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2025.10.31
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永遠の聖地、伊勢神宮を巡る
2025.10.30
伊勢神宮の三節祭の一つ、最も重要なおまつり神嘗祭(かんなめさい)
外宮の由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)の儀のため、斎館を出る黒田清子祭主。
静謐、かつ清浄な空気が、夜の神域を満たしている。頭上には星。時折、カカカカカ、と鳴くムササビの声が、木立の中でひときわ響いて聞こえてくる。
年間に、約1500ものおまつりが行われる伊勢の神宮。なかでも三節祭と呼ばれる10月の神嘗祭(かんなめさい)と、6月・12月の月次祭(つきなみさい)は、浄闇(じょうあん)と呼ばれる清らかな闇の中で行われる。昼間のざわついた空気は一掃され、明かりも、手や足元を照らすごくわずかな松明やかがり火だけ。
今回は、そんな非日常の神域で行われる夜のおまつりの、なかでも神嘗祭についてご紹介しよう。
天照大御神に新穀を奉り、収穫の感謝を捧げる祭典、神嘗祭(かんなめさい)
毎年10月に行われる神嘗祭は、その年に収穫された新穀を、何よりまず天照大御神をはじめとする神々にお供えし、その恵みに対して感謝を捧げる、神宮で最も重要視されてきたおまつり。
この日は由貴大御饌(ゆきのおおみけ)と呼ばれる特別な神饌がお供えされ、米を蒸して作るという御飯(みいい)や小判型の御餅(みもち)、さらに御酒(みき)も新穀が用いられる。
神々が新穀をお召し上がりになり、新しいエネルギーを得ることによって、その威光が大いに高まると信じられてきたのである。
神様の衣も新調。榊も一新され、神嘗祭当日を迎える。
神嘗祭では、新穀だけでなく、さまざまなものが新調されるという。
たとえば、神饌やお祓いに不可欠な御塩(みしお)もその1つ。夏の間、御塩浜と呼ばれる塩田で、日本の伝統的な製塩法によって精製された荒塩(あらじお)は、毎年10月と3月に土器に詰めて焼き固められ、堅塩(かたしお)に仕上げられて保存される。
10月5日の御塩殿祭(みしおどのさい)では、御塩がうるわしく奉製されるように祈願された後、荒塩を土器に入れて焼き固める作業が行われる。
昔ながらの織機で10日ほどをかけて織られる和妙(にぎたえ=絹)。
また、神御衣(かんみそ)と呼ばれる神様の衣も、毎年10月1日から約10日間、昔ながらの織機(おりき)を用いて和妙(にぎたえ=絹)と荒妙(あらたえ=麻)が織られ、神嘗祭前日の神御衣祭(かんみそさい)で、天照大御神に奉られる。
さらに、神嘗祭の前日には、神職たちによって御正殿の御掃除も行われ、鳥居や御門、神垣などを飾るすべての榊と、榊に付けられた和紙製の紙垂(しで)も一新されるという。
神々の衣食住すべてを清らかな状態にして、おまつり当日を迎えるのだ。
一方、奉仕する神職たちも、心身を清浄にしておまつりに臨む。まず前月の晦日、つまり9月30日に、大祓(おおはらえ)で各自の罪や穢れを祓い清め、その後、神嘗祭の前々日から斎館に籠るという。
神宮を訪れるたび、心身ともに清らかですがすがしい心持ちになるのは、1000年以上もの長い間、神職や奉仕員たちが手をかけ、心を尽くして神々の衣食住を整え、自らも清浄さを心がけておまつりを続けてきた、その積み重ねによるのだろう。
神御衣祭に奉る和妙(にぎたえ=絹)が美しく織り上がったことに感謝を捧げる神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんちゃさい)の様子。布のほか、針や糸なども奉納される。
おまつりに先駆けて行われる、伊勢市民による初穂曳
神嘗祭の中心となるのは、神々にご馳走をお供えする由貴大御饌(ゆきのおおみけ)の儀。外宮は10月15日と16日、内宮は16日と17日、それぞれ2度行われる。神宮のおまつりは、すべて外宮先祭(げくうせんさい)、つまり外宮から先に行われるのだ。
もっとも、夜のおまつりに先駆けて、10月15日の午前中には、ハッピ姿の伊勢市民が奉曳車に初穂を乗せ、木遣歌(きやりうた)やかけ声もにぎやかに伊勢市街を練り歩いた後、外宮の宮域内に曳き入れる陸曳(おかびき)という市民行事が行われる。
神嘗祭では、天皇陛下が皇居内の水田でお手植えされ、また収穫された御初穂をはじめ、全国の一般農家からも初穂が奉献されるのだ。これらの稲束は懸税(かけちから)と呼ばれ、感謝を込めて神々へ捧げられる。
さらに、翌10月16日の午前中には、やはり奉献された初穂を、今度は初穂舟と呼ばれる舟に乗せ、五十鈴川を遡って内宮の宮域内に曳き入れる川曳が行われる。
全国の農家から奉献された懸税(かけちから)は、御正殿から2番目の垣に当たる内玉垣(うちたまがき)に掛けられる。古くは年貢のようなものだった考えられている。
内宮の宮域内に初穂を曳き入れる初穂曳きの様子。伊勢市民たちが五十鈴川を遡る形で、初穂舟を曳いていく。途中、橋の下を舟が通るときは、橋を渡る人や車を一時通行停止にする場面も。稲魂(いなだま)が宿る尊いお米の上をまたがないという、日本人独特の心遣いが感じられる。
神嘗祭のはじまりは、地主神への祈りと、
奉仕する神職一人ひとりが神の御心にかなうかを占う神事から
神嘗祭のはじまりは、夕刻5時。
夜に行われる由貴大御饌(ゆきのおおみけ)の儀に先立って、まず内宮の御正宮で、興玉神祭(おきたまのかみさい)と御卜(みうら)の儀が行われる。
興玉神は、天照大御神がご鎮座される場所である大宮処(おおみやどころ)の地主神。御正殿の周囲をぐるりと囲む垣の内側、つまり、御垣内(みかきうち)の西北の隅に祀られている。その神前で、奉仕する神職全員が、これから始まる神嘗祭が支障なく行えるように、祈りを捧げるのだ。
その後、やはり御垣内(みかきうち)の中重(なかのえ)と呼ばれる、清浄な石が敷き詰められた上に、祭主以下、すべての神職たちが着座。その1人ひとりが神の御心にかなうかを占う、御卜(みうら)の儀が行われる。
古式の姿をとどめる庭上座礼(ていじょうざれい)
神宮の祭祀は、他の神社のように社殿などの殿内の床上ではなく、すべてこの中重(なかのえ)のように、屋外の白石が敷き詰められた上に、薄い敷物(舗設=ふせつ)を敷いて座る、庭上座礼(ていじょうざれい)という作法で行われる。
社殿がなかった時代の古代の祭祀は、神は人々の招きや願いに応じて天から降り来たり、しばし巨岩や大木を依代として人間界で過ごした後、再び天へ戻ると考えられていた。神宮の庭上座礼には、そんな古式の祭祀の姿がうかがえるのだ。
神慮にかなうかを、音で知らせる日本独特の音への感性
さて、御卜の儀は、3人の神職によって進められる。まず1人が、今回奉仕する神職1人ひとりの名前を読み上げ、そのつど、別の神職が息を吸って、まず「うそぶき」と呼ばれる口笛のような音を、続けて別の神職が、笏(しゃく)で箏板を叩き、コンという音を鳴らす。無事両方の音が鳴れば、名前を呼ばれた神職の奉仕は、神意にかなったとみなされる。
なかでも注目したいのは、「うそぶき」が、息を「吐く」のではなく、「吸う」ことによって音が鳴らされること。これについては、鎌倉時代に書かれた『皇太神宮年中行事』に、以下の一文が記されている。
『音の鳴るをもってきよらかとしる、鳴らざるをもって不浄としるなり』。
「つまりうそぶきの音が、清浄か不浄かを知らせるということです」。神宮の広報室次長の音羽悟さんは言う。
「神慮にかなうか」という判断に、「清浄か不浄か」が重視され、その告知を音が担うということに、日本独特の音への感性を垣間見る思いがする。
30品目ものご馳走が並ぶ豪華な由貴大御饌。心を尽くしてお供えされる神饌
そして、夜。
太鼓が3度打ち鳴らされ、いよいよ由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)の儀が始まる。由貴大御饌の儀は、宵(午後10時)と暁(午前2時)の2度行われ、宵を夕(ゆうべ)、暁を朝(あした)と表現されているのだ。
ほどなく、太鼓が再び3度鳴らされ、遠くから神職が参進する音が聞こえてきた。玉砂利を踏みしめ歩く一糸乱れぬその音は、途中修祓(しゅはつ)を行うために祓所(はらえど)に参入したときにしばし止み、その後は御正宮を目指してひたすら近づいてくる。
間近に迫ってくる参進の音。それに伴って聞こえてくる、ひそやかな「おー」という警蹕(けいひつ=先祓い)の声。静かな、だがたしかな存在感を放つ音とともに、純白の斎服を身につけた神職たちが、かがり火の中に浮かび上がる。その姿は、ほどなく白い御幌(みとばり)の向こうに消えていった。
ここから先は、時折聞こえるさまざまな音と文献を頼りに、祭祀の様子を想像することになる。
外宮の御幌(みとばり)の向こうに姿を消す神職たち。
大正時代の神職、阪本廣太郎の著書『神宮祭祀概説』によれば、由貴大御饌は、御正殿の前に置かれた素木(しらき)の案と呼ばれる大きな机の上にお供えされるという。
ちなみに、由貴とは「神聖でこの上なく尊い」、大御饌は「立派なお食事」という意味。その言葉通り、神饌には、神宮御園(みその)と呼ばれる菜園で収穫された野菜や果物のほか、海川山野の旬の食材が30品目も並ぶという。
特にアワビは、内宮の由貴大御饌の儀の直前に、御正宮正面の石階段の下にある御贄調舎(みにえちょうしゃ)で、生のアワビを調理する儀式が行われる。
この儀式では、天照大御神のお食事を司どる御饌都神(みけつかみ)であり、外宮の御祭神でもある豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお迎えし、その神前で、神職が清浄な小刀と御箸を用いて、アワビに3度切り込みを入れ、御塩で和えるという。
いかに心を尽くして神饌をお供えするか、この儀式1つからもうかがい知ることができる。
内宮の別宮、荒祭宮で行われる由貴大御饌の儀。神嘗祭は、内宮、外宮の両正宮だけでなく、別宮、摂社、末社、所管社に至るまで、125社すべてで行われる。
さらに、神饌をお供えする際は、龍笛(りゅうてき)や篳篥(ひちりき)などの楽の音に合わせて、神楽歌が歌われる。
ちなみに由貴大御饌の儀では、御酒は3献差し上げることになっていて、その1献ごとに、言葉や節を変えて楽が奏でられ、神楽歌が歌われるのだ。
神宮独特の拝礼作法である八度拝と八開手(やひらで)、そして楽の音や神楽歌
清らかな音に満ちた夜のおまつり
大宮司が微音(=神様だけに聞こえるような微かな声)で祝詞を奏上するのは、1献目の御酒を差し上げた後。続いて、神宮独特の拝礼作法である八度拝、八開手(やひらで)が行われる。
この拝礼作法は、座した状態から立ち上がる「起拝(きはい)」という所作を、まず4度繰り返し、次に伏した姿勢で柏手(かしわで)を8つ打つ。そして、座したままで一拝。再び同じ順序で、4度の起拝と8つの柏手を繰り返すという流れになっている。
八度拝の様子。2025年9月に行われた遷宮関係のおまつり御船代祭の一場面。八度拝と八開手という一連の作法を神職全員で行うことにより、個の存在が消え去り、自ずと全員の呼吸が1つになっていく感覚が生まれると、先の『神宮祭祀概説』には書かれている。
浄闇の中、時折聞こえる楽の音と神楽歌。そして、しめやかな八開手の音。年に1度の新穀をお供えする神嘗祭の夜のおまつりは、真心の奉納と表現したくなるような、清らかな音に満ちていた。
天皇陛下から奉献される幣帛を、勅使が奉る奉幣の儀
最後を締めくくる御神楽(みかぐら)の儀
翌10月16日は、外宮で正午から(内宮は17日)、天皇陛下が奉献される幣帛(へいはく)を、勅使が奉る「奉幣の儀」が行われる。幣帛とは、神饌以外のお供え物のこと。貨幣がなかった時代は、絹織物などが最も貴重な品とされていたことから、神宮では今もその伝統を受け継いで、五色の絹など、数種の織物を奉献していただくという。
最後は、神宮の楽師による御神楽(みかぐら)の儀。夕刻から夜にかけて、4時間にわたり奉納される楽と舞で、神嘗祭は締めくくられる。
「夜は神様が活動される時間です。日が暮れて暗くなると1日が終わり、新たな1日が始まる。そのもっとも大切な1日のはじまりのときに、神様の御心をお慰めさし上げる。そんな古代人の考え方が今に受け継がれています」と音羽さん。
古式をとどめた神宮の祭祀には、日本人が大切にしてきた心が詰まっている。
Photograph by Akihiko Horiuchi
Text by Misa Horiuchi
伊勢神宮
皇大神宮(内宮)
三重県伊勢市宇治館町1
豊受大神宮(外宮)
三重県伊勢市豊川町279
文・堀内みさ
文筆家
クラシック音楽の取材でヨーロッパに行った際、日本についていろいろ質問され、<wbr />ほとんど答えられなかった体験が発端となり、日本の音楽、文化、祈りの姿などの取材を開始。<wbr />今年で16年目に突入。著書に『おとなの奈良 心を澄ます旅』『おとなの奈良 絶景を旅する』(ともに淡交社)『カムイの世界』(新潮社)など。
写真・堀内昭彦
写真家
現在、神宮を中心に日本の祈りをテーマに撮影。写真集「アイヌの祈り」(求龍堂)「ブラームス音楽の森へ」(世界文化社)等がある。バッハとエバンス、そして聖なる山をこよなく愛する写真家でもある。
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永遠の聖地、伊勢神宮を巡る
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