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2025.10.27
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旅館の矜持 THE RYOKAN COLLECTIONの世界
2025.10.27
新潟「旅館ホテルryugon」井口智裕社長 日本の地方が生きる道を地域全体で実践!
レセプション前の和の空間と井口社長。建物は文政年代のもので、国の重要文化財に指定されている。大きな赤いソファは地域の雪をモチーフにしたもの。
「ザ・リョカンコレクション」に加盟する旅館の女将や支配人を紹介する連載「旅館の矜持」。今回は「ryugon(龍言)」の社長・井口智裕氏を紹介する。
その宿は上越新幹線の越後湯沢駅から車で30分、上越線の六日町駅からは車で4分ほどの距離にある。東京駅で新幹線に乗れば、たった2時間以内に到着できる。新潟県南魚沼市で異彩を放つ「旅館ホテルryugon(龍言)」は、幕末期の古民家を移築した木造建築の宿だ。
外観は木造と白壁のコントラストが見事で、その美しさに目を奪われる。誰もが感嘆するのは、レセプション前から、何室にもわたって奥へ奥へと広がるラウンジだ。
「日本の旅館にこうしたラウンジはどこにもないですよね。だからこそ価値があると思って造りました。念頭にあったのは、特に海外のお客さんにくつろいでもらえることでした」
と語るのは「ryugon」の井口智裕社長である。
「旅慣れた外国のお客さんや日本の方が、ここで本を読んでくれていたりすると、狙いにハマってくれたと嬉しくなりますね」
囲炉裏ラウンジにて。秋から春までは火がともされる。丸いクッションも雪のイメージだ。
囲炉裏を囲む一画があり、バーカウンターがあり、趣味の良い本を揃えた図書室があったりする。しかも、アーティスティックな椅子もあれば、昔ながらの座椅子もあり、テーブルもソファも多種多様だ。中にはカップルが座るのに最適な、かまくら型のソファもある。
それでいて雑多な印象はない。窓から見える景色が変わるから、気分も変わる。実際に、夕食が済んだ後に、このラウンジでまったりと過ごす宿泊客が多いのは印象的だった。部屋に帰るよりも、居座りたくなるのだろう。
この部屋も文政年代のもの。しっとりと落ち着くラウンジだ。
「『ryugon』がある南魚沼市の六日町は、観光客が来るような街じゃありません。宿の外を散歩すれば綺麗な田んぼの風景があって農作業をしている人たちがいる。田舎の日常の暮らしが感じられる土地です。宿から街の中心部も近いので、地元の人が行く居酒屋でご飯を食べるとか、そういう楽しみ方もできます。一方で、坂戸山の裾野に宿はありますから、自然も充分に感じられます。ここは街と自然の両方が堪能できる絶妙な位置なんですね」
確かに、客室やラウンジなど宿の至るところで、山の緑が目前まで迫ってくる。
ヴィラへと続く雪国伝統の雁木(がんぎ)の廊下と池。画面奥の緑は、もう山の裾野だ。
「私が望むのは連泊してもらうことです。1泊では、とても地域の文化は分からないからです。この宿に滞在しながら、地域の文化や暮らしを楽しんで欲しいのです。地元の人と触れ合う、そうすることで初めて、文化としての重みを感じることができるのではないでしょうか。連泊すれば、今日の晩御飯は街で食べて、宿に帰ってきて、バーは12時までやっていますから、軽食を食べながら一杯やる。あるいは今日の夜は軽くそばでいいとか、カレーライスでいいとか、ビーフサンドにするとか。そのために館内フードメニューがあるんです。もちろん、ルームサービスでもご利用できます。
そんな風に宿を使ってもらいたいですね。宿はあくまでも街全体を楽しんでもらうための拠点基地にすぎません」
ちなみに、宿泊しなくともラウンジ利用と入浴ができるプランもある。なにしろ、思いつく限りのサービスが用意してある。
「‶地元にいいお店があれば、宿の稼働率は上がる″というのが僕の‶思想″です。自分のところでも料理は頑張りますが、地元にいいレストランが増えることのほうが楽しい。宿を拠点にして2泊3泊したくなりますよね。
僕は世界中を旅行しているので、行きたくなる場所には必ずと言っていいほど‶必勝の法則″があります。
1に泊まりたくなるような宿があり、2に体験したくなるようなアクティビティがあって、最後はいい食文化があること。この3つが掛け算となって、魅力を生み出す。条件が1個でも欠けると、人はリピートしないんじゃないでしょうか」
「ryugon」が多彩なアクティビティを提案するのもそのためだ。恐るべき数のメニューがある。
山菜狩り・きのこ狩り、田んぼを自転車で走るポタリング、坂戸山トレッキング、まちぶらツアー、冬ならば雪かき体験や雪上のガストロノミーや雪原スノーピクニック、施設内なら土間クッキング、煎餅焼き体験、土鍋ごはんで作る絶品おにぎり体験……まだまだ続く。
ちなみに、10台ある電動アシスト自転車はBESV(ベスビー)という台湾製で、連続で90kmの走行が可能だそうだ。どこにでも行けちゃう。
軽トラックをレンタルして野山を走るプログラムもある。
「僕らがアメリカに行ったらピックアップトラックをレンタルして砂漠を走りたいとか、ハワイに行ったらオープンカーに乗りたいという発想と同じです。20代の女子が麦わら帽子をかぶって、軽トラで田んぼ道を運転したら、インスタ映えしませんか」
玄関前に立つ井口社長。木造と白壁のコントラストが美しい。
井口氏がここに至るには、実は、積み重ねた思考の長い歴史があった。
宿の原型である「温泉旅館 龍言」は、1960年代に出来た。建物は幕末時代に建てられた地元六日町の豪農の館や武家屋敷を移築したものだ。大小16の家の集合体で、本館は重要文化財に指定されている。その経営が井口社長に譲渡されたことを機に、リニューアルが施され、現在の姿になった。それが2019年のことだ。
「私は17年前の2008年から『雪国観光圏』という活動してきました。課題は、地域固有の雪国文化をどうやって地域に根付かせるかでした。ですから、『龍言』をリニューアルする際に主眼を置いたのは、この地域の文化や暮らしを宿の中で表現することです。
日本の文化を体験しながら、ある程度は高品質な時間を過ごしつつ長期滞在できるということ。そのためには、ただ古い建物だけじゃダメですから、現代の快適性も入れ込みました。
目指したのは、フランス・ブルゴーニュ地方のワイナリーのシャトーに1週間連泊するような旅のリテラシーを持った人が、居心地が良いと感じられる宿です。宿というのは、一つ一つの思想の集積なんですね」
「この土地に高級旅館を造ったという感覚はあまりありません。第一、旅館は門構えが立派で、そこから先は宿泊者しか入れないような‶結界″を感じさせますよね。だから、まず、その立派な門を壊して、名前も『龍言』から『ryugon』に変えました。そうすることで、格式を取っ払って、地域になじませたかったのです。
だから、ここはいわゆる高級旅館ではありません。旅館ホテルなのです」
門を入ってすぐ左手にあるryugon cafeの横で。中は土間スペースになっている。
門をくぐるとすぐ左手にカフェがあり、右手には地元の品々を揃えたかなり大きなセレクトショップを配したのも、人が敷居を越えやすくするためなのだろう。
「日本人は敷地内だけで完結するいい旅館を求めていますよね。だけど、海外から日本のローカルを味わいに来た人にとっては、別にとびきり高級な旅館である必要はありません。4スターぐらいでいいのです。彼らは旅のプロセスがどうあるかを優先させていますから」
そうは言っても、客室は居心地が抜群に良かった。部屋の価格はクラシックルームの2万円余から、新築したヴィラ・スイートの20万円と幅広いところから選択できる。
ヴィラ・スイートのテラスに備わった露天風呂。目の前に雪があったら最高だろう。
では、さきほどから出てくる「雪国文化」とは何なのか。
「雪国文化って言うと、古い建物だとか茅葺屋根とか藁細工とかを想起しやすいですよね。それだと過去の継承のままで終わってしまう。文化というのは、過去・現在・未来の文脈の中にあると思うのです。僕らは雪とともに生きてきたので、そこで育まれた暮らしの知恵みたいなものを、未来に向けて表現したい。例えば、赤い円形の大きなソファや囲炉裏の周囲にある丸いクッションは、この地域の湿度がある重たく丸い雪を表現しているものです。ライブラリーの横にあるソファも、かまくらのイメージです。それらはすべて特注の家具です」
いちばん奥にあるラウンジ「図書室」から眺める雪景色。
「そもそもは新幹線が金沢まで延伸する2014年問題がやって来るということがきっかけでした。それまでは越後湯沢から金沢までは特急だったのですが、新幹線が金沢まで伸びたら、われわれのような途中の街はどうすればいいのか。それで、新潟や群馬などの7町村の有志が集まって雪国観光圏を作ったのです。要は、エリア全体で金沢に匹敵するようなブランドを創らなきゃいけないということでした。
その核心部分はやはり雪国文化なんですね。同じ新潟県からは『里山十帖』の岩佐社長、群馬県みなかみ村からは『仙寿庵』の久保社長なども参加しています。僕らは宿ですから、施設に雪国文化をいかに落とし込むかをずっと考えてきたわけです」
従って、冬がいちばん分かりやすいのだそうだ。
「1階部分は完全に埋まってしまって2階まで雪が積もる。赤ワインを片手に雪を眺めながらボーッと過ごすのがいい。雪そのものに価値があるわけです。冬の稼働率はほぼ100%ですから、お客様も冬の良さを感じていらっしゃるんです。なんか居心地がいいんだよねーってことでしょうね」
ほかに、提案するものは?
「新潟と言いますと、米と酒のイメージしかないでしょう。スキーなら長野県のほうがいいよねと思われちゃうし。世界遺産があるわけでも、名所旧跡があるわけでもない。南魚沼は日本の地方のどこにでもあるような街なのです。そこで、地域の文化に根ざした格好をつけない丁寧な旅を提案したいのです。名物料理なんかないけれども、冬の料理には雪国文化が詰まっています」
しかし、食事も相当なものだ。「雪国ガストロノミー」なるフルコースは地域の食材に溢れていてとても良かった。
「もちろん、お客さんが求められるレベルのものはお出ししています。一年でメニューは5回変わりますが、3泊ぐらいでしたら、全部のメニューを替えられます。何ならビーガンやベジタリアン対応も100%できます。当日に言われても対応できます。メニュー開発はずっとやっていますから、ビーガンで3泊分も問題なく出せます」
コースの〆に出される炊き立ての魚沼産コシヒカリ塩沢地区限定一等米とけんちん汁。このご飯の甘さ、ねばり、粒立ち、その美味しさと言ったら経験したことがないほどだ。地方の野菜で作ったけんちん汁も凄まじく美味しい。
「山菜の存在を、世界に向けて発信したいですね」
印象深かったのは、朝食のバイキングでご飯をよそってくれる地元のおばちゃんスタッフの言動だ。日本語をまったく解さない白人に向かって、「ご飯はどうする?」「もう少し入れるが?」「味噌汁はどお?」と普通に話しかけていた。こういう触れ合い方は、最高に素晴らしいと思う。
井口社長の発想は相当に珍しい。というか、宿を街との関係性の中で捉えているところがまったく斬新だ。
そもそも、どういう経歴の人なのか?
「もともとは越後湯沢駅前にある旅館『越後湯澤 HATAGO 井仙』の4代目です。地元の高校を卒業してアメリカの大学に留学しました。ワシントン州のスポケーンにあるイースタン・ワシントン大学の経営学部でマーケティングを専攻しました」
そのままMBAを取ろうと思ったが、社会経験がないことに気づき、実家に戻る。
「当時の実家は駅前の温泉旅館で『湯沢ビューホテル井仙』という名称でした。1泊1万円ぐらい。経営が大変だったので、立て直す必要があり、2005年に『越後湯澤 HATAGO 井仙』としてリニューアルオープンしました。
そんなことをしているうちに、湯沢という土地そのものをリブランドしなきゃダメだと思い始めた。湯沢はスキーと温泉というイメージが強すぎるから、スキー以外の時期は困ってしまう。そこで、17年前に雪国観光圏を自分で立ち上げて、取り組んできました。その経緯の中で、『ryugon』をリニューアルした話につながります」
井口社長はこう締めくくる。
「高級旅館だけだったらライバルはいくらでもいるし、お客さんにしてみれば、ウチじゃなくてもいい。ならば、雪国文化というブルーオーシャンで戦いたい。
旅館単体だったらすぐに負けちゃう。でも、地域というものは、他の地域が真似したくともできません。地域が持つ絶対的な価値に紐づいた宿を造れば、とても強固なものになります。この戦いを宿一軒だけで取り組むのならば勝負になりませんが、私たちは地域全体としてそれをやっているのです。他の旅館さんも関連する飲食店さんもそうです。
そこにこそ日本の地方の生きる道があると考えています」
井口智裕(いぐちともひろ)
1973年新潟県南魚沼郡湯沢町生まれ。Eastern Washington University経営学部マーケティング科卒業。旅館の4代目として家業を継ぎ、2005年「越後湯澤HATAGO井仙」をリニューアル。2008年に周辺7市町村で構成する「雪国観光圏」をプランナーとして立ち上げ、運営に尽力し、観光庁の観光産業検討会議の委員も務める。2013年一般社団法人雪国観光圏を設立し、代表理事に就任。観光品質基準、人材教育、CSR事業など広域観光圏事業を中核的に推進している。著書に『ユキマロゲ経営理論(2013年、柏艪舎)』。
構成/執筆:石橋俊澄 Toshizumi Ishibashi
「クレア・トラベラー」「クレア」の元編集長。現在、フリーのエディター兼ライターであり、Premium Japan編集部コントリビューティングエディターとして活動している。
photo by Toshiyuki Furuya
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