも、このホテルの楽しみ
そして、グッドウッド・パーク・ホテルを語るうえで欠かせないのが「食」である。
宿泊したことはなくても、アフタヌーンティーや中国料理、ドリアンスイーツを目的にホテルを訪れたことがあるという人も少なくないだろう。長い歴史とともに育まれてきたダイニングは、それ自体がこのホテルを訪れる理由となっている。
ホテルを代表する「Gordon Grill(ゴードングリル)」の名物は、クラシカルなミートトロリーサービス。ゲストの目の前まで運ばれてきた肉を選ぶというスタイルにも、歴史あるホテルダイニングならではの優雅さが漂う。
シンガポール屈指のステーキとコンチネンタル料理を提供する、ゴードングリル。
中国料理なら「Min Jiang(ミンジャン)」へ。四川料理や広東料理を味わえるほか、「Min Jiang Dempsey(ミンジャンデンプシー)では本格的な北京ダックも堪能できる。午後には「L’Espresso(レスプレッソ)」でイングリッシュ・アフタヌーンティーをビュッフェを楽しむのもいいだろう。また、「Coffee Lounge(コーヒーラウンジ)」の台湾粥も長く親しまれてきた味である。
本格的な四川料理と広東料理が楽しめる、ミンジャン。
そして、このホテルの名をシンガポールで広く知らしめているもののひとつがドリアン。「The Deli(デリ)」のドリアンパフェをはじめ、季節のスイーツや月餅など、ホテルメイドの味を目当てに訪れるファンも多い。
朝食を楽しんだらプールへ。午後にはアフタヌーンティー、そして夜はゆっくりとディナーへ。街へ出掛けなくても、一日を通してさまざまな美食に出会える。
ホテル中央にある、メインプール。
コーヒーラウンジやレエスプレッソ、またデリで楽しめるアフタヌーンティーも見逃せない。
ホテルで過ごす時間そのものを、旅の目的に
グッドウッドパークホテル・シンガポールが位置するのは、シンガポールを代表するショッピングエリア、オーチャードロードにほど近い場所。中央ビジネス地区へも車で約10分と、街を楽しむ拠点として申し分のないロケーションである。
けれど、このホテルに滞在するなら、観光のためだけの拠点にしてしまうのは少しもったいない。館内には2つの屋外スイミングプール、フィットネスセンター、ビューティー&スパサービスなどが揃い、ホテルの中でゆっくり過ごせる環境が整っている。
歴史ある建築の中を歩き、緑を眺めながらお茶を飲む。プールサイドで何もせず、ゆっくりと流れる時間に身を委ねる。旅先ではつい予定を詰め込みたくなるものだが、そんな余白こそが旅を豊かなものにしてくれるのかもしれない。
シンガポールの“今”と、その背景に流れる125年の時間。その両方を感じる旅の舞台として、「グッドウッド・パーク・ホテル」を訪れる、まさに一度は体験したい時間である。
22 Scotts Road, Singapore 228221
Text by Yuko Taniguchi
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
Stories
Premium X
日本のプレミアムなホテル
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
2026.8.14
進化する名旅館「大谷山荘」変革の軌跡と奇跡に迫る
大谷山荘の脇を流れる音信川に設置した川床では、焼き立てのパンが楽しめる。
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
「大谷山荘」――旅館や温泉愛好者にとっては、知らぬ者のない名旅館である。山口県長門市にあるこの宿は、 2016年12月に開催された「日露首脳会談(安倍晋三首相・プーチン大統領)」のワーキング・ディナーの舞台となったことが記憶にある人も多いだろう。98室もある大型旅館であるにもかかわらず、きめ細やかなサービスを称賛する声はいや増すばかりだ。その旅館のオペレーションが高く評価されて、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。山の緑が生き生きと照り輝く時節に、大谷和弘・代表取締役社長を訪ねた。
2023年に大きく変えた戦略シフト
室町時代に開湯し、600年もの歴史を有するのが山口県の長門湯本温泉である。
この温泉郷を代表する旅館が「大谷山荘」だが、旅館や温泉愛好者がこぞって訪れる豪壮な宿だ。温泉街の真ん中を貫く音信川(おとずれがわ)が、宿のすぐ脇を流れている。春には桜の並木、夏には蛍を鑑賞できる透明度の高い川である。
「大谷山荘」の5代目の主人である大谷和弘・代表取締役社長に聞いた。
長門湯本温泉郷でも、威容を誇る大谷山荘。蛍も舞い踊る音信川。
客室は全98室で、23タイプに分かれている。
「今のところ、本格的な改装としては最終段階のものを2023年に行いました。10畳の純和室が24部屋あったのですが、それらをすべて改装し、露天風呂付きのスイート客室、畳部屋に調和した設えにベッドを備えた、現代的な和洋室に変えました。2部屋をドッキングさせて広くした部屋もあるので、全108室から全98室となりました。これによって、露天風呂付きの客室比率が全体の2割となりました」
広々としたスイート客室。露天風呂付きだ。
大改装をする決断には理由があった。
「きっかけはコロナ禍です。それを転機として、経営戦略が大きくシフトしました。以前からの構想でもあったのですが、団体のお客様から個人の顧客を主軸にした経営ヘ本格的に舵を切りました。それは大きな経営判断ではありました。うまく行くかどうかは賭けでしたが、結果として顧客満足度と客単価の向上につながりましたね」
コロナ前比で、宿泊客数は約2万人減少したにもかかわらず、宿泊売り上げは同水準を維持したというから凄い。
部屋付きの露天風呂は源泉掛け流し。そこからの山の眺望が見事だ。
奇跡的なソフトウェアの変革
以上は、見た目にもわかりやすいハードウエアの改革だが、大谷社長の変革の主軸はソフトウェアにあった。それは五項目にのぼる。それを説明する前に、ゲストが初めに体験するのは、全車に対するバレーパーキング(スタッフが駐車・出庫してくれるサービス)のオペレーションや、一組一組へのチェックイン対応である。この規模の旅館でそれを実行するのは奇跡的とも言える。
さて、五項目であるが、その第一として「情景(眺め)=ご馳走という価値設定」がある。
「大谷山荘が定義する贅沢さって何だろうと考えた時に、やはりこの場所の固有性にあると思ったわけです。今までは、旅館の脇を流れる音信川を望む客室をひとつの目玉と考えていたのですが、部屋から目の前に見える『山』の眺望も、お客様にとってのご馳走なのではないかと気づいたのです。原点的に『山荘』じゃないかと」
なにしろ、客室から目の前に迫り来る山の緑は圧巻だ。
「眺望の弱い部屋は、館内体験を充実させることで補完しています」
日本海に面する仙崎港直送の新鮮この上ない魚介類。
第二は、「料理の刷新」だ。
「料理の刷新は三つに分かれます。一つ目は料理を『一品出しの喰切料理へ移行』させたことです。大規模旅館では難易度が高いオペレーションなのですが、2023年から敢行しました。二つ目は『献立の月替わり化』です。従来は年に4回だった献立変更を、月替わりに変更し、リピート顧客の満足度を向上させました。三つ目は『提供種類の集約』です。かつては、多様な価格帯に合わせて会席料理のコースをつくっていたため、十数種類もあった会席料理は、単価を高めることによって最終的に2種類まで集約されました。それによって、一品の品質向上とオペレーションの効率化が実現できたのです」
確かに、「大谷山荘」の一品料理は、満足度が極めて高いものだ。この規模の旅館でそれを実現している事実には驚きを禁じ得ない。
着物を着たスタッフも客にとっては風景の一部。歩き方まで指導している。
第三は、「リノベーションの工夫」だ。
「これは改装に絡むことでもありますが、既存の和室構造にあった床の間や押し入れをデスクスペースなどに転用しました。また、タオルウォーマーやコーヒーマシンを全室に導入して、お客様の要望を反映させています」
第四は、「施設の有効活用」である。
「これもコロナ禍がきっかけではありますが、コロナ化で不要になった団体客向けの二次会施設(クラブ)を、露天風呂付き客室の宿泊者専用クラブラウンジに転換しました。また川沿いの和室を個室食事処に改装することで、部屋食を減らしてレストラン食ができるようにしました」
第五は、「朝食の魅力向上」だ。
「朝食の評価が課題だったのですが、パン職人を採用して、館内で毎朝焼き上げる自家製パンを提供することにしました。これが今や名物となりまして、『大谷山荘のパン』としてブランド化に成功しました。余ったパンは社員食堂で提供し、フードロス削減に役立てています。実は従業員も楽しみにしていまして、満足度もそれで向上しました」
朝食は和食、洋食、バイキングから選ぶことができる。
これだけの施策をコロナ禍以降だけに限っても、矢継ぎ早に繰り出して、いずれも成功に導いた大谷社長の手腕は、見事の一言に尽きる。そのビジョン、先見性、ゲストの立場に立った想像力、胆力とリーダーシップ……、それらは数多の旅館経営者あれども、国内屈指のものと言えるだろう。
「別邸音信」のロビーには、作家の作品が展示してある。
地元とのつながり
旅館としての付加価値を高めるため、大谷山荘では地元との連携を大切にしている。
大谷山荘の強みは、「土地の人・自然・日本文化」が融合した「総合力」にある。その地域連携は大きく分けて3つある。
一つ目は「食文化との連携」だ。
「日本海が至近の距離にあることから、魚介類が実に豊富です。しかも新鮮この上ない。大型旅館では珍しいことですが、卸売市場の仲買権を持っていますので、魚介類や野菜は市場に直接買い付けに行ってます。
また、地元の酒蔵の岡崎酒造さんと米の配合を相談して決定した、当館でのみ味わえる日本酒『純米吟醸 音信』を開発したり、萩で採れる天然海藻を伝統製法(手摘み・天日干し)で作るこまめ小町さんと連携して、朝食で提供するオリジナル食品の『青のり蒲鉾』を開発しました。実は、長門市は養鶏が盛んでして、焼鳥文化が根付いています。連泊の外国のお客様たちを街の焼鳥屋さんにご案内すると大変喜ばれます」
「別邸音信」での一品。すべての品に作家ものの器を合わせている。
二つ目は「場所の文化資本との連携」である。
「長門湯本からほど近い深川(ふかわ)窯には5軒の窯元がありまして、その深川萩焼を作る5家は創業時以来からのお付き合いです。板倉新兵衛窯、田原陶兵衛窯、新庄助右衛門窯、坂倉善右衛門窯、坂田泥華窯です。萩の三輪休雪窯、天龍山窯(てんちょうざんがま)の兼田昌尚さん、金子司さんとも昵懇にさせていただいています。そして、ガラス作家の西川慎先生ですね。先生方の作品を館内のいたるところに展示してあります。
また、料理に合わせた器を共同開発させていただいておりまして、大谷山荘に隣接する『別邸音信』の『日本料理 雲遊』では、先生方の作品を取り入れたご夕食を提供しています。宿泊のお客様と一緒にアトリエを訪れる体験などもしていますが、とりわけ海外のお客様には好評ですね」
例えば、この夏の献立に使われたのは、お造りには田原崇雄氏の流白釉鉢、焼物には坂倉善右衛門氏の月煌彩器、温物には16代坂倉新兵氏の刷毛目蓋碗、揚物には坂倉一渓氏線紋平皿、すべてに作家ものの皿が合わせられていた。
「恩湯」では、住吉大明神が見守る中、岩盤から湧出する湯が見える。
ザバザバ流れる「生まれたての温泉」
三つめは「地域事業者との連携」だ。先の焼き鳥屋への客の送致もしかり。
「当館では、長門湯本温泉の象徴とも言うべき公衆浴場『恩湯(おんとう)』を、お客様に体験していただいております。施設の営業開始前の貸し切りプランがありまして、それですと、外国のお客様も気兼ねなくご利用いただけます。先日は、3日連続で貸切られたお客様もいらっしゃいました」
この『恩湯』の再生には3年の月日を要したが、それにはワケがあった。浴場を解体して精査してみると、掘削ではなく、岩盤から直接お湯が湧いている自然湧出温泉であることが判明した。それだけではなかった。
「実は浴槽の下から、もうひとつの泉源が出てきたのです。なんと足元湧出温泉でした。。
一般的に温泉がいちばん鮮度が高いのは地中にあるときです。一旦外に出ると、空気に触れて酸化が始まる。だから、温泉の鮮度は、泉源から浴槽までの距離にかかっているのです。足元湧出温泉の凄さって、その距離がゼロということです。それは酸化ゼロの『生まれたての温泉』で、国内でも稀有な自然資本だったのです」
凄まじいポテンシャルを秘めた温泉だったのだ。しかも背後には、神道と仏教が交わる神仏習合の600年もの歴史がある。この文化資本、歴史資本をいかにして現代に相応しい形で蘇らせるかにフォーカスした。お湯の成分はアルカリ性単純温泉で、浴槽に注がれる温度は36~38℃。ゆえに、30分ほどゆっくり浸かっていると、皮膚に温泉が染み込み、体の芯から温まるのだ。その存在は、まさに、長門湯本温泉の中核を成す「宝物」と言えるだろう。
「別邸音信」の美しいエントランス。円錐形の木組みが印象的なホールは、高台寺の茶室「傘亭」を模した。
「別邸音信」は一段上のラグジュアリーな館
「別邸音信」にも少しだけ触れておく。
大谷山荘に隣接する別邸が完成したのは2006年のこと。とても20年前の建物とは思えぬほどモダン・シックな数寄屋造りだ。ゲストは靴を脱いで玄関から先に進むが、敷き詰められた畳の感触を、足裏で直に感じられるところがいい。レセプションの奥に広がる空間はとてもゆったりとした造りだ。ライブラリーには地元の誇りでもある、画家の香月泰男や童謡詩人・金子みすゞの書籍をはじめ、趣味のいい美術全集などが並ぶ。13歳未満の入館を制限しているため、館内は静寂が保たれている。
ほかの施設として、茶室、大浴場、スパ施設「グランデスパ音信」、フィットネスジムが備えてある。「The Bar OTOZURE」では、夕刻のサービスタイムにスパークリングワインなどが提供される。客室はゆとりある敷地に、わずかに18室のみ。全室に源泉掛け流しの露天風呂も完備している。なにしろ、ご飯もこの上なく美味しく、至れり尽くせりの宿だと言うことができるだろう。
顧客にお喜びいただくために
ミシュランガイドで「別邸音信」が2年連続で一つ星、ゴ・エ・ミヨ日本版第2号出版を記念した表彰でホスピタリティ賞受賞、Forbes Destinations of the Year 2026 The 30 Collectionにて選出、JTB 「サービス最優秀旅館・ホテル」大規模施設の枠にて、最優秀旅館を受賞(6回)、じゃらんアワード2025 中国・四国ブロック「泊まってよかった宿大賞(総合)」受賞など、高い評価を得ている。
「実際的には、このエリアの暮らしをつくり、文化をつくっていくには、数十年はかかろうかと思います。この場所らしい『生活文化』こそ、顧客が望まれていることだと感じてます。地域の皆様とともに、エリアの価値をさらに高め、長門湯本温泉の雰囲気を好まれる潜在的な顧客に訴求し、お越しいただける流れをつくっていきたいです。さらには連泊滞在型エリアとして、ともに発展していけたらと思います。萩・秋芳洞など周辺観光地への周遊も促すことで、さらなる地域貢献を目指したいですね」
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
PREMIUM JAPAN AWARD
関連記事
投稿 進化する名旅館「大谷山荘」変革の軌跡と奇跡に迫る は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
2026.8.25
彫刻家、樂 雅臣さん。石と向き合い、自然の摂理と命の循環を彫り続ける。
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
京都と滋賀の県境の山中で、黙々と石に向かう彫刻家がいる。樂雅臣さん。黒御影石、大理石、溶結凝灰岩……。二十数年にわたって、樂さんが彫ってきた石はさまざまだが、石を彫り、そこから生み出そうとする形に込めた思いは、変わることはない。京都で450年以上続く樂焼の家に生まれ育ち、家に流れる空気を幼いころから肌身で感じ、それを蓄積しつつも、石彫という新たな創作の道に踏み出した樂さん。日本だけでなく海外でも注目を集めている樂さんの創作活動と、斬新な作品の数々は、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞するにふさわしい。
勾玉のような、アンモナイトのような、不思議な生命体のような……。作品「輪廻」に込められた思いとは……。
あとわずかなところで閉じることができず、その中心部に小さな穴を残したまま終焉を迎える曲線。研磨された部分とコントラストをなす、荒々しく割り削がれた断面。形は勾玉のようであり、アンモナイトのようであり、不思議な生命体のようでもある。彫刻家、樂雅臣さんが20代の頃に集中的に手掛けた一連の作品に共通して冠される作品名は「輪廻」。円環を目指し、なお伸長しようとする曲線は、永遠に続く円運動、まさに「輪廻」を思わせる。
右/輪廻「烏帽子」2009 H975 W300 D150mm 左/輪廻「扇」2010 H500 W500 D100mm ©Imura Art Gallery
ジンバブエブラック。太古からの歴史を凝縮した、圧倒的な存在感を持つ石。
作品の素材は石。「ジンバブエブラック」という名称が物語るように、アフリカのジンバブエを原産地とする。美術大学に進んだ雅臣さんが、石彫場で出会ったのがこの石だった。
「何かを表現したいという思いを抱いて美大に進みましたが、何をどう表現したいかは自分でもわからず、彫刻をやろうと決めていたわけでもありませんでした。ところが、最初に出会った素材が、まるで歯車がかちりと噛み合ったかのように、何かを表現したいという自分の思いと重なったのです。石が持つ、太古からの時間を凝縮した圧倒的な存在感に惹かれました。割る、彫る、磨く。素材としての石とさまざまな工程で向き合っていると、その存在感をひしひしと感じるのです」
ジンバブエブラックは黒御影石の一種で、世界中で最も生産量が多いとされているが、実は最も彫刻しづらい石でもあった。
「石として粘りがあるのです。硬ければ硬いなりに彫りやすいのですが、なまじ粘りがあるので、割ったり砕いたりすることが容易ではありません。彫刻するにはとても厄介な石です。そもそも石彫は、彫る道具を自分で作ることから始まり、作業そのものも膨大な時間を必要とする、どちらかといえば面倒なことが山積みで、美大でも積極的に取り組む人が少ない分野です」
終わりがないからこそ、次の作品にとりかかることができる
そんな厄介な石に、どうして雅臣さんは向き合っているのだろうか?
「彫刻家は、本当は彫りきらなければならないのでしょうが、ジンバブエブラックはどこまで彫っても終わりがないように思えるのです。終わりがないからこそ、次の作品に取りかかることができます。『輪廻』シリーズは20代半ばから幾つも作っていますが、完璧に完成した、と思える作品はなく、まだどこか手を入れることが求められているような気がします」
学生時代に初めて製作した作品「創造のはじまり」。ペリカンが嘴(くちばし)で池の水をつつく姿を目にし、イザナギとイナザミの神が矛(ほこ)で大海をかき混ぜ、その滴る雫から日本の島々を造ったという「国生みの神話」を連想して作製。頭部の部分はあえて作らず、嘴の部分のみとして抽象化をはかった。
どこまでも深い黒。ジンバブエブラックに宿る、この「黒」という色も雅臣さんが素材として惹かれた大きな理由のひとつだ。
「インドや中国などでも黒御影石は産出されますが、これらの石は磨くとシャープで無機質なテクスチャーが目立つようになってしまいます。ところが、ジンバブエブラックの表面は、磨くと雲母のような濃淡が現れ、それは重ね合わせた和紙にも似た有機的な表情となります。僕自身はその独特な表情を大切にしたいと思っています」
450年以上続く、樂焼の伝統の家に生まれて
そしてもうひとつ、雅臣さん自身も「大きな理由のひとつでした」と語るのが、生まれ育った樂家の存在だ。
茶の湯の大成者である千利休に従い、赤樂茶碗、黒樂茶碗を造った長次郎を初代とし、16世紀後半から京都で脈々と樂焼きの伝統を守り続けている樂家。現在では、雅臣さんの兄が十六代樂吉左衞門として樂家を継ぎ、雅臣さんの父は、吉左衞門の名を十六代に手渡した後、樂直入を名乗り自在な作陶活動を行っている。
「幼いころから、焼物に使う粘土を父から与えられ、兄弟でいろいろなものを作っていたので、ものを作ることは大好きでした。また、父は加茂川から採ってきた石を砕き、それを釉薬として黒樂茶碗を焼いていました。家には石がいつもありましたし、そんな父の姿を見て育ったからでしょうか、石という存在は身近なものに感じられ、焼きあがった茶碗を見ても、僕は、ああ石が変化したんだなぁと思っているところがあります。焼物の材料となる土も、もとはといえば岩石が砕けて細かくなったものですから」
樂家が代々焼き続けてきた黒樂茶碗の黒と、雅臣さんが手がける「輪廻」の漆黒の黒。両者の黒は、深いところでつながっている。
「 山奥ですから、冬場にはかなり雪が降ります。除雪作業に追われていると、石を彫っているより雪を掘っている時間の方が多いくらいです」と、冗談めかして笑う雅臣さん。物腰はどこまでも軽やかだ。
歯車がかちりと嚙み合った瞬間
雅臣さんは、中学高校時代はあまり学校へ行くことができず、でも閉じこもりというわけではなく、父のアトリエのあった京都の山奥で多くの時間を過ごした。芽吹き、生い茂り、実を結び、やがて枯れていく木々。そうした自然に囲まれて過ごす時間は、生命が循環していく自然の摂理を、漠然とではあるが雅臣さんの心に植え付けた。
幼い頃から石が身近な存在だった雅臣さんが、心の奥底に抱いていた生命の循環。美大で最初に出会った、太古の時間を凝縮するかのような石を前にし、抱き続けてきた生命の循環を彫り出そうとしたこと、雅臣さんの言葉でいえば「歯車がかちりと噛み合った」ことは、偶然ではなく必然の流れだったといえよう。
「中学高校と出席簿が真っ赤だった僕が、大学では朝から晩まで学校にいる、熱心な生徒となりました。夜中までいたことも数多くありました」
20代で「輪廻」シリーズを主に手掛けた雅臣さんは、30代では、鳥の嘴(くちばし)をモチーフとし、透過性のある大理石を用いた「Stone Box」シリーズを発表。そして40代を迎えた3年ほど前から「石器」シリーズに着手している。「石器」シリーズは、文字通り「器」だ。素材となる石は「溶結凝灰岩」。「神武岩」とも呼ばれるこの石を彫り、磨き、焼く。高温で焼くことによって、石に歪みが生じ、それが味わい深い景色となる。
Stone box「ぬけがら」2023 H90W275D80mm Stone boxシリーズは、幸せを運ぶものとして捉えた鳥の嘴をモチーフとし、「輪廻」と同じく、生命の循環を表現。箱の中に何が入っているかは見る人の創造力に委ねられる。©ZENBI
「『輪廻』も『Stone Box』も自然の摂理をテーマとしています。新たなシリーズでも自然、とりわけ自然と人間のつながりを表現したいと考えて思い至ったのが、石を高温で焼くことによって焼成される器です。石を焼く、というと少し奇異に聞こえるかもしれませんが、地球の内部では絶えず石が焼かれてマグマとなって対流しています。ですので、焼かれた石も、循環していく自然の姿の一部です。また、人間は縄文時代のころから、手に入れた自然の恵みを、木の葉や石の上に乗せて食べてきました。そこには感謝という気持ちが働いていたはずで、それがやがて器となります。おそらく未来永劫、器というものは形を変えながらも存在し、それはまさしく自然と人間とのつながりを物語るものです」
「石器」2024 H95W120D120mm。素材は「溶結凝灰岩」。高温で焼くことによって歪みが生じ、それが器に表情豊かな景色をもたらす。
こうして誕生した「石器」は、樂家が代々作り続けてきた樂茶碗のフォルムを彷彿とさせる。
「樂家で育ってきた僕ですから、器となればやはり、幼い頃から親しんできた樂茶碗の形状に自ずとなり、同時に450年続く樂茶碗へのオマージュも込めています」
雅臣さんは、「今回は器という形になりましたが、それは結果としてそうなっただけであり、石と向き合っている、という姿勢は変えていませせん」とも語る。この20年間、雅臣さんが手がける作品の姿形や、用いる石は異なってきたが、自然の摂理とそれを取り巻く循環を表現しようとする確固たる意志は変わることがない。
石彫は、後戻りすることができない作業の連続
石を彫刻する。それはどんな作業なのだろうか。
「あと戻りできない作業です。原石を割る、鑿を入れる、研磨する。いずれも一度その作業を行うと、それ以前には戻ることはできません。最初に描いたデッサンをもとに、手に入れた石のこのあたりをガツンとやれば、思い描いた形に割れるだろうと割ってみるのですが、思い通りに割れることばかりではありません。逆に、思い描いた形状よりも面白い形となって割れることもあり、そんな時はやはり自然を相手にしているのだなあ、とつくづく思います。また、割ることによって生じた断面を「割肌」と言いますが、その表情が素晴らしく、それはまさに自然そのもの。『輪廻』シリーズでは、『割肌』の表情を生かしつつ、他の部分は耐水ペーパーを用いて手磨きで仕上げていきました」
石彫は時間のかかる作業の積み重ね。コツコツと丁寧に丹念に、鑿(のみ)を入れていく。
工房の作業スペースには、さまざまな石材が積み重ねられている。
樂家の一員として、今もなお楽焼の窯焚きに加わる
樂家では、年に幾度か樂焼の窯が焚かれる。450年以上前からの手法を守るその窯焚きは、高温となる狭い窯場のなかで長時間の作業が続く重労働だ。窯焚きは樂家当代の指揮のもと何人ものスタッフが加わり作業が行われる。雅臣さんも、この窯焚きには今でも必ず加わる。また、樂家では「吉左衞門」の名を継がない男子が結婚する際には、養子となって「樂」の姓から離れる、というのが家訓だった。しかし、雅臣さんに限っては、父の判断でこれまでの習いを破り、結婚後も「樂」姓のままである。
「樂家の茶碗造りは、『手捏(てづくね)』と呼ばれる手法で、轆轤(ろくろ)を使わず両手だけで成形していきます。そして最後は箆(へら)を用いて、削っていきます。一度削ってしまうと後戻りできません。そういった意味では樂茶碗は彫刻の要素が多分にあり、幼いころから家で行われている作業を見て育った僕が、彫刻の道に進んだもの自然の成り行きだったかもしれません」
雅臣さんが樂茶碗を手掛けることはないが、雅臣さんの作品には、樂家に受け継がれてきた、ものを作ることに対する哲学が注がれている。
京都の街中から車で1時間。山中の工房の敷地に置かれた作品の数々。
雅臣さんは、京都の街中から車で1時間ほど北に向かった場所に、工房を構えている。材料となる巨大な石を置く場所が必要なうえに、作業は時に大きな音を伴うため、必然的に人里離れた山中となる。豊かな樹木に囲まれた広大な敷地には、雅臣さんのこれまでの足跡を物語るかのように、大小いくつもの作品が置かれている。
大きな直方体に切り出したジンバブエブラックを幾つも用いて出現させた、石室のような空間もある。それも作品のひとつだ。狭い開口部を除き、四方を石で囲まれたわずか2畳ほどの空間は、そこだけ時間の流れが止まっているかのような静謐にして神聖な気配に満ちている。一方で、天井は石で覆われていないので、見上げると石によって切り取られた空が思いのほか広く広がり、解放感も漂う。
写真中央は、直方体に切り出したジンバブエブラックを垂直に立てて構成した作品。石に囲まれた空間の中心部分には2畳ほどの空間が設けられ、「自由に自分と向き合う空間として使ってほしい」と雅臣さん。左右両脇に置かれているのも作品のひとつ。
石に囲まれた空間の中心部分に「輪廻」を置く。黒とグレーのモノトーンの世界に、天空から、柔らかな光が零れてくる。石と石との間に生じた、ほんのわずかな隙間から微かに見える木々の緑も印象的。
雅臣さんは、京都市内の自宅から毎朝1時間かけてこの工房に通い、夕方には自宅に戻るという生活を続けている。工房の裏手には、やがて琵琶湖に注ぐ美しい渓流が流れている。「春から夏にかけてはヤマメが。夏はアユが釣れます。お昼休みにほんの30分と思って川へ入ると、気が付くと1時も2時間も過ぎていることもあります」
雅臣さんは飄々と、そして屈託なく笑みを浮かべる。
作品がモニュメントのように並ぶ、石の公園を作ることができれば……。
入手した石をストーンサークルのように並べ、ひとつの作品とした。「こんな具合に、石をモニュメントのように置いた公園のようなものを作ってみたいです」と雅臣さん。
「将来的には石の公園みたいなものを作ることができれば、と考えています。僕の作品がモニュメントみたいにところどころに置いてあり、そこを自由に歩きまわり、自然と人間や、石と人間の関係を感じることができる、広場のような空間です」
樂雅臣さん、43歳。確固たる意志を持って石と向き合いながらも、気負いというものは微塵も感じさせず、むしろおおらかにして、しなやかだ。このしなやかさを備えているからこそ、石という強靭な存在から、自然の摂理を彫りだすことができるのではないだろうか。生い茂る樹木に囲まれた工房の庭で、ふとそんなことを思った。
深い山間を縫うように流れる渓谷沿いに設けられた工房。この工房へ、毎日車で1時間ほどかけて、京都市内から通う。
樂 雅臣(らく まさおみ)
1983年京都生まれ。東京造形大学院美術研究領域造形研究科修了。2018年京都市芸術新人賞受賞。2008年に開催した、みゆき画廊での初個展「白の鳥 〜有形無形の流転〜」以来、石川県立美術館、 美術館「えき」KYOTO、Pierre Marie Giraud (ベルギー)、賀茂別雷神社をはじめとして国内外で数多くの個展を開催。アートフェアバーゼル、TEFAFマーストリヒト出展、ヴェネツィア・ビエンナーレにあわせ開催されるPalazzo Fortunyでの特別展「PROPORTIO」(2015)・「INTUITION」(2017)にノミネート出品するなど、海外でも広く活躍する。
Photos by Makoto Ito
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
PREMIUM JAPAN AWARD
関連記事
投稿 彫刻家、樂 雅臣さん。石と向き合い、自然の摂理と命の循環を彫り続ける。 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
Features
奥嵐山で、自分だけの24時間を過ごす
2026.8.10
【星のや京都】美食と静寂に浸る、オールインクルーシブのひとり旅
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
星のや京都では、2026年8月31日まで、24時間滞在のオールインクルーシブプラン「奥嵐山の夏ひとり旅」を提供中。14時のアーリーチェックインから翌日14時のレイトチェックアウトまで、自分だけの時間にゆっくりと浸れる、夏限定のひとり旅プランだ。
庭路地
客室
星のや京都が位置する奥嵐山は、かつて平安貴族が避暑に訪れた地。京都市街地より最大4.9度も気温が低い冷涼な気候で、豊かな自然に包まれながら心身を整える滞在を楽しめる。
目の前に小倉山と大堰川を望む空中茶室
朝日が降り注ぐ朝のストレッチ
滞在中は、京都の老舗書店「恵文社一乗寺店」が選んだ本を片手に読書に没頭したり、大堰川にせり出す「空中茶室」で、お盆の上に自分だけの情景を表現する「盆景菓子」を体験したりと、静かに自分と向き合う時間が過ごせる。さらに、青もみじに囲まれた庭で朝と夜に行うストレッチも開催。呼吸を意識しながらストレッチをすることで、心と体をゆるやかに整えていく。
ペアリングドリンクと共に愉しむ美食
客室で味わう朝鍋朝食
食事も、この滞在の大きな魅力のひとつ。夕食には、日本料理の本質を大切にしながら革新的な技法を取り入れた会席料理「真味自在」を、料理人の所作を間近に感じるカウンター席で堪能。厳選されたペアリングドリンクとともに、季節の味覚をじっくりと味わえる。朝食は、旬の野菜や魚を香り高い出汁でいただく「嵐峡の朝鍋」を客室に用意。嵐峡の景色を眺めながら、誰にも邪魔されない優雅な時間を過ごすことができる。
出発の際は貸し切りの船を用意
本プログラムは、朝夕の食事やダイニングでのペアリングドリンク、客室のミニバーなどがすべて含まれるオールインクルーシブスタイルで、気兼ねなく過ごせるのもうれしい。誰にも急かされることなく、自分のためだけに時間を使う贅沢。静寂に包まれる奥嵐山で、、心を満たす夏のひとり旅に出かけてみてはいかがだろうか。
◆「奥嵐山の夏ひとり旅」
【期間】2026年8月31日(月)まで
【料金】1室1名189,078円~
【含まれるもの】宿泊料、アーリーチェックイン(14:00)、レイトチェックアウト(14:00)、本(貸出し)、盆景菓子、夜・朝の貸切ストレッチ、夕食(ペアリングドリンク込)、朝食、ミニバー
【定員】1日1名
【予約】公式サイトにて7日前まで受付
関連リンク
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
関連記事
投稿 【星のや京都】美食と静寂に浸る、オールインクルーシブのひとり旅 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
Features
夏の竹富島で、暮らすような滞在を
2026.8.7
【星のや竹富島】ゆったりと心満たされる、夏の滞在プログラム
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
沖縄・竹富島の文化リゾート「星のや竹富島」では、2026年8月31日まで、竹富島の夏の暮らしを体感する季節限定プログラムを開催。遊び、眺め、語らう──「なちゆくい*」を彩る4つの催しを用意する。
農業が生活の中心だった時代、夏の竹富島は、秋から始まる新たな農事や祭事に向けて暮らしを整える季節であり、島の人々が交流を深めることで「ウツグミ(一致協力)」の精神を育んできた。そんな自然と寄り添う文化に触れながら、島で暮らすような滞在を楽しめるのが、夏限定の本プログラムだ。
島の植物を乾燥させた材料で作る民具
強い日差しが降り注ぐ竹富島では、早朝や夕方に畑仕事を行い、日中は家の中で民具づくりや農作業の準備をして過ごしてきた。その暮らしに触れられるのが、島に伝わる民具づくりを継承する「クージの会」の協力による手仕事体験。アダンやマーニの葉を乾燥させた素材を使い、昔ながらの民具を作りながら、島の暮らしに思いを馳せることができる。
緑豆ぜんざい(2026年8月31日までの期間限定)
【時間】14:00~15:50 【料金】無料 【場所】ゆんたくラウンジ
館内のゆんたくラウンジでは、八重山で親しまれてきた緑豆を使った「冷やしぜんざい」を無料で提供。さらに夕暮れ時にはコンドイ浜への送迎(1日3組限定・無料)も実施され、水平線に沈む夕日を眺めながら、波や風の音に耳を澄ませる島ならではの豊かな時間を過ごせる。
「島の唄い手と過ごすひととき」
毎週火曜の夜には、島の唄い手と泡盛やおつまみを囲んで語らう「島の唄い手と過ごすひととき」も開催。島の唄や人々との交流を通して、竹富島の文化や歴史をより深く感じられる。
見晴台から望む集落景観
観光地を巡るだけでは出会えない、その土地の日常や営みに身を委ねる旅。竹富島に受け継がれてきた夏の時間を体感しながら、心をゆるめてみてはいかがだろうか。
*島言葉で「なち」は「夏」、「ゆくい」は「休暇」という意味
「島の唄い手と過ごすひととき」
【期間】2026年8月31日(月)までの毎週火曜日
【時間 19:15~21:30
【料金】1名7,560円(税・サービス料込)
【場所】喜宝院蒐集館
【対象】年齢制限なし
【定員】2組 4名まで
【予約】前日17:00までに公式サイトにて予約
関連リンク
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
関連記事
投稿 【星のや竹富島】ゆったりと心満たされる、夏の滞在プログラム は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
2026.8.5
ジャパニーズウイスキーを、ブームから文化へ 三郎丸蒸留所が挑む「次の100年」
2026年5月に発売になった「三郎丸Ⅷ(エイト)STRENGTH(ストレングス)」。タロットカードのデザインは大アルカナ22枚の9番「力(STRENGTH)」が採用されている。
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
世界から熱い視線を集めているジャパニーズウイスキー。このブームを一過性のものにせず、100年先へ続く文化へ育てたい。そんな思いを胸に挑戦を続けているのが、富山県砺波(となみ)市の三郎丸蒸留所を擁する若鶴酒造代表取締役社長 稲垣貴彦さんだ。「The Ultimate Peat(ピートを極める)」を掲げ、世界初の鋳造製蒸留器「ZEMON」の開発や樽工房の設立、ボトラーズ事業、蒸留所同士の連携など、日本のウイスキー文化の土台づくりに取り組んでいる。その挑戦が評価され、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。目指しているのは、一つの蒸留所の成功ではない。日本のウイスキーを次の100年へ受け継ぐ仕組みをつくることだ。その思いを聞いた。
ジャパニーズウイスキーブームの先にある課題
世界的なジャパニーズウイスキーブームを背景に、日本の蒸留所は急速に増えてきた。2013年には10カ所ほどだった蒸留所は、この10年余りで約100カ所以上へと拡大した。一方で、設備や樽、職人の不足、人材育成など、産業基盤の課題も顕在化している。一時のブームで終わらせず、文化として次の100年へつないでいけるのか。今、日本のウイスキー産業は大きな岐路に立っている。
その課題に真正面から向き合っているのが、三郎丸蒸留所を率いる稲垣貴彦さんだ。
北陸新幹線新高岡駅からJ R城端線油田(あぶらでん)駅から徒歩1分、新高岡駅からタクシーで約20分の場所にある若鶴酒造。
三郎丸蒸留所 大正蔵入り口にある若鶴酒造と三郎丸蒸留所ののぼりや樽。「三六〇」は、2025年12月に就任した北陸最若手の杜氏、田村幸作氏が手がけた三郎丸蔵の新ブランド。
若鶴酒造の創業は1862(文久2)年。砺波平野の豊かな伏流水に恵まれ、この地で160年以上酒造りを続けてきた。ウイスキー造りを始めたのは戦後間もない1952年。米不足で日本酒を十分に造れなかった時代、二代目であり、稲垣さんの曾祖父にあたる稲垣小太郎氏は、「米以外の原料で酒を造る」という挑戦に踏み出した。
翌年発売した「サンシャインウイスキー」は、その名に、戦後の日本に再び明るい時代が訪れてほしいという願いが込められていた。その後、蒸留棟の火災や市場の低迷など幾度もの危機に見舞われながらも、地域に支えられ、ウイスキー造りの灯は守られてきた。
昭和27年にウイスキーの製造免許を取得後、初めて発売したのが「サンシャインウイスキー」。
受け継ぐためには、変えなければならない
大学卒業後、東京のIT企業で働いていた稲垣さんが富山へ戻る決心をしたのは10年前のこと。当時の若鶴酒造は日本酒が事業の中心で、ウイスキー造りは夏場だけ細々と続けられ、売り上げも全体のわずか5%に過ぎなかった。大きなリスクを伴う設備投資や新たな挑戦に踏み切ることはなく、昔ながらの製法を守り続けていた。
「この先、ウイスキー事業をどうするべきか」
そんな岐路に立っていたとき、蔵の奥に1960年蒸留の若鶴モルトが残されていることを知る。半世紀以上眠っていたそのウイスキーを口にした瞬間、稲垣さんは「脳天を突き抜けるような衝撃」を受けた。
「これほどのウイスキーを、曾祖父が造っていたのか」
その瞬間、単なる家業ではなく、曾祖父が始めたウイスキー事業を未来へ受け継ぐ使命を感じたと話す。
「曾祖父と私は同じ時代を生きていません。でも、一本のウイスキーを通じて、その時代につながれたような気がしました。半世紀を超えて、子孫から先祖につながれるお酒って、ほかにはあまりないと思うんです。今日仕込んだ原酒が商品になるのは数年後、時には数十年後。造り手がいなくなっても樽の中では熟成が続き、その酒を飲む人へと時間が受け継がれていく。ウイスキーは、時間を閉じ込める酒だと思います」
まるでギャラリーのような雰囲気を漂わせる三郎丸蒸留所の熟成庫と、そこを歩く稲垣さん。これまでCharや田島貴男、元ちとせをはじめとする多彩なアーティストがここで演奏を披露しており、その模様はYouTubeチャンネル「BLUES& BARRELS」で公開されている。
三郎丸タロットシリーズでは、切り絵作家の加野由希絵氏(氷見市出身)のカードの切り絵が使用されており、それらが並ぶシアタールーム。
しかし、その思いだけで蒸留所をよみがえらせることはできない。
老朽化した建物の修復や設備の更新には莫大な資金が必要だった。ウイスキーは仕込んでも、商品として売り上げになるまで何年もの熟成期間を要する。設備に投資しても、すぐに利益は生まれない。長い時間を見据えた経営判断が求められる産業だった。
そこで立ち上げたのが、蒸留所の名を冠したシングルモルトブランド「三郎丸」。当時、若鶴酒造では二級ウイスキーもシングルモルトも「サンシャインウイスキー」の名で販売されていたが、ブランドの価値を考えるなら、シングルモルトでもっと蒸留所の個性を前面に打ち出すべきだと稲垣さんは考えたのだ。
最初に世に送り出したのは、曾祖父の時代に銅製ポットスチルで蒸留された原酒をボトリングした「三郎丸1960」だった。ちょうどその頃、同じ1960年蒸留の「軽井沢1960」が香港のオークションで高額落札されるなど、世界では長期熟成のジャパニーズウイスキーへの注目が急速に高まっていた。
半世紀以上の眠りから目覚めた「三郎丸1960」にも販売予定数の4倍を超える応募が集まり、1本55万円で発売された。この一本をきっかけに、富山発のシングルモルトブランド「三郎丸」の名は、国内外のウイスキー愛好家の間で広く知られるようになった。
2020年に完成したウッドラック式を採用した樽貯蔵庫の中。
貯蔵樽からウイスキーを汲み出す、稲垣さん。
「三郎丸1960」の売り上げに加え、クラウドファンディングで寄せられた支援を原資として、蒸留所の改修に着手する。
「資金集めはもちろんですが、なぜ蒸留所を残したいのか、なぜ未来へつなぎたいのか。その思いを多くの方と共有できたことが大きかったですね」
クラウドファンディングは資金調達の手段であると同時に、三郎丸蒸留所の未来に共感する仲間を集めるプロジェクトでもあった。蒸留所は少しずつ、新しい時代へ歩み始めた。
その象徴となったのが、2019年に完成した世界初の鋳造製ポットスチル「ZEMON(ゼモン)」である。
発想の原点は、富山県高岡市で400年以上受け継がれてきた高岡銅器だった。梵鐘づくりの鋳造技術をウイスキー造りに生かせないか──。その着想から老子製作所との共同開発によって誕生したのが、世界初の鋳造製ポットスチル「ZEMON」である。
昭和20年の富山大空襲を逃れた数少ない建物。<wbr />現在は三郎丸蒸留所として、1階でウイスキーを蒸留、<wbr />2階から見学ができる。
画像提供:三郎丸蒸留所
中央に見えるのが「ZEMON」だ。
「従来の蒸留器は銅板をたたき、曲げて造ります。一方、ZEMONは梵鐘と同じ鋳造技術を使うので、十分な厚みを持たせることができます」
銅には蒸留液中の硫黄成分を除去する働きがあり、錫には酒質をよりまろやかにする効果が期待される。銅と錫、それぞれの特性を活かした銅錫合金によって、三郎丸らしい力強さと滑らかさを兼ね備えた酒質を実現した。さらに、高寿命化やメンテナンス性の向上、製造期間の短縮、コストダウンなど、従来の蒸留器が抱えてきた課題も解決した。
「ZEMONは三郎丸だけのために造ったものではありません。日本の蒸留所が、国内で設備を調達できる選択肢を増やしたかったんです」
伝統産業は、昔と同じものを作り続けるだけでは先細りしてしまうこともある。だからこそ、高岡銅器という地域の技術を現代のものづくりへ生かし、新たな産業へとつなげる。その挑戦は、三郎丸蒸留所だけでなく、日本のウイスキー産業全体の未来を見据えたものだった。
蒸留所を守ることが目的ではない。蒸留所を起点に、日本のウイスキー文化を次の100年へつないでいく。その視点に立ったとき、稲垣さんの挑戦はさらに広がっていく。
後期乳酸菌発酵を行う木桶発酵槽。木の表面に独自の乳酸菌が住み着き、豊かな発酵へと導く。
蒸留所では、主にネズミや鳥などの害獣からウイスキーの原料である大麦を守るため、猫(ウイスキーキャット)を飼う習慣があった。現在は、蒸留所で動物を飼うことはできないために、その名残から置物を置いている。
産業は、一社だけでは育たない
稲垣さんが目指しているのは、三郎丸蒸留所だけの発展ではない。日本のウイスキー産業全体が、100年先まで続くための土台を築くことだ。
「一社だけが成功しても、文化にはなりません。産業全体が元気になってこそ、日本のウイスキー文化は次の世代へ受け継がれていくと思っています」
その考えを象徴する取り組みの一つが、三郎丸樽工房「Re:COOPERAGE(リクーパレッジ)」である。
「貴重なジャパニーズウイスキーの一滴たりとも漏らさない。それが私たちの使命だと思っています」
ウイスキーにとって樽は、単なる容器ではない。熟成によって香りや色、味わいを育む「もう一つの原料」ともいえる存在だ。しかし世界的なウイスキーブームを背景に樽不足は深刻化し、価格は高騰。品質のばらつきも大きくなっている。
さらに日本では樽職人の減少が進む一方で、クラフトウイスキーの蒸留所は急増している。その結果、多くの蒸留所が自前で樽の修理や修復ができず、大切な原酒を守るための環境づくりが課題となっている。
樽工房において、「新たに蒸留された無色透明の原酒は、樽の中で長い年月を過ごすことで、琥珀色の色合いや豊かな香りを生み出すんです」と話す稲垣さん。
「10年前と比べると、価格は高い時で4倍ほどになりました。しかも漏れる樽が本当に増えました」
長い年月をかけて育てた原酒が、樽の隙間から失われてしまう。その損失を防ぐため、三郎丸蒸留所は樽工房を設立した。傷んだ樽板を交換する「リペア」、用途に応じて組み替える「リメイク」、内側を削って焼き直す「リチャー」。一本一本異なる状態を見極めながら、樽に新たな命を吹き込んでいる。
「樽は容器ではなく、原料なんです。ウイスキーを造っているのは、樽でもあるんですよ」
樽を守ることは、原酒を守ること。そして、日本のウイスキーの品質を守ることでもある。
「新しく造るより、直す方が難しいんです。どこが悪いのかを見極め、その樽に合わせて修復しなければならない。一本として同じ状態の樽はありません」
現在、日本で樽職人はごく限られている。
三郎丸樽工房「Re:COOPERAGE」で樽の修復・修繕を担っているのは、29歳でキャリア10年の樽・木桶職人、祝迫智洋さんだ。
「樽と木桶の両方を扱える職人は、世界でも祝迫さんだけだと思います」
そう語る稲垣さんは、祝迫さんに絶対の信頼を寄せる。
樽工房では、全国の蒸留所から修理を引き受けるだけでなく、技術者の育成にも力を入れている。樽工房は三郎丸のためだけにあるのではない。日本のウイスキー産業全体を支えるインフラとして、その役割を広げている。
敷地内にある樽の修理・再利用する樽工房「Re:COOPERAGE」。樽のリペア・リメイク・リチャーなどを専門に行なっている。
ここではバーボン樽を中心に、シェリー樽、赤ワイン樽、ミズナラ樽、スパニッシュオーク樽など、様々な樽が集まってくる。
廃材となるはずの木材は、時計や小さな樽など、別のアイテムに生まれ変わらせている。
その発想は、ボトラーズ事業にもつながっている。
2021年には、ウイスキー専門店「モルトヤマ」の下野孔明さんとともに、ボトラーズブランド「T&T TOYAMA」を立ち上げた。
ボトラーズは蒸留所から原酒を買い取り、独自に熟成やブレンドを行い、新たな価値を加えて市場へ送り出す存在だ。原酒が商品になるまで長い年月を必要とする蒸留所にとって、資金面や販路を支える役割も果たしている。
「スコットランドでは、自分たちにない原酒は交換するのが当たり前です。それぞれが得意なものを持ち寄ることで、多様性が生まれる。日本もそういう産業になってほしいと思っています」
クラフト蒸留所が一社だけで世界へ挑むには限界がある。しかし、それぞれの個性を生かしながら協力することで、新しい価値は生まれる。
「ボトラーズ事業を通して、世界各地の蒸留所が集うイベントや販売会で、それぞれの蒸留所の特徴や魅力を紹介する機会も増えました。一社ではできないことでも、数社が集まることで、多角的な発信ができるようになります」
競争するだけでは文化は育たない。互いに支え合い、それぞれの強みを生かしながら成長していくことで、産業は厚みを増していく。
昨年新設された、三郎丸蒸留所のブレンダー室・ワークショップルーム。日本の伝統工芸である組子建具とガラスを融合させた「ガラスシリンダー」が美しい。
たくさんの保有する原酒を新たな魅力ある製品づくりへとつなげていく作業がなされている。
一番いいのは、実際に来てもらうこと
「一番いいのは、実際に来てもらうことです。蒸留所へ来れば、その土地の空気も、人も、ものづくりも伝わります」
その思いから、三郎丸蒸留所は開かれた蒸留所として見学を受け入れている。蒸留設備を間近で見ながらウイスキー造りの工程や歴史を学ぶことができ、ショップやテイスティングスペース、レストラン「竈 flamme 炭三郎」も併設する。
屋外のBBQスペースにも釜が置かれている。
レストランでは、役目を終えたウイスキー樽を燃料に炊き上げるご飯をはじめ、三郎丸の仕込み水や富山の食材を生かした料理を提供している。酒造りを支える水や土地の恵みを、食を通して体感できる場所でもある。
取材当日も、見学者だけでなく地元の人々が次々と訪れ、食事を楽しんでいた。蒸留所は観光施設にとどまらず、地域の日常に溶け込む交流の場にもなっていた。
レストランの入り口の横には仕込み水が出る蛇口がある。その柔らかくてミネラル感ある水質が、三郎丸のウイスキーの味わいを支えている。
そして、稲垣さんは新たな試みスタートとして、クラフトウイスキー蒸留所をより多くの人に知ってもらう試みをはじめた。
「私が戻ってきた頃、日本の蒸留所は10カ所ほどでした。それが今では約100カ所以上になりました。せっかくなら、三郎丸だけでなく全国の蒸留所を巡ってもらいたいんです」
その思いから始まったのが、全国の蒸留所を巡る「Japanese Whisky Passport 銅印帳」プロジェクトだ。鉄道を巡る「鉄印帳」のように、各地の蒸留所を訪れ、銅印を集めながら旅を楽しむ仕組みである。
「目指したのは、ウイスキー好きだけの企画ではありません。建築やものづくり、地域文化や食に興味を持つ人たちにも、日本各地の蒸留所を訪れるきっかけをつくりたかったんです」
蒸留所を巡る旅は、その土地の文化や食、伝統工芸と出会う旅でもある。蒸留所という「点」を旅という「線」で結び、日本のウイスキー文化という「面」へ広げていく。それもまた、産業を未来へつなぐための大切な仕組みだ。
「Japanese Whisky Passport 銅印帳」全国28ヵ所のクラフト蒸留所が紹介されており、各蒸留所で銅印を購入し、指定のページに貼って集めることができる。
稲垣さんが目指すのは、曾祖父から受け継いだ酒造りの志を起点に、高岡銅器の技術、樽職人の仕事、蒸留所同士が支え合う関係、そして地域へ人を呼び込み文化を育てる仕組みまで、日本のウイスキー産業を支える土台そのものを未来へ残そうとしている。
日本の蒸留所の数は増えた。だが文化は数だけでは育たない。今問われているのは、「増やすこと」ではなく、「育てること」なのである。
100年前、曾祖父が始めた挑戦は、いま「次の100年」を見据えた挑戦へと姿を変えた。三郎丸蒸留所で生まれたその挑戦は、一つの蒸留所の未来ではなく、日本のウイスキーをブームで終わらせず、次の100年先へと受け継ぐための取り組みだ。
稲垣さんは富山の地で日々思いを巡らせ、そして格闘をしている。
樽貯蔵庫では、夏場は上段温度管理のために、屋根散水システムを導入している。
若鶴酒造(三郎丸蒸留所)
富山県砺波市三郎丸208
Photos by Hidehiro Yamada
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Facebook</title><use xlink:href="#symbolSnsFb" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Twitter</title><use xlink:href="#symbolSnsTw" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>LINE</title><use xlink:href="#symbolSnsLine" /></g></svg>
-
<svg viewbox="0 0 58 58"><g><title>Pinterest</title><use xlink:href="#symbolSnsPint" /></g></svg>
JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
PREMIUM JAPAN AWARD
関連記事
投稿 ジャパニーズウイスキーを、ブームから文化へ 三郎丸蒸留所が挑む「次の100年」 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。


























