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2026.9.12
見えない美に光を当て、「彼方」へ 「A Lighthouse called Kanata」が世界に築いた、日本美術の航路
イタリア産トラバーチンの壁面と、作品に合わせて光量や色温度を調整する特注照明が印象的な1階メインギャラリー。一般的なホワイトキューブとは異なる荘厳な空間が、作品の素材感と陰影を際立たせる。画像提供:A Lighthouse called Kanata
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顧客も所属作家もいなかった創業直後、ロンドンの国際アートフェア「COLLECT 2008」にわずか8平方メートルのブースで初出展し、作品を完売。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)が3作品を購入した。2013年からは世界屈指のアートフェア、TEFAF Maastrichtへの出展を重ね、現在ではArt Basel HKやFrieze Seoulなどのアートフェアに加え、メトロポリタン美術館(The Met)やV&A、龍美術館をはじめ、世界の一流美術館やトップコレクターへ日本の作家を紹介している。青山にあるギャラリー「A Lighthouse called Kanata」は、日本のアートシーンでは、まだそれほど話題にのぼることがないが、海外で確かな実績のあるアートギャラリーだ。
その活動を貫くのは、日本に眠る優れた作家と作品の魅力を、自らの審美眼で選び、質の高い英語の文章と展示によって世界へ正確に伝える仕事だ。彫刻家の安田侃などアーティストから寄せられる信頼も厚い。Premium Japan Awardは、日本の美を世界の評価へつないできた同ギャラリーと、それを率いる青山和平の功績に光を当てたいと考え、第1回アワードを贈ることとした。
2025年に移転したばかりの表参道のギャラリーで、青山和平に話を聞いた。
世界の美術館が訪ねてくる「灯台」
表参道近くの静かな通りに佇むA Lighthouse called Kanata。日本の優れた作品を見出しその魅力を世界のトップ美術館やコレクターに伝えることで、日本のアートシーンの未来を明るく照らそうとしている。画像提供:A Lighthouse called Kanata
異色の経歴を持つギャラリスト「A Lighthouse called Kanata」代表の青山和平。米英で教育を受け、確かな審美眼と堪能な英語力を用い、まだ光を浴びていない日本のアート作品を世界に紹介し続けてきたことで、今では海外の有名美術館やトップブランドから厚い信望を得ている。
東京・表参道。まい泉通りから少し入った場所に、地上3階と屋上テラスからなるA Lighthouse called Kanataの新しい拠点が立つ。3フロア構成で床面積は約720平方メートルと広い。
「言葉、宗教、国境、人種を超えて、一見して人の心を打つものこそ、本当に優れたものだと思います。その感覚を生み出す演出として、このギャラリーをつくりました」と青山は言う。
建物に入ってもすぐにギャラリーは現れない。入り口の先には茶室のにじり口を思わせる長い通路があり、突き当たりを曲がった扉の先にやっとギャラリーが姿を現す。一般的なホワイトキューブ(白壁)のギャラリーではなく、壁は重厚な石灰岩。その荘厳さに圧倒される。使われているのはイタリア産のトラバーチン。光が細かな凹凸に触れ、作品の輪郭と影を静かに浮かび上がらせる。
実は青山には、空間について忘れられない原体験があるという。若い頃、夜の大聖堂に足を踏み入れると、静寂に包まれた空間で、一つの作品だけが月明かりに照らされていたという。
「宗教心の有無にかかわらず、誰もがその美しさに感動したと思います」このギャラリーでも、そんな荘厳さを感じて欲しかったという。
2階には招待制のセカンドギャラリーに加え、VIP用のプライベートビューイングルームやバーが用意されている。客がソファに腰かけ、セラーから運ばれてきたワインを楽しんでいると、目の前の引き扉が開いて、おすすめの作品1点だけが現れる。作品との対峙が終わると、一度、扉が閉まり、次の作品の登場とともに再び扉が開く。作品と人が一対一で出会うための、小さな儀式--上質を知る世界のトップバイヤーやトップコレクターを微笑ませる、こうした仕掛けが、青山が本当に世界のトップ層を相手に仕事をしていることを伺わせる。
ギャラリーでは見る人の目線を想像し、展示台の高さはもちろん、作品同士の間合い、光の光量や色温度まで調整する。青山にとって作品の展示とは、完成した作品を並べる最終工程ではなく、作品が持つ力を最大限引き出す創造行為だという。
今ではこのギャラリーを目指して、海外の美術館がツアーを組む。シンシナティ美術館やヒューストン美術館のトラスティーが来廊し、メトロポリタン美術館は金沢の老舗料亭から料理人を迎えて晩餐会を開く。そして世界のトップファッションブランドのプライベートイベントも行われているという。
VIPルームのバーカウンター。正面には彫刻家・安田侃の《天秘》を配し、カウンターにはアイルランドの作家ジョセフ・ウォルシュによる流麗な木製椅子が並ぶ。作品と家具、もてなしが一体となったKanataの美意識を感じさせる。
2階には開催中の個展とは別に同ギャラリーが扱う主力作家の作品が並べられた予約制のセカンドギャラリーが用意されている。
顧客も作家もゼロ。8平方メートルからV&Aへ
青山は1979年、東京生まれ。1歳から9歳までを海外で過ごしたが、高校時代、横浜美術館で見たターナー展に衝撃を受けた。ニューヨークでの大学時代にはジャクソン・ポロックの《Autumn Rhythm: Number 30, 1950》に圧倒された。人生の節目ごとに、進む方向を変えるようなアート作品と出会ってきたという。
だが、大学で選んだのは美術ではなく法律だった。ニューヨーク大学を卒業後、オックスフォード大学大学院へ進学。法律を学んだのは、弁護士を目指したからではなく「法律的な頭の使い方」に興味があったから。実は小説家や政治家になることも考えていたという。
転機は、長く疎遠だった父からの連絡だった。父は南青山で陶磁器や器を扱う小さな店、酉福(ゆうふく)ギャラリーを営んでいた。大学院修了後の一年間、静岡県三島市にあった姉妹会社で陶磁器の仕事を学びながら、小説を書いてみないかと誘われた。
「いざ行ってみたら、全く文章が書けなかった。もう全然、筆が進まないんです。ただ、不思議と焼き物、陶磁器の世界には入り込んでしまって、素晴らしい世界だと思いました」
父の商売の方法と、自分の考えには隔たりがあった。修業後はいったん外資系企業へ就職し、世界各地を飛び回る。そこで妻と出会い、結婚を機に独立した。会社員として指示通りに動くより、自分の信じる価値を形にする道を選んだ。
実は海外生活と欧米の美術館巡りを通して、青山は大きな疑問を抱き始めていたという。
「これほど豊かな日本の美術文化が、なぜ世界でほとんど知られていないのか。2000年前後には、杉本博司や草間彌生でさえ、現在ほど大きく紹介されていませんでした。」
青山には確信があった。
「客観的に見ても、日本の美術文化は世界に冠たるものです。全く引けを取っていない、むしろ勝っているんじゃないかと思うものがたくさんある。それなのに、紹介されていなかった。だったら、そこで自分にしかできない仕事は何だろうと考えたんです」
2007年、結婚祝いのご祝儀を元手に東空アートを設立した。登記も自分で行った。人脈も資金もなく、顧客も作家もゼロ。それでも「日本の美術文化を世界へ紹介する」という一点だけは決まっていた。
ほどなく、英国のヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)を会場に開かれる国際アートフェア「COLLECT」の案内をインターネットで見つけた。「これだ」と思った。この時点ではまだ自分のギャラリーがなかったため父に「酉福」の看板を借り、出展費用も周囲から借りた。当時は1ポンド約260円。選んだ6人の作家を、8平方メートルのブースへ持ち込んだ。
「まだ所属作家もお客様もいませんでしたが、飛び込みました。もしかすると勝てるかもしれないという自信がありました」
日本でまだ知られていない作品でも、世界の人々なら先入観なく評価してくれるのではないか。そう考えての挑戦だったという。
結果は完売。V&Aが三原研、武山直樹、長江重和の作品を購入し、世界的なコレクターも顧客になった。青山は「本当にラッキーでした」と笑うが、幸運を一度の出来事で終わらせなかったことこそが、このギャラリーの本質だろう。
すべてが順風満帆だったわけではなく、最初の頃はお客様が少なく、雀の涙ほどの売り上げしかない時期もあったが、継続することで、少しずつ力がついてきたと青山は振り返る。
「自分が何をしたいのか、世界に何を残せるのかという理念が何よりも先にありました。利益はその後からついてきました」
父の引退を機に、2011年には東空と酉福を統合。2020年に「A Lighthouse called Kanata」へと改称した。「Kanata=彼方」は、遠く向こう側を指す言葉。「Lighthouse」は英語で「灯台」のことだが、ここには二つの日本語を重ねている。「灯台下暗し」と「一隅を照らす」だ。
「日本人は、目の前にある自分たちの美術文化に気づかない。若冲も浮世絵も、具体美術も、海外で評価されてから日本で評価を得た。だったら世界のトップの人たちに先に知ってもらい、そこから日本へ戻せばいいと思ったんです」
光を遠くへ送り、その光によって、足下にあった日本の美を日本人自身も見つけ直す。少し風変わりで長い名称には、青山の戦略とロマンティシズムがそのまま刻まれている。
VIPによる貸切イベントなどにも頻繁に利用されるA Lighthouse called Kanata。実はルーフトップにも素敵な家具を揃えたテラスが用意されている。
「素材・技術・美」を、世界の言葉にする
Kanataは、絵画や彫刻に加えて陶磁、ガラス、金属、漆、竹や木などの様々な素材でできた作品も取り扱う。いわゆる「工芸」の素材を用いる作家も多い。あえて用途や技法によって工芸と美術を切り分けない。素材と技術によって空間を変える表現を、同時代のアートとして提示している。
青山が作品を選ぶときの基準は明快だ。
「一過性の流行は追いません。100年後、200年後の日本に何を残せるか。最初のフェアから、作品を選ぶ目線は変わっていません」
優れた作品には三つの要素がある、と青山はいう。第一は、作家が素材を深く理解し、愛していること、すなわちマテリアリティ。第二は、その人にしかない卓越した技術、クラフトマンシップ。そして第三は、素材と技術を誰も見たことのない表現へ昇華するビューティー、美への執着だ。
「本当に優れた作品、普遍的な美や名作には、三つの要素があると思っています。何千年前のエジプトでも、ローマ帝国でも、ルネサンスのラファエロでも変わらない法則です」
青山は、その作品が時代や文化の違いを超えて人に届くかどうかを重視するという。「一見して人の心を打てるか。それは本来、とても大切なことです。たとえば2000年前のローマ帝国の人に見せても、その技術や美しさが分かるかです」
一方で、コンセプトだけが先行し、素材や技術、美を軽視する昨今の風潮とは一線を画す。作品に込めた考えは、素材の選び方や技術、目に見える形として表れるべきだと、青山は考えている。手でつくる行為が軽視されがちな時代に、Kanataは素材、技術、美の結びつきを現代美術の中心へ引き戻そうとしている。そして、その美学を「形象派(Keisho-ha/School of Form)」、あるいは「New Materialism」として発信している。
こうした美術的価値の発信で、青山が何よりも大事にしているのが「言葉の力」だという。初回の海外アートフェア出展時から自らカタログを制作し、作品や作家についての説明も自身で書いてきた。
「日本語と英語の説明を、AIに任せることなく、自分の視点で書く。美術館に作品を購入していただくときの解説も、私が書かせてもらっています。誰かに教えられたのではなく、自分がお客様なら、どうすれば納得するかを考えてそうしました。」
その文章は、ただ作品の背景を説明するだけではない。なぜその素材でなければならないのか。伝統技法がどのように更新され、どんな空間を生み出すのか。作家の手から生まれたものを、世界の美術史やコレクションの文脈へ接続することを心がけているという。要するに販売のための説明ではなく、日本の美意識に国際的な居場所を与えるための文章を書いているのだ。
生田丹代子のガラス彫刻は、その成果を示す一例だろう。板ガラスを切断し、接着し、幾層にも重ねることで、光と動きを内包する螺旋状の形をつくる作家だ。2010年にV&Aが作品を購入し、2019年制作の《Ku-131 (Free Essence-131)》はメトロポリタン美術館のコレクションに入った。国内では「工芸」と見られていた表現だが、青山の言葉の力で、海外のギャラリーでは現代の彫刻として受け入れられた。
「うちは作家任せにしません。二人三脚で、その作家の一番いいところを引き出す。いままで見たことのない世界観や作品を一緒につくっていく。口だけ出すのではなく、お金も出す。それを大切にしてきました」
作品を買い取り、制作資金を支え、長所と弱点を率直に伝え、展示まで組み立てる。
そのやり方の手本にしているのは、印象派を支えた画商ポール・デュラン=リュエルだという。まだ評価されていなかったモネやルノワールの作品を買い支え、制作を続けられる環境をつくった人物だという。
作家には年上年下関係なく率直に接する。コレクターに対する態度もそうだという。数年後に価格が何倍になるといった根拠のない約束も口にしない。
「ごまもすらないし、媚びない、そして何より嘘をつかない。。大事なのは嘘をつかないことです。できること、できないことは率直に伝えます。若手作家のよくない作品に『よい』と言うことは、一番よくないと思っています。」
とにかく作品の本質を基準に話しをする。これこそが作家と顧客双方からの信頼につながっているのだろう。
一方、作品以外の依頼には驚くほど柔軟だ。海外の顧客のために、作品を自ら飛行機でハンドキャリーしたこともあれば、ホテルやレストランだけでなく、いけばな、茶、通常非公開の文化財を巡る旅程まで組むという。
「ギャラリストは、単なる小売業ではありません。サービス業だと思っています。だから、どんなお願いをされても、それを無茶ぶりだとは思いません。『これはうちにしかできないことだ』と考えて率先してやっています。」
2階に用意された特別な顧客のためのプライベートビューイングルーム。奥の壁には青山が注目する若手の村松辰之介の《瀧図》(2024)、テーブルの上には加藤貢介の《Legato XIV》(2023)が飾られている。右側の黒い部分は扉が引き戸になっており、コレクターが訪問した際には、この扉の奥に作品をただ1点だけ飾って見せるという。セラーにはハウスシャンパンのアンリ・ジローを含むワインを常時100本以上用意。
光を世界へ送り、日本へ戻す
大阪・関西万博アイルランド館前に展示されていたジョセフ・ウォルシュの作品《Magnus RINN》は、その後、京都の知恩院に展示され大好評を博している。
ジョセフ・ウォルシュ 2025年大阪・関西万博作品「Magnas RINN」ー京都・知恩院へ設置
画像提供: Ito Makoto, Coutesy of Joseph Walsh Studio
2025年大阪・関西万博のアイルランド・パビリオンの目の前には、高さ約6メートルの黄金の円環《Magnus RINN》が設置された。アイルランドを代表する作家ジョセフ・ウォルシュによる初の大規模屋外彫刻である。下半分は人の手の痕跡を残すブロンズ、上部は木からなり、全体が金箔で覆われる。人と自然、時間の循環を象徴する作品だ。
Kanataはウォルシュを長く紹介し、その仕事を通じてアイルランド大使館や同国外務省との関係を築いてきた。万博のアイルランド館では、ウォルシュと青山が培った国際的な信頼が、国を代表する作品へ結実した。万博後、《Magnus RINN》は京都・知恩院へ移設され、アイルランドと日本、現代彫刻と寺院を結ぶ新しい風景をつくっている。
このプロジェクトは、Kanataの仕事が美術品の売買にとどまらないことを示好事例だ。作家、政府機関、大使館、造園家、歴史的な場所を結び、互いの文化が対話できる場をつくる。日本美術を海外へ紹介するだけでなく、海外の優れた作家を日本の文脈へ迎え入れる、双方向の文化活動だ。
海外の優れた作家を日本へ迎え入れる一方で、やはりKanataの活動の原点は、日本でまだ十分に評価されていない美術を世界へ送り出し、そこで得られた評価を日本へ還流させることにある。
その視線は、評価がまだ追いついていない戦後作家から、世に出たばかりの若い世代まで、幅広く注がれている。
戦後作家の一人として青山が名前を挙げたのが、菅井汲だ。「具体以上の可能性があるのに、現時点では日本でも世界でも十分に評価されていません」と話す。
一方、次の世代について尋ねると、青山はVIP用プライベートビューイングルームの壁に掲げられた《瀧図》という作品を描いた村松辰之介を挙げた。
「これは写真じゃないですよ。絵ですからね。この技術の凄さは、2000年前の人にも分かると思うんです。彼が24歳のときに描いた作品です」
幅2メートルを超えるアルミニウムの画面に、油彩で滝を描いた作品。光を受けて表情を変える銀色の画面には、流れ落ちる水が精緻に描き込まれ、写真と見紛うほどの迫力がある。
青山が作品選びの基準とする「素材・技術・美」を凝縮した一枚と言えよう。
このように青山は、知名度や経歴ではなく、作品そのものが持つ力を自身の審美眼で見抜く。そして、その価値を日本語でも英語でも、曇りのない言葉で伝える。言葉だけなら、理念を語ることは難しくない。しかし、目の前にある作品の美しさと、生田丹代子をはじめ、青山が世界へ紹介してきた作家たちのその後の実績が、その審美眼と語りに確かな裏付けを与えている。
「こうした人たちの『一隅を照らす』ことが、Kanataの大切な理念です。忘れられた存在、埋もれている存在に光を当て、日本の美術界の希望の光として世界へ伝えていく」
Premium Japan Awardでは、世界の美術館やコレクターの心も動かす青山の審美眼はもちろん、その実績も評して賞を贈らせてもらうこととした。
「灯台下暗し」から見出し「一隅を照らす」ことで未来を明るく灯す。A Lighthouse called Kanataの少し風変わりなギャラリー名には青山和平のそんな想いが込められている。
青山和平 Wahei Aoyama
1979年、東京都生まれ。2001年ニューヨーク大学卒業、2003年オックスフォード大学大学院修了。外資系企業勤務を経て、2007年に東空を設立。2011年に東空と酉福ギャラリーを統合し、オーナーに就任。2020年、ギャラリーをA Lighthouse called Kanataへ改称した。日本の現代美術と美意識を国際的な文脈で紹介し、世界各地の美術館、コレクター、アートフェアとの関係を築いている。
Photos by Hidehiro Yamada
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信州ワインと音楽に浸る、新たな温泉旅館へ
2026.9.5
【界 松本】全館リニューアル。「松本エレガンテに浸る湯宿」が誕生
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長野県・浅間温泉に位置する星野リゾートの温泉旅館「界 松本」が、2026年8月4日に全館リニューアルオープン。「松本エレガンテに浸る湯宿」をコンセプトに、温泉はもちろん、信州ワインや音楽、松本の工芸文化まで、この土地ならではの魅力を堪能できる滞在を提案する。
民芸運動の息吹が残る一方、クラシック音楽が街に響く「楽都」としても知られている浅間温泉。今回のリニューアルでは、そんな土地の文化を背景に、建築、音楽、ワイン、名湯が響き合う空間へと進化した。
「ストゥツキーノ」とスパークリ ングワイン
大きく変わったのが食体験だ。従来の会席料理からイタリアンへと刷新。信州の食材を生かした料理に、冷涼な気候が育む信州産ワイン50種類から厳選したペアリングを合わせ、旅館=和食の常識を覆す。
「GAKUスイート」露天風呂
「GAKUスイート」室内
客室はすべて、松本が育んできた音楽の「楽」をテーマにしたご当地部屋「GAKUの間」へと生まれ変わった。なかでも1室限定の「GAKUスイート」には、リビングに専用のピアノを配したほか、温泉露天風呂やプライベートサウナ、水風呂、テラスも完備。プライベートな空間で、音楽による至高の「ととのい」を満喫できる。
ご当地楽「ソノリティコンサート」
音楽を楽しむ仕掛けはロビーにも。高さ10mの吹き抜けを生かし、毎晩、ご当地楽「ソノリティコンサート」を開催。日によって異なる楽器の生演奏に耳を傾けながら、旅の夜を過ごすことができる。
NAGANO WINE BAR
ロビーには、界ブランド初となるワインバーも誕生。長野にワイン文化を根付かせた「桔梗ヶ原ワインバレー」のワイナリーを中心に、厳選した長野県産ワイン5銘柄をグラスで提供する。食後にワインを片手に音楽の余韻に浸る、そんな大人の時間もこの宿の醍醐味だ。
大浴場「貴天」内湯
大浴場「貴天」露天風呂
湯上がり処
温泉旅館ならではの湯浴みも充実。浅間温泉の湯を引いた内風呂や露天風呂をはじめ、サウナや寝湯など、8種13通りの多彩な湯巡りを楽しめる。湯上がりには、新設された湯上がり処で信州で栽培が盛んなりんごを使った「りんご酢」を味わいながら、ゆっくりと休めるのもうれしい。
温泉旅館の心地よさはそのままに、松本ならではの文化を新しいスタイルで楽しめる「界 松本」。いつもの温泉旅行とはひと味違う、優雅な休日を過ごせそうだ。
◆界 松本
【住所】長野県松本市浅間温泉1-31-1
【客室数】29室(うち露天風呂付き客室 19室)
【付帯施設】ロビー、トラベルライブラリー、ワインバー、ショップ、食事処、大浴場(男女別)、湯上り処、テラス
【料金】1泊 41,000円~(2名1室利用時1名あたり、税・サービス料込、夕朝食付)
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日本のプレミアムなホテル
2026.8.22
125年の時を重ね、いま新しく。 グッドウッドパークホテル・シンガポールの優雅な時間に身を委ねて
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シンガポールを代表するホテルとして、125年以上にわたり時を刻んできた「グッドウッドパークホテル・シンガポール」。映画の舞台としてもたびたび登場する美しい建築は、クラシックホテルとしての威厳をたたえながら、目覚ましい革新を続けるシンガポールの街で、その歴史と文化を今に伝える特別な存在である。
そんな名門ホテルが、受け継いできた伝統を大切にしながら、より快適で洗練された空間へとアップデート。2026年には「メイフェアウィング」がリニューアルし、クラシカルな趣と現代の“クワイエット・ラグジュアリー”が響き合う、新たなページをスタートさせた。一軒のホテルを通して、新旧が美しく共存する街の魅力を旅してみた
シンガポールの歴史とともに歩んだ、ヘリテージホテルの物語
オーチャードロードからほど近い緑の中に佇む、グッドウッドパークホテル・シンガポール。その歴史が始まったのは1900年。もともとは、シンガポールに暮らすドイツ人コミュニティのための社交クラブ「テウトニア・クラブ」として建てられた。
1918年にはマナセ家の3兄弟が建物を買収し、英国の名高いグッドウッド競馬場にちなんで「グッドウッド・ホール」と命名。1922年にはレストラン、カフェ、エンターテインメントを楽しめる社交場となり、同年には世界的なバレリーナ、アンナ・パヴロワによる華やかな公演も行われた。
そして1929年、「グッドウッドパークホテル」として新たな歴史をスタートさせる。当初はマラヤ(イギリス植民地下のマレー半島の連邦)から訪れるビジネス客などを迎え、1930年代末には広く知られるホテルへと成長した。当時の著名なゲストには、後にウィンザー公となる英国のプリンス・オブ・ウェールズも名を連ねている。
その後、ホテルはシンガポールの激動の歴史を見つめることになる。第二次世界大戦中、日本占領下では日本軍高官の宿舎として使用され、終戦後には英国による戦争犯罪裁判の法廷に。1947年にはマナセ家の子孫、ヴィヴィアン・バス氏のもとへ返還された。
ここからホテルは、時代を先取りする新たな挑戦を始め、シンガポールのホテルとして初めて敷地内にスイミングプールを設置したり、1960年代には、エアコンを備えたホテル専用タクシーを配備したり、当時東南アジア最長とされたバーや空調管理されたワインセラーなどを備えて、革新的なサービスや設備を次々と導入していく。
さらに1989年には、ホテルを象徴する歴史的なグランドタワーが国定史跡に指定されるなど、125年以上に及ぶホテルの歩みは、そのままシンガポールという都市の変遷にも重なっている。
貴族の邸宅のようなローズマリースイート。ここには世界の王族や国際的な著名人、国家元首などが滞在している。
ゆったりとした時間が流れるロビー。
新たな魅力となった「メイフェアウィング」の心地よさ
近年、オーチャードロード周辺にはモダンでスタイリッシュなホテルが相次いで誕生し、シンガポールのホテルシーンも大きく進化している。その一方で、長い歴史を持つグッドウッド・パーク・ホテルも時代に合わせて、2026年に「メイフェアウィング」をリニューアルした。
新しくなったメイフェアウィングには76室の客室を用意。デザインを監修したのは、これまでもホテルの改装を手掛けてきた建築家エルネスト・ベドマール(Ernesto Bedmar)氏。ホテルが長い年月をかけて培ってきた品格を受け継ぎながら、よりモダンでタイムレスな空間へと生まれ変わった。
客室は明るいアースカラーを基調に、天然木やレザー、シザルラグなど自然素材を取り入れた落ち着きのあるデザイン。過度に飾り立てることなく、素材の質感やディテールの美しさを際立たせた空間には、“クワイエット・ラグジュアリー”という言葉がよく似合う。
メイフェアウィングの全客室にはプライベートバルコニーが設けられ、その先に広がるのは穏やかなプールや緑豊かなガーデン。扉を開ければトロピカルな風が室内へと入り、シーリングファンと自然換気による心地よさを感じながら過ごすことができる。
客室は2タイプ。「デラックス メイフェアルーム」は、プールまたはガーデンを望むバルコニーを備え、カップルからファミリーまで幅広い滞在に対応。「デラックス プールサイドルーム」は1階に位置し、客室から直接メイフェアプールへアクセスできる特別なつくりである。朝、バルコニーの扉を開け、緑を眺めながら風を感じ、あえて何もしない時間を楽しむのも良し。
リゾートのような落ち着いた印象のデラックス・メイフェア・ルーム。
機能的で贅沢なデラックス・メイフェア・ルームのバスルーム。
“食べるために訪れる”のも、このホテルの楽しみ
そして、グッドウッド・パーク・ホテルを語るうえで欠かせないのが「食」である。
宿泊したことはなくても、アフタヌーンティーや中国料理、ドリアンスイーツを目的にホテルを訪れたことがあるという人も少なくないだろう。長い歴史とともに育まれてきたダイニングは、それ自体がこのホテルを訪れる理由となっている。
ホテルを代表する「Gordon Grill(ゴードングリル)」の名物は、クラシカルなミートトロリーサービス。ゲストの目の前まで運ばれてきた肉を選ぶというスタイルにも、歴史あるホテルダイニングならではの優雅さが漂う。
シンガポール屈指のステーキとコンチネンタル料理を提供する、ゴードングリル。
中国料理なら「Min Jiang(ミンジャン)」へ。四川料理や広東料理を味わえるほか、「Min Jiang Dempsey(ミンジャンデンプシー)では本格的な北京ダックも堪能できる。午後には「L’Espresso(レスプレッソ)」でイングリッシュ・アフタヌーンティーをビュッフェを楽しむのもいいだろう。また、「Coffee Lounge(コーヒーラウンジ)」の台湾粥も長く親しまれてきた味である。
本格的な四川料理と広東料理が楽しめる、ミンジャン。
そして、このホテルの名をシンガポールで広く知らしめているもののひとつがドリアン。「The Deli(デリ)」のドリアンパフェをはじめ、季節のスイーツや月餅など、ホテルメイドの味を目当てに訪れるファンも多い。
朝食を楽しんだらプールへ。午後にはアフタヌーンティー、そして夜はゆっくりとディナーへ。街へ出掛けなくても、一日を通してさまざまな美食に出会える。
ホテル中央にある、メインプール。
コーヒーラウンジやレエスプレッソ、またデリで楽しめるアフタヌーンティーも見逃せない。
ホテルで過ごす時間そのものを、旅の目的に
グッドウッドパークホテル・シンガポールが位置するのは、シンガポールを代表するショッピングエリア、オーチャードロードにほど近い場所。中央ビジネス地区へも車で約10分と、街を楽しむ拠点として申し分のないロケーションである。
けれど、このホテルに滞在するなら、観光のためだけの拠点にしてしまうのは少しもったいない。館内には2つの屋外スイミングプール、フィットネスセンター、ビューティー&スパサービスなどが揃い、ホテルの中でゆっくり過ごせる環境が整っている。
歴史ある建築の中を歩き、緑を眺めながらお茶を飲む。プールサイドで何もせず、ゆっくりと流れる時間に身を委ねる。旅先ではつい予定を詰め込みたくなるものだが、そんな余白こそが旅を豊かなものにしてくれるのかもしれない。
シンガポールの“今”と、その背景に流れる125年の時間。その両方を感じる旅の舞台として、「グッドウッド・パーク・ホテル」を訪れる、まさに一度は体験したい時間である。
22 Scotts Road, Singapore 228221
Text by Yuko Taniguchi
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2026.8.14
進化する名旅館「大谷山荘」変革の軌跡と奇跡に迫る
大谷山荘の脇を流れる音信川に設置した川床では、焼き立てのパンが楽しめる。
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「大谷山荘」――旅館や温泉愛好者にとっては、知らぬ者のない名旅館である。山口県長門市にあるこの宿は、 2016年12月に開催された「日露首脳会談(安倍晋三首相・プーチン大統領)」のワーキング・ディナーの舞台となったことが記憶にある人も多いだろう。98室もある大型旅館であるにもかかわらず、きめ細やかなサービスを称賛する声はいや増すばかりだ。その旅館のオペレーションが高く評価されて、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。山の緑が生き生きと照り輝く時節に、大谷和弘・代表取締役社長を訪ねた。
2023年に大きく変えた戦略シフト
室町時代に開湯し、600年もの歴史を有するのが山口県の長門湯本温泉である。
この温泉郷を代表する旅館が「大谷山荘」だが、旅館や温泉愛好者がこぞって訪れる豪壮な宿だ。温泉街の真ん中を貫く音信川(おとずれがわ)が、宿のすぐ脇を流れている。春には桜の並木、夏には蛍を鑑賞できる透明度の高い川である。
「大谷山荘」の5代目の主人である大谷和弘・代表取締役社長に聞いた。
長門湯本温泉郷でも、威容を誇る大谷山荘。蛍も舞い踊る音信川。
客室は全98室で、23タイプに分かれている。
「今のところ、本格的な改装としては最終段階のものを2023年に行いました。10畳の純和室が24部屋あったのですが、それらをすべて改装し、露天風呂付きのスイート客室、畳部屋に調和した設えにベッドを備えた、現代的な和洋室に変えました。2部屋をドッキングさせて広くした部屋もあるので、全108室から全98室となりました。これによって、露天風呂付きの客室比率が全体の2割となりました」
広々としたスイート客室。露天風呂付きだ。
大改装をする決断には理由があった。
「きっかけはコロナ禍です。それを転機として、経営戦略が大きくシフトしました。以前からの構想でもあったのですが、団体のお客様から個人の顧客を主軸にした経営ヘ本格的に舵を切りました。それは大きな経営判断ではありました。うまく行くかどうかは賭けでしたが、結果として顧客満足度と客単価の向上につながりましたね」
コロナ前比で、宿泊客数は約2万人減少したにもかかわらず、宿泊売り上げは同水準を維持したというから凄い。
部屋付きの露天風呂は源泉掛け流し。そこからの山の眺望が見事だ。
奇跡的なソフトウェアの変革
以上は、見た目にもわかりやすいハードウエアの改革だが、大谷社長の変革の主軸はソフトウェアにあった。それは五項目にのぼる。それを説明する前に、ゲストが初めに体験するのは、全車に対するバレーパーキング(スタッフが駐車・出庫してくれるサービス)のオペレーションや、一組一組へのチェックイン対応である。この規模の旅館でそれを実行するのは奇跡的とも言える。
さて、五項目であるが、その第一として「情景(眺め)=ご馳走という価値設定」がある。
「大谷山荘が定義する贅沢さって何だろうと考えた時に、やはりこの場所の固有性にあると思ったわけです。今までは、旅館の脇を流れる音信川を望む客室をひとつの目玉と考えていたのですが、部屋から目の前に見える『山』の眺望も、お客様にとってのご馳走なのではないかと気づいたのです。原点的に『山荘』じゃないかと」
なにしろ、客室から目の前に迫り来る山の緑は圧巻だ。
「眺望の弱い部屋は、館内体験を充実させることで補完しています」
日本海に面する仙崎港直送の新鮮この上ない魚介類。
第二は、「料理の刷新」だ。
「料理の刷新は三つに分かれます。一つ目は料理を『一品出しの喰切料理へ移行』させたことです。大規模旅館では難易度が高いオペレーションなのですが、2023年から敢行しました。二つ目は『献立の月替わり化』です。従来は年に4回だった献立変更を、月替わりに変更し、リピート顧客の満足度を向上させました。三つ目は『提供種類の集約』です。かつては、多様な価格帯に合わせて会席料理のコースをつくっていたため、十数種類もあった会席料理は、単価を高めることによって最終的に2種類まで集約されました。それによって、一品の品質向上とオペレーションの効率化が実現できたのです」
確かに、「大谷山荘」の一品料理は、満足度が極めて高いものだ。この規模の旅館でそれを実現している事実には驚きを禁じ得ない。
着物を着たスタッフも客にとっては風景の一部。歩き方まで指導している。
第三は、「リノベーションの工夫」だ。
「これは改装に絡むことでもありますが、既存の和室構造にあった床の間や押し入れをデスクスペースなどに転用しました。また、タオルウォーマーやコーヒーマシンを全室に導入して、お客様の要望を反映させています」
第四は、「施設の有効活用」である。
「これもコロナ禍がきっかけではありますが、コロナ化で不要になった団体客向けの二次会施設(クラブ)を、露天風呂付き客室の宿泊者専用クラブラウンジに転換しました。また川沿いの和室を個室食事処に改装することで、部屋食を減らしてレストラン食ができるようにしました」
第五は、「朝食の魅力向上」だ。
「朝食の評価が課題だったのですが、パン職人を採用して、館内で毎朝焼き上げる自家製パンを提供することにしました。これが今や名物となりまして、『大谷山荘のパン』としてブランド化に成功しました。余ったパンは社員食堂で提供し、フードロス削減に役立てています。実は従業員も楽しみにしていまして、満足度もそれで向上しました」
朝食は和食、洋食、バイキングから選ぶことができる。
これだけの施策をコロナ禍以降だけに限っても、矢継ぎ早に繰り出して、いずれも成功に導いた大谷社長の手腕は、見事の一言に尽きる。そのビジョン、先見性、ゲストの立場に立った想像力、胆力とリーダーシップ……、それらは数多の旅館経営者あれども、国内屈指のものと言えるだろう。
「別邸音信」のロビーには、作家の作品が展示してある。
地元とのつながり
旅館としての付加価値を高めるため、大谷山荘では地元との連携を大切にしている。
大谷山荘の強みは、「土地の人・自然・日本文化」が融合した「総合力」にある。その地域連携は大きく分けて3つある。
一つ目は「食文化との連携」だ。
「日本海が至近の距離にあることから、魚介類が実に豊富です。しかも新鮮この上ない。大型旅館では珍しいことですが、卸売市場の仲買権を持っていますので、魚介類や野菜は市場に直接買い付けに行ってます。
また、地元の酒蔵の岡崎酒造さんと米の配合を相談して決定した、当館でのみ味わえる日本酒『純米吟醸 音信』を開発したり、萩で採れる天然海藻を伝統製法(手摘み・天日干し)で作るこまめ小町さんと連携して、朝食で提供するオリジナル食品の『青のり蒲鉾』を開発しました。実は、長門市は養鶏が盛んでして、焼鳥文化が根付いています。連泊の外国のお客様たちを街の焼鳥屋さんにご案内すると大変喜ばれます」
「別邸音信」での一品。すべての品に作家ものの器を合わせている。
二つ目は「場所の文化資本との連携」である。
「長門湯本からほど近い深川(ふかわ)窯には5軒の窯元がありまして、その深川萩焼を作る5家は創業時以来からのお付き合いです。板倉新兵衛窯、田原陶兵衛窯、新庄助右衛門窯、坂倉善右衛門窯、坂田泥華窯です。萩の三輪休雪窯、天龍山窯(てんちょうざんがま)の兼田昌尚さん、金子司さんとも昵懇にさせていただいています。そして、ガラス作家の西川慎先生ですね。先生方の作品を館内のいたるところに展示してあります。
また、料理に合わせた器を共同開発させていただいておりまして、大谷山荘に隣接する『別邸音信』の『日本料理 雲遊』では、先生方の作品を取り入れたご夕食を提供しています。宿泊のお客様と一緒にアトリエを訪れる体験などもしていますが、とりわけ海外のお客様には好評ですね」
例えば、この夏の献立に使われたのは、お造りには田原崇雄氏の流白釉鉢、焼物には坂倉善右衛門氏の月煌彩器、温物には16代坂倉新兵氏の刷毛目蓋碗、揚物には坂倉一渓氏線紋平皿、すべてに作家ものの皿が合わせられていた。
「恩湯」では、住吉大明神が見守る中、岩盤から湧出する湯が見える。
ザバザバ流れる「生まれたての温泉」
三つめは「地域事業者との連携」だ。先の焼き鳥屋への客の送致もしかり。
「当館では、長門湯本温泉の象徴とも言うべき公衆浴場『恩湯(おんとう)』を、お客様に体験していただいております。施設の営業開始前の貸し切りプランがありまして、それですと、外国のお客様も気兼ねなくご利用いただけます。先日は、3日連続で貸切られたお客様もいらっしゃいました」
この『恩湯』の再生には3年の月日を要したが、それにはワケがあった。浴場を解体して精査してみると、掘削ではなく、岩盤から直接お湯が湧いている自然湧出温泉であることが判明した。それだけではなかった。
「実は浴槽の下から、もうひとつの泉源が出てきたのです。なんと足元湧出温泉でした。。
一般的に温泉がいちばん鮮度が高いのは地中にあるときです。一旦外に出ると、空気に触れて酸化が始まる。だから、温泉の鮮度は、泉源から浴槽までの距離にかかっているのです。足元湧出温泉の凄さって、その距離がゼロということです。それは酸化ゼロの『生まれたての温泉』で、国内でも稀有な自然資本だったのです」
凄まじいポテンシャルを秘めた温泉だったのだ。しかも背後には、神道と仏教が交わる神仏習合の600年もの歴史がある。この文化資本、歴史資本をいかにして現代に相応しい形で蘇らせるかにフォーカスした。お湯の成分はアルカリ性単純温泉で、浴槽に注がれる温度は36~38℃。ゆえに、30分ほどゆっくり浸かっていると、皮膚に温泉が染み込み、体の芯から温まるのだ。その存在は、まさに、長門湯本温泉の中核を成す「宝物」と言えるだろう。
「別邸音信」の美しいエントランス。円錐形の木組みが印象的なホールは、高台寺の茶室「傘亭」を模した。
「別邸音信」は一段上のラグジュアリーな館
「別邸音信」にも少しだけ触れておく。
大谷山荘に隣接する別邸が完成したのは2006年のこと。とても20年前の建物とは思えぬほどモダン・シックな数寄屋造りだ。ゲストは靴を脱いで玄関から先に進むが、敷き詰められた畳の感触を、足裏で直に感じられるところがいい。レセプションの奥に広がる空間はとてもゆったりとした造りだ。ライブラリーには地元の誇りでもある、画家の香月泰男や童謡詩人・金子みすゞの書籍をはじめ、趣味のいい美術全集などが並ぶ。13歳未満の入館を制限しているため、館内は静寂が保たれている。
ほかの施設として、茶室、大浴場、スパ施設「グランデスパ音信」、フィットネスジムが備えてある。「The Bar OTOZURE」では、夕刻のサービスタイムにスパークリングワインなどが提供される。客室はゆとりある敷地に、わずかに18室のみ。全室に源泉掛け流しの露天風呂も完備している。なにしろ、ご飯もこの上なく美味しく、至れり尽くせりの宿だと言うことができるだろう。
顧客にお喜びいただくために
ミシュランガイドで「別邸音信」が2年連続で一つ星、ゴ・エ・ミヨ日本版第2号出版を記念した表彰でホスピタリティ賞受賞、Forbes Destinations of the Year 2026 The 30 Collectionにて選出、JTB 「サービス最優秀旅館・ホテル」大規模施設の枠にて、最優秀旅館を受賞(6回)、じゃらんアワード2025 中国・四国ブロック「泊まってよかった宿大賞(総合)」受賞など、高い評価を得ている。
「実際的には、このエリアの暮らしをつくり、文化をつくっていくには、数十年はかかろうかと思います。この場所らしい『生活文化』こそ、顧客が望まれていることだと感じてます。地域の皆様とともに、エリアの価値をさらに高め、長門湯本温泉の雰囲気を好まれる潜在的な顧客に訴求し、お越しいただける流れをつくっていきたいです。さらには連泊滞在型エリアとして、ともに発展していけたらと思います。萩・秋芳洞など周辺観光地への周遊も促すことで、さらなる地域貢献を目指したいですね」
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2026.8.25
彫刻家、樂 雅臣さん。石と向き合い、自然の摂理と命の循環を彫り続ける。
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京都と滋賀の県境の山中で、黙々と石に向かう彫刻家がいる。樂雅臣さん。黒御影石、大理石、溶結凝灰岩……。二十数年にわたって、樂さんが彫ってきた石はさまざまだが、石を彫り、そこから生み出そうとする形に込めた思いは、変わることはない。京都で450年以上続く樂焼の家に生まれ育ち、家に流れる空気を幼いころから肌身で感じ、それを蓄積しつつも、石彫という新たな創作の道に踏み出した樂さん。日本だけでなく海外でも注目を集めている樂さんの創作活動と、斬新な作品の数々は、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞するにふさわしい。
勾玉のような、アンモナイトのような、不思議な生命体のような……。作品「輪廻」に込められた思いとは……。
あとわずかなところで閉じることができず、その中心部に小さな穴を残したまま終焉を迎える曲線。研磨された部分とコントラストをなす、荒々しく割り削がれた断面。形は勾玉のようであり、アンモナイトのようであり、不思議な生命体のようでもある。彫刻家、樂雅臣さんが20代の頃に集中的に手掛けた一連の作品に共通して冠される作品名は「輪廻」。円環を目指し、なお伸長しようとする曲線は、永遠に続く円運動、まさに「輪廻」を思わせる。
右/輪廻「烏帽子」2009 H975 W300 D150mm 左/輪廻「扇」2010 H500 W500 D100mm ©Imura Art Gallery
ジンバブエブラック。太古からの歴史を凝縮した、圧倒的な存在感を持つ石。
作品の素材は石。「ジンバブエブラック」という名称が物語るように、アフリカのジンバブエを原産地とする。美術大学に進んだ雅臣さんが、石彫場で出会ったのがこの石だった。
「何かを表現したいという思いを抱いて美大に進みましたが、何をどう表現したいかは自分でもわからず、彫刻をやろうと決めていたわけでもありませんでした。ところが、最初に出会った素材が、まるで歯車がかちりと噛み合ったかのように、何かを表現したいという自分の思いと重なったのです。石が持つ、太古からの時間を凝縮した圧倒的な存在感に惹かれました。割る、彫る、磨く。素材としての石とさまざまな工程で向き合っていると、その存在感をひしひしと感じるのです」
ジンバブエブラックは黒御影石の一種で、世界中で最も生産量が多いとされているが、実は最も彫刻しづらい石でもあった。
「石として粘りがあるのです。硬ければ硬いなりに彫りやすいのですが、なまじ粘りがあるので、割ったり砕いたりすることが容易ではありません。彫刻するにはとても厄介な石です。そもそも石彫は、彫る道具を自分で作ることから始まり、作業そのものも膨大な時間を必要とする、どちらかといえば面倒なことが山積みで、美大でも積極的に取り組む人が少ない分野です」
終わりがないからこそ、次の作品にとりかかることができる
そんな厄介な石に、どうして雅臣さんは向き合っているのだろうか?
「彫刻家は、本当は彫りきらなければならないのでしょうが、ジンバブエブラックはどこまで彫っても終わりがないように思えるのです。終わりがないからこそ、次の作品に取りかかることができます。『輪廻』シリーズは20代半ばから幾つも作っていますが、完璧に完成した、と思える作品はなく、まだどこか手を入れることが求められているような気がします」
学生時代に初めて製作した作品「創造のはじまり」。ペリカンが嘴(くちばし)で池の水をつつく姿を目にし、イザナギとイナザミの神が矛(ほこ)で大海をかき混ぜ、その滴る雫から日本の島々を造ったという「国生みの神話」を連想して作製。頭部の部分はあえて作らず、嘴の部分のみとして抽象化をはかった。
どこまでも深い黒。ジンバブエブラックに宿る、この「黒」という色も雅臣さんが素材として惹かれた大きな理由のひとつだ。
「インドや中国などでも黒御影石は産出されますが、これらの石は磨くとシャープで無機質なテクスチャーが目立つようになってしまいます。ところが、ジンバブエブラックの表面は、磨くと雲母のような濃淡が現れ、それは重ね合わせた和紙にも似た有機的な表情となります。僕自身はその独特な表情を大切にしたいと思っています」
450年以上続く、樂焼の伝統の家に生まれて
そしてもうひとつ、雅臣さん自身も「大きな理由のひとつでした」と語るのが、生まれ育った樂家の存在だ。
茶の湯の大成者である千利休に従い、赤樂茶碗、黒樂茶碗を造った長次郎を初代とし、16世紀後半から京都で脈々と樂焼きの伝統を守り続けている樂家。現在では、雅臣さんの兄が十六代樂吉左衞門として樂家を継ぎ、雅臣さんの父は、吉左衞門の名を十六代に手渡した後、樂直入を名乗り自在な作陶活動を行っている。
「幼いころから、焼物に使う粘土を父から与えられ、兄弟でいろいろなものを作っていたので、ものを作ることは大好きでした。また、父は加茂川から採ってきた石を砕き、それを釉薬として黒樂茶碗を焼いていました。家には石がいつもありましたし、そんな父の姿を見て育ったからでしょうか、石という存在は身近なものに感じられ、焼きあがった茶碗を見ても、僕は、ああ石が変化したんだなぁと思っているところがあります。焼物の材料となる土も、もとはといえば岩石が砕けて細かくなったものですから」
樂家が代々焼き続けてきた黒樂茶碗の黒と、雅臣さんが手がける「輪廻」の漆黒の黒。両者の黒は、深いところでつながっている。
「 山奥ですから、冬場にはかなり雪が降ります。除雪作業に追われていると、石を彫っているより雪を掘っている時間の方が多いくらいです」と、冗談めかして笑う雅臣さん。物腰はどこまでも軽やかだ。
歯車がかちりと嚙み合った瞬間
雅臣さんは、中学高校時代はあまり学校へ行くことができず、でも閉じこもりというわけではなく、父のアトリエのあった京都の山奥で多くの時間を過ごした。芽吹き、生い茂り、実を結び、やがて枯れていく木々。そうした自然に囲まれて過ごす時間は、生命が循環していく自然の摂理を、漠然とではあるが雅臣さんの心に植え付けた。
幼い頃から石が身近な存在だった雅臣さんが、心の奥底に抱いていた生命の循環。美大で最初に出会った、太古の時間を凝縮するかのような石を前にし、抱き続けてきた生命の循環を彫り出そうとしたこと、雅臣さんの言葉でいえば「歯車がかちりと噛み合った」ことは、偶然ではなく必然の流れだったといえよう。
「中学高校と出席簿が真っ赤だった僕が、大学では朝から晩まで学校にいる、熱心な生徒となりました。夜中までいたことも数多くありました」
20代で「輪廻」シリーズを主に手掛けた雅臣さんは、30代では、鳥の嘴(くちばし)をモチーフとし、透過性のある大理石を用いた「Stone Box」シリーズを発表。そして40代を迎えた3年ほど前から「石器」シリーズに着手している。「石器」シリーズは、文字通り「器」だ。素材となる石は「溶結凝灰岩」。「神武岩」とも呼ばれるこの石を彫り、磨き、焼く。高温で焼くことによって、石に歪みが生じ、それが味わい深い景色となる。
Stone box「ぬけがら」2023 H90W275D80mm Stone boxシリーズは、幸せを運ぶものとして捉えた鳥の嘴をモチーフとし、「輪廻」と同じく、生命の循環を表現。箱の中に何が入っているかは見る人の創造力に委ねられる。©ZENBI
「『輪廻』も『Stone Box』も自然の摂理をテーマとしています。新たなシリーズでも自然、とりわけ自然と人間のつながりを表現したいと考えて思い至ったのが、石を高温で焼くことによって焼成される器です。石を焼く、というと少し奇異に聞こえるかもしれませんが、地球の内部では絶えず石が焼かれてマグマとなって対流しています。ですので、焼かれた石も、循環していく自然の姿の一部です。また、人間は縄文時代のころから、手に入れた自然の恵みを、木の葉や石の上に乗せて食べてきました。そこには感謝という気持ちが働いていたはずで、それがやがて器となります。おそらく未来永劫、器というものは形を変えながらも存在し、それはまさしく自然と人間とのつながりを物語るものです」
「石器」2024 H95W120D120mm。素材は「溶結凝灰岩」。高温で焼くことによって歪みが生じ、それが器に表情豊かな景色をもたらす。
こうして誕生した「石器」は、樂家が代々作り続けてきた樂茶碗のフォルムを彷彿とさせる。
「樂家で育ってきた僕ですから、器となればやはり、幼い頃から親しんできた樂茶碗の形状に自ずとなり、同時に450年続く樂茶碗へのオマージュも込めています」
雅臣さんは、「今回は器という形になりましたが、それは結果としてそうなっただけであり、石と向き合っている、という姿勢は変えていませせん」とも語る。この20年間、雅臣さんが手がける作品の姿形や、用いる石は異なってきたが、自然の摂理とそれを取り巻く循環を表現しようとする確固たる意志は変わることがない。
石彫は、後戻りすることができない作業の連続
石を彫刻する。それはどんな作業なのだろうか。
「あと戻りできない作業です。原石を割る、鑿を入れる、研磨する。いずれも一度その作業を行うと、それ以前には戻ることはできません。最初に描いたデッサンをもとに、手に入れた石のこのあたりをガツンとやれば、思い描いた形に割れるだろうと割ってみるのですが、思い通りに割れることばかりではありません。逆に、思い描いた形状よりも面白い形となって割れることもあり、そんな時はやはり自然を相手にしているのだなあ、とつくづく思います。また、割ることによって生じた断面を「割肌」と言いますが、その表情が素晴らしく、それはまさに自然そのもの。『輪廻』シリーズでは、『割肌』の表情を生かしつつ、他の部分は耐水ペーパーを用いて手磨きで仕上げていきました」
石彫は時間のかかる作業の積み重ね。コツコツと丁寧に丹念に、鑿(のみ)を入れていく。
工房の作業スペースには、さまざまな石材が積み重ねられている。
樂家の一員として、今もなお楽焼の窯焚きに加わる
樂家では、年に幾度か樂焼の窯が焚かれる。450年以上前からの手法を守るその窯焚きは、高温となる狭い窯場のなかで長時間の作業が続く重労働だ。窯焚きは樂家当代の指揮のもと何人ものスタッフが加わり作業が行われる。雅臣さんも、この窯焚きには今でも必ず加わる。また、樂家では「吉左衞門」の名を継がない男子が結婚する際には、養子となって「樂」の姓から離れる、というのが家訓だった。しかし、雅臣さんに限っては、父の判断でこれまでの習いを破り、結婚後も「樂」姓のままである。
「樂家の茶碗造りは、『手捏(てづくね)』と呼ばれる手法で、轆轤(ろくろ)を使わず両手だけで成形していきます。そして最後は箆(へら)を用いて、削っていきます。一度削ってしまうと後戻りできません。そういった意味では樂茶碗は彫刻の要素が多分にあり、幼いころから家で行われている作業を見て育った僕が、彫刻の道に進んだもの自然の成り行きだったかもしれません」
雅臣さんが樂茶碗を手掛けることはないが、雅臣さんの作品には、樂家に受け継がれてきた、ものを作ることに対する哲学が注がれている。
京都の街中から車で1時間。山中の工房の敷地に置かれた作品の数々。
雅臣さんは、京都の街中から車で1時間ほど北に向かった場所に、工房を構えている。材料となる巨大な石を置く場所が必要なうえに、作業は時に大きな音を伴うため、必然的に人里離れた山中となる。豊かな樹木に囲まれた広大な敷地には、雅臣さんのこれまでの足跡を物語るかのように、大小いくつもの作品が置かれている。
大きな直方体に切り出したジンバブエブラックを幾つも用いて出現させた、石室のような空間もある。それも作品のひとつだ。狭い開口部を除き、四方を石で囲まれたわずか2畳ほどの空間は、そこだけ時間の流れが止まっているかのような静謐にして神聖な気配に満ちている。一方で、天井は石で覆われていないので、見上げると石によって切り取られた空が思いのほか広く広がり、解放感も漂う。
写真中央は、直方体に切り出したジンバブエブラックを垂直に立てて構成した作品。石に囲まれた空間の中心部分には2畳ほどの空間が設けられ、「自由に自分と向き合う空間として使ってほしい」と雅臣さん。左右両脇に置かれているのも作品のひとつ。
石に囲まれた空間の中心部分に「輪廻」を置く。黒とグレーのモノトーンの世界に、天空から、柔らかな光が零れてくる。石と石との間に生じた、ほんのわずかな隙間から微かに見える木々の緑も印象的。
雅臣さんは、京都市内の自宅から毎朝1時間かけてこの工房に通い、夕方には自宅に戻るという生活を続けている。工房の裏手には、やがて琵琶湖に注ぐ美しい渓流が流れている。「春から夏にかけてはヤマメが。夏はアユが釣れます。お昼休みにほんの30分と思って川へ入ると、気が付くと1時も2時間も過ぎていることもあります」
雅臣さんは飄々と、そして屈託なく笑みを浮かべる。
作品がモニュメントのように並ぶ、石の公園を作ることができれば……。
入手した石をストーンサークルのように並べ、ひとつの作品とした。「こんな具合に、石をモニュメントのように置いた公園のようなものを作ってみたいです」と雅臣さん。
「将来的には石の公園みたいなものを作ることができれば、と考えています。僕の作品がモニュメントみたいにところどころに置いてあり、そこを自由に歩きまわり、自然と人間や、石と人間の関係を感じることができる、広場のような空間です」
樂雅臣さん、43歳。確固たる意志を持って石と向き合いながらも、気負いというものは微塵も感じさせず、むしろおおらかにして、しなやかだ。このしなやかさを備えているからこそ、石という強靭な存在から、自然の摂理を彫りだすことができるのではないだろうか。生い茂る樹木に囲まれた工房の庭で、ふとそんなことを思った。
深い山間を縫うように流れる渓谷沿いに設けられた工房。この工房へ、毎日車で1時間ほどかけて、京都市内から通う。
樂 雅臣(らく まさおみ)
1983年京都生まれ。東京造形大学院美術研究領域造形研究科修了。2018年京都市芸術新人賞受賞。2008年に開催した、みゆき画廊での初個展「白の鳥 〜有形無形の流転〜」以来、石川県立美術館、 美術館「えき」KYOTO、Pierre Marie Giraud (ベルギー)、賀茂別雷神社をはじめとして国内外で数多くの個展を開催。アートフェアバーゼル、TEFAFマーストリヒト出展、ヴェネツィア・ビエンナーレにあわせ開催されるPalazzo Fortunyでの特別展「PROPORTIO」(2015)・「INTUITION」(2017)にノミネート出品するなど、海外でも広く活躍する。
Photos by Makoto Ito
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星のや京都では、2026年8月31日まで、24時間滞在のオールインクルーシブプラン「奥嵐山の夏ひとり旅」を提供中。14時のアーリーチェックインから翌日14時のレイトチェックアウトまで、自分だけの時間にゆっくりと浸れる、夏限定のひとり旅プランだ。
庭路地
客室
星のや京都が位置する奥嵐山は、かつて平安貴族が避暑に訪れた地。京都市街地より最大4.9度も気温が低い冷涼な気候で、豊かな自然に包まれながら心身を整える滞在を楽しめる。
目の前に小倉山と大堰川を望む空中茶室
朝日が降り注ぐ朝のストレッチ
滞在中は、京都の老舗書店「恵文社一乗寺店」が選んだ本を片手に読書に没頭したり、大堰川にせり出す「空中茶室」で、お盆の上に自分だけの情景を表現する「盆景菓子」を体験したりと、静かに自分と向き合う時間が過ごせる。さらに、青もみじに囲まれた庭で朝と夜に行うストレッチも開催。呼吸を意識しながらストレッチをすることで、心と体をゆるやかに整えていく。
ペアリングドリンクと共に愉しむ美食
客室で味わう朝鍋朝食
食事も、この滞在の大きな魅力のひとつ。夕食には、日本料理の本質を大切にしながら革新的な技法を取り入れた会席料理「真味自在」を、料理人の所作を間近に感じるカウンター席で堪能。厳選されたペアリングドリンクとともに、季節の味覚をじっくりと味わえる。朝食は、旬の野菜や魚を香り高い出汁でいただく「嵐峡の朝鍋」を客室に用意。嵐峡の景色を眺めながら、誰にも邪魔されない優雅な時間を過ごすことができる。
出発の際は貸し切りの船を用意
本プログラムは、朝夕の食事やダイニングでのペアリングドリンク、客室のミニバーなどがすべて含まれるオールインクルーシブスタイルで、気兼ねなく過ごせるのもうれしい。誰にも急かされることなく、自分のためだけに時間を使う贅沢。静寂に包まれる奥嵐山で、、心を満たす夏のひとり旅に出かけてみてはいかがだろうか。
◆「奥嵐山の夏ひとり旅」
【期間】2026年8月31日(月)まで
【料金】1室1名189,078円~
【含まれるもの】宿泊料、アーリーチェックイン(14:00)、レイトチェックアウト(14:00)、本(貸出し)、盆景菓子、夜・朝の貸切ストレッチ、夕食(ペアリングドリンク込)、朝食、ミニバー
【定員】1日1名
【予約】公式サイトにて7日前まで受付
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Features
夏の竹富島で、暮らすような滞在を
2026.8.7
【星のや竹富島】ゆったりと心満たされる、夏の滞在プログラム
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沖縄・竹富島の文化リゾート「星のや竹富島」では、2026年8月31日まで、竹富島の夏の暮らしを体感する季節限定プログラムを開催。遊び、眺め、語らう──「なちゆくい*」を彩る4つの催しを用意する。
農業が生活の中心だった時代、夏の竹富島は、秋から始まる新たな農事や祭事に向けて暮らしを整える季節であり、島の人々が交流を深めることで「ウツグミ(一致協力)」の精神を育んできた。そんな自然と寄り添う文化に触れながら、島で暮らすような滞在を楽しめるのが、夏限定の本プログラムだ。
島の植物を乾燥させた材料で作る民具
強い日差しが降り注ぐ竹富島では、早朝や夕方に畑仕事を行い、日中は家の中で民具づくりや農作業の準備をして過ごしてきた。その暮らしに触れられるのが、島に伝わる民具づくりを継承する「クージの会」の協力による手仕事体験。アダンやマーニの葉を乾燥させた素材を使い、昔ながらの民具を作りながら、島の暮らしに思いを馳せることができる。
緑豆ぜんざい(2026年8月31日までの期間限定)
【時間】14:00~15:50 【料金】無料 【場所】ゆんたくラウンジ
館内のゆんたくラウンジでは、八重山で親しまれてきた緑豆を使った「冷やしぜんざい」を無料で提供。さらに夕暮れ時にはコンドイ浜への送迎(1日3組限定・無料)も実施され、水平線に沈む夕日を眺めながら、波や風の音に耳を澄ませる島ならではの豊かな時間を過ごせる。
「島の唄い手と過ごすひととき」
毎週火曜の夜には、島の唄い手と泡盛やおつまみを囲んで語らう「島の唄い手と過ごすひととき」も開催。島の唄や人々との交流を通して、竹富島の文化や歴史をより深く感じられる。
見晴台から望む集落景観
観光地を巡るだけでは出会えない、その土地の日常や営みに身を委ねる旅。竹富島に受け継がれてきた夏の時間を体感しながら、心をゆるめてみてはいかがだろうか。
*島言葉で「なち」は「夏」、「ゆくい」は「休暇」という意味
「島の唄い手と過ごすひととき」
【期間】2026年8月31日(月)までの毎週火曜日
【時間 19:15~21:30
【料金】1名7,560円(税・サービス料込)
【場所】喜宝院蒐集館
【対象】年齢制限なし
【定員】2組 4名まで
【予約】前日17:00までに公式サイトにて予約
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JCCO
PREMIUM JAPAN AWARD
PREMIUM JAPAN AWARD 2026
2026.8.5
ジャパニーズウイスキーを、ブームから文化へ 三郎丸蒸留所が挑む「次の100年」
2026年5月に発売になった「三郎丸Ⅷ(エイト)STRENGTH(ストレングス)」。タロットカードのデザインは大アルカナ22枚の9番「力(STRENGTH)」が採用されている。
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世界から熱い視線を集めているジャパニーズウイスキー。このブームを一過性のものにせず、100年先へ続く文化へ育てたい。そんな思いを胸に挑戦を続けているのが、富山県砺波(となみ)市の三郎丸蒸留所を擁する若鶴酒造代表取締役社長 稲垣貴彦さんだ。「The Ultimate Peat(ピートを極める)」を掲げ、世界初の鋳造製蒸留器「ZEMON」の開発や樽工房の設立、ボトラーズ事業、蒸留所同士の連携など、日本のウイスキー文化の土台づくりに取り組んでいる。その挑戦が評価され、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。目指しているのは、一つの蒸留所の成功ではない。日本のウイスキーを次の100年へ受け継ぐ仕組みをつくることだ。その思いを聞いた。
ジャパニーズウイスキーブームの先にある課題
世界的なジャパニーズウイスキーブームを背景に、日本の蒸留所は急速に増えてきた。2013年には10カ所ほどだった蒸留所は、この10年余りで約100カ所以上へと拡大した。一方で、設備や樽、職人の不足、人材育成など、産業基盤の課題も顕在化している。一時のブームで終わらせず、文化として次の100年へつないでいけるのか。今、日本のウイスキー産業は大きな岐路に立っている。
その課題に真正面から向き合っているのが、三郎丸蒸留所を率いる稲垣貴彦さんだ。
北陸新幹線新高岡駅からJ R城端線油田(あぶらでん)駅から徒歩1分、新高岡駅からタクシーで約20分の場所にある若鶴酒造。
三郎丸蒸留所 大正蔵入り口にある若鶴酒造と三郎丸蒸留所ののぼりや樽。「三六〇」は、2025年12月に就任した北陸最若手の杜氏、田村幸作氏が手がけた三郎丸蔵の新ブランド。
若鶴酒造の創業は1862(文久2)年。砺波平野の豊かな伏流水に恵まれ、この地で160年以上酒造りを続けてきた。ウイスキー造りを始めたのは戦後間もない1952年。米不足で日本酒を十分に造れなかった時代、二代目であり、稲垣さんの曾祖父にあたる稲垣小太郎氏は、「米以外の原料で酒を造る」という挑戦に踏み出した。
翌年発売した「サンシャインウイスキー」は、その名に、戦後の日本に再び明るい時代が訪れてほしいという願いが込められていた。その後、蒸留棟の火災や市場の低迷など幾度もの危機に見舞われながらも、地域に支えられ、ウイスキー造りの灯は守られてきた。
昭和27年にウイスキーの製造免許を取得後、初めて発売したのが「サンシャインウイスキー」。
受け継ぐためには、変えなければならない
大学卒業後、東京のIT企業で働いていた稲垣さんが富山へ戻る決心をしたのは10年前のこと。当時の若鶴酒造は日本酒が事業の中心で、ウイスキー造りは夏場だけ細々と続けられ、売り上げも全体のわずか5%に過ぎなかった。大きなリスクを伴う設備投資や新たな挑戦に踏み切ることはなく、昔ながらの製法を守り続けていた。
「この先、ウイスキー事業をどうするべきか」
そんな岐路に立っていたとき、蔵の奥に1960年蒸留の若鶴モルトが残されていることを知る。半世紀以上眠っていたそのウイスキーを口にした瞬間、稲垣さんは「脳天を突き抜けるような衝撃」を受けた。
「これほどのウイスキーを、曾祖父が造っていたのか」
その瞬間、単なる家業ではなく、曾祖父が始めたウイスキー事業を未来へ受け継ぐ使命を感じたと話す。
「曾祖父と私は同じ時代を生きていません。でも、一本のウイスキーを通じて、その時代につながれたような気がしました。半世紀を超えて、子孫から先祖につながれるお酒って、ほかにはあまりないと思うんです。今日仕込んだ原酒が商品になるのは数年後、時には数十年後。造り手がいなくなっても樽の中では熟成が続き、その酒を飲む人へと時間が受け継がれていく。ウイスキーは、時間を閉じ込める酒だと思います」
まるでギャラリーのような雰囲気を漂わせる三郎丸蒸留所の熟成庫と、そこを歩く稲垣さん。これまでCharや田島貴男、元ちとせをはじめとする多彩なアーティストがここで演奏を披露しており、その模様はYouTubeチャンネル「BLUES& BARRELS」で公開されている。
三郎丸タロットシリーズでは、切り絵作家の加野由希絵氏(氷見市出身)のカードの切り絵が使用されており、それらが並ぶシアタールーム。
しかし、その思いだけで蒸留所をよみがえらせることはできない。
老朽化した建物の修復や設備の更新には莫大な資金が必要だった。ウイスキーは仕込んでも、商品として売り上げになるまで何年もの熟成期間を要する。設備に投資しても、すぐに利益は生まれない。長い時間を見据えた経営判断が求められる産業だった。
そこで立ち上げたのが、蒸留所の名を冠したシングルモルトブランド「三郎丸」。当時、若鶴酒造では二級ウイスキーもシングルモルトも「サンシャインウイスキー」の名で販売されていたが、ブランドの価値を考えるなら、シングルモルトでもっと蒸留所の個性を前面に打ち出すべきだと稲垣さんは考えたのだ。
最初に世に送り出したのは、曾祖父の時代に銅製ポットスチルで蒸留された原酒をボトリングした「三郎丸1960」だった。ちょうどその頃、同じ1960年蒸留の「軽井沢1960」が香港のオークションで高額落札されるなど、世界では長期熟成のジャパニーズウイスキーへの注目が急速に高まっていた。
半世紀以上の眠りから目覚めた「三郎丸1960」にも販売予定数の4倍を超える応募が集まり、1本55万円で発売された。この一本をきっかけに、富山発のシングルモルトブランド「三郎丸」の名は、国内外のウイスキー愛好家の間で広く知られるようになった。
2020年に完成したウッドラック式を採用した樽貯蔵庫の中。
貯蔵樽からウイスキーを汲み出す、稲垣さん。
「三郎丸1960」の売り上げに加え、クラウドファンディングで寄せられた支援を原資として、蒸留所の改修に着手する。
「資金集めはもちろんですが、なぜ蒸留所を残したいのか、なぜ未来へつなぎたいのか。その思いを多くの方と共有できたことが大きかったですね」
クラウドファンディングは資金調達の手段であると同時に、三郎丸蒸留所の未来に共感する仲間を集めるプロジェクトでもあった。蒸留所は少しずつ、新しい時代へ歩み始めた。
その象徴となったのが、2019年に完成した世界初の鋳造製ポットスチル「ZEMON(ゼモン)」である。
発想の原点は、富山県高岡市で400年以上受け継がれてきた高岡銅器だった。梵鐘づくりの鋳造技術をウイスキー造りに生かせないか──。その着想から老子製作所との共同開発によって誕生したのが、世界初の鋳造製ポットスチル「ZEMON」である。
昭和20年の富山大空襲を逃れた数少ない建物。<wbr />現在は三郎丸蒸留所として、1階でウイスキーを蒸留、<wbr />2階から見学ができる。
画像提供:三郎丸蒸留所
中央に見えるのが「ZEMON」だ。
「従来の蒸留器は銅板をたたき、曲げて造ります。一方、ZEMONは梵鐘と同じ鋳造技術を使うので、十分な厚みを持たせることができます」
銅には蒸留液中の硫黄成分を除去する働きがあり、錫には酒質をよりまろやかにする効果が期待される。銅と錫、それぞれの特性を活かした銅錫合金によって、三郎丸らしい力強さと滑らかさを兼ね備えた酒質を実現した。さらに、高寿命化やメンテナンス性の向上、製造期間の短縮、コストダウンなど、従来の蒸留器が抱えてきた課題も解決した。
「ZEMONは三郎丸だけのために造ったものではありません。日本の蒸留所が、国内で設備を調達できる選択肢を増やしたかったんです」
伝統産業は、昔と同じものを作り続けるだけでは先細りしてしまうこともある。だからこそ、高岡銅器という地域の技術を現代のものづくりへ生かし、新たな産業へとつなげる。その挑戦は、三郎丸蒸留所だけでなく、日本のウイスキー産業全体の未来を見据えたものだった。
蒸留所を守ることが目的ではない。蒸留所を起点に、日本のウイスキー文化を次の100年へつないでいく。その視点に立ったとき、稲垣さんの挑戦はさらに広がっていく。
後期乳酸菌発酵を行う木桶発酵槽。木の表面に独自の乳酸菌が住み着き、豊かな発酵へと導く。
蒸留所では、主にネズミや鳥などの害獣からウイスキーの原料である大麦を守るため、猫(ウイスキーキャット)を飼う習慣があった。現在は、蒸留所で動物を飼うことはできないために、その名残から置物を置いている。
産業は、一社だけでは育たない
稲垣さんが目指しているのは、三郎丸蒸留所だけの発展ではない。日本のウイスキー産業全体が、100年先まで続くための土台を築くことだ。
「一社だけが成功しても、文化にはなりません。産業全体が元気になってこそ、日本のウイスキー文化は次の世代へ受け継がれていくと思っています」
その考えを象徴する取り組みの一つが、三郎丸樽工房「Re:COOPERAGE(リクーパレッジ)」である。
「貴重なジャパニーズウイスキーの一滴たりとも漏らさない。それが私たちの使命だと思っています」
ウイスキーにとって樽は、単なる容器ではない。熟成によって香りや色、味わいを育む「もう一つの原料」ともいえる存在だ。しかし世界的なウイスキーブームを背景に樽不足は深刻化し、価格は高騰。品質のばらつきも大きくなっている。
さらに日本では樽職人の減少が進む一方で、クラフトウイスキーの蒸留所は急増している。その結果、多くの蒸留所が自前で樽の修理や修復ができず、大切な原酒を守るための環境づくりが課題となっている。
樽工房において、「新たに蒸留された無色透明の原酒は、樽の中で長い年月を過ごすことで、琥珀色の色合いや豊かな香りを生み出すんです」と話す稲垣さん。
「10年前と比べると、価格は高い時で4倍ほどになりました。しかも漏れる樽が本当に増えました」
長い年月をかけて育てた原酒が、樽の隙間から失われてしまう。その損失を防ぐため、三郎丸蒸留所は樽工房を設立した。傷んだ樽板を交換する「リペア」、用途に応じて組み替える「リメイク」、内側を削って焼き直す「リチャー」。一本一本異なる状態を見極めながら、樽に新たな命を吹き込んでいる。
「樽は容器ではなく、原料なんです。ウイスキーを造っているのは、樽でもあるんですよ」
樽を守ることは、原酒を守ること。そして、日本のウイスキーの品質を守ることでもある。
「新しく造るより、直す方が難しいんです。どこが悪いのかを見極め、その樽に合わせて修復しなければならない。一本として同じ状態の樽はありません」
現在、日本で樽職人はごく限られている。
三郎丸樽工房「Re:COOPERAGE」で樽の修復・修繕を担っているのは、29歳でキャリア10年の樽・木桶職人、祝迫智洋さんだ。
「樽と木桶の両方を扱える職人は、世界でも祝迫さんだけだと思います」
そう語る稲垣さんは、祝迫さんに絶対の信頼を寄せる。
樽工房では、全国の蒸留所から修理を引き受けるだけでなく、技術者の育成にも力を入れている。樽工房は三郎丸のためだけにあるのではない。日本のウイスキー産業全体を支えるインフラとして、その役割を広げている。
敷地内にある樽の修理・再利用する樽工房「Re:COOPERAGE」。樽のリペア・リメイク・リチャーなどを専門に行なっている。
ここではバーボン樽を中心に、シェリー樽、赤ワイン樽、ミズナラ樽、スパニッシュオーク樽など、様々な樽が集まってくる。
廃材となるはずの木材は、時計や小さな樽など、別のアイテムに生まれ変わらせている。
その発想は、ボトラーズ事業にもつながっている。
2021年には、ウイスキー専門店「モルトヤマ」の下野孔明さんとともに、ボトラーズブランド「T&T TOYAMA」を立ち上げた。
ボトラーズは蒸留所から原酒を買い取り、独自に熟成やブレンドを行い、新たな価値を加えて市場へ送り出す存在だ。原酒が商品になるまで長い年月を必要とする蒸留所にとって、資金面や販路を支える役割も果たしている。
「スコットランドでは、自分たちにない原酒は交換するのが当たり前です。それぞれが得意なものを持ち寄ることで、多様性が生まれる。日本もそういう産業になってほしいと思っています」
クラフト蒸留所が一社だけで世界へ挑むには限界がある。しかし、それぞれの個性を生かしながら協力することで、新しい価値は生まれる。
「ボトラーズ事業を通して、世界各地の蒸留所が集うイベントや販売会で、それぞれの蒸留所の特徴や魅力を紹介する機会も増えました。一社ではできないことでも、数社が集まることで、多角的な発信ができるようになります」
競争するだけでは文化は育たない。互いに支え合い、それぞれの強みを生かしながら成長していくことで、産業は厚みを増していく。
昨年新設された、三郎丸蒸留所のブレンダー室・ワークショップルーム。日本の伝統工芸である組子建具とガラスを融合させた「ガラスシリンダー」が美しい。
たくさんの保有する原酒を新たな魅力ある製品づくりへとつなげていく作業がなされている。
一番いいのは、実際に来てもらうこと
「一番いいのは、実際に来てもらうことです。蒸留所へ来れば、その土地の空気も、人も、ものづくりも伝わります」
その思いから、三郎丸蒸留所は開かれた蒸留所として見学を受け入れている。蒸留設備を間近で見ながらウイスキー造りの工程や歴史を学ぶことができ、ショップやテイスティングスペース、レストラン「竈 flamme 炭三郎」も併設する。
屋外のBBQスペースにも釜が置かれている。
レストランでは、役目を終えたウイスキー樽を燃料に炊き上げるご飯をはじめ、三郎丸の仕込み水や富山の食材を生かした料理を提供している。酒造りを支える水や土地の恵みを、食を通して体感できる場所でもある。
取材当日も、見学者だけでなく地元の人々が次々と訪れ、食事を楽しんでいた。蒸留所は観光施設にとどまらず、地域の日常に溶け込む交流の場にもなっていた。
レストランの入り口の横には仕込み水が出る蛇口がある。その柔らかくてミネラル感ある水質が、三郎丸のウイスキーの味わいを支えている。
そして、稲垣さんは新たな試みスタートとして、クラフトウイスキー蒸留所をより多くの人に知ってもらう試みをはじめた。
「私が戻ってきた頃、日本の蒸留所は10カ所ほどでした。それが今では約100カ所以上になりました。せっかくなら、三郎丸だけでなく全国の蒸留所を巡ってもらいたいんです」
その思いから始まったのが、全国の蒸留所を巡る「Japanese Whisky Passport 銅印帳」プロジェクトだ。鉄道を巡る「鉄印帳」のように、各地の蒸留所を訪れ、銅印を集めながら旅を楽しむ仕組みである。
「目指したのは、ウイスキー好きだけの企画ではありません。建築やものづくり、地域文化や食に興味を持つ人たちにも、日本各地の蒸留所を訪れるきっかけをつくりたかったんです」
蒸留所を巡る旅は、その土地の文化や食、伝統工芸と出会う旅でもある。蒸留所という「点」を旅という「線」で結び、日本のウイスキー文化という「面」へ広げていく。それもまた、産業を未来へつなぐための大切な仕組みだ。
「Japanese Whisky Passport 銅印帳」全国28ヵ所のクラフト蒸留所が紹介されており、各蒸留所で銅印を購入し、指定のページに貼って集めることができる。
稲垣さんが目指すのは、曾祖父から受け継いだ酒造りの志を起点に、高岡銅器の技術、樽職人の仕事、蒸留所同士が支え合う関係、そして地域へ人を呼び込み文化を育てる仕組みまで、日本のウイスキー産業を支える土台そのものを未来へ残そうとしている。
日本の蒸留所の数は増えた。だが文化は数だけでは育たない。今問われているのは、「増やすこと」ではなく、「育てること」なのである。
100年前、曾祖父が始めた挑戦は、いま「次の100年」を見据えた挑戦へと姿を変えた。三郎丸蒸留所で生まれたその挑戦は、一つの蒸留所の未来ではなく、日本のウイスキーをブームで終わらせず、次の100年先へと受け継ぐための取り組みだ。
稲垣さんは富山の地で日々思いを巡らせ、そして格闘をしている。
樽貯蔵庫では、夏場は上段温度管理のために、屋根散水システムを導入している。
若鶴酒造(三郎丸蒸留所)
富山県砺波市三郎丸208
Photos by Hidehiro Yamada
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2026.8.1
伝統産業の「有松鳴海絞り」から、グローバルブランド「suzusan」へ
上質なカシミヤを素材としたストールは「suzusan」の人気アイテムのひとつ。2008年、ドイツの学生寮にあった数枚の有松鳴海絞りのテキスタイルが、ブランドの出発点となった。
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400年以上前から伝わる伝統工芸「有松鳴海絞り」。時代の流れとともに衰退の道を歩んでいたこの伝統産業に、遠くドイツから一筋の光が差し込んだ。その光源は、有松鳴海絞りの技術を用い、アパレルを中心としてさまざまなアイテムを展開するブランド「suzusan」である。日本の伝統産業をベースにしてグローバルブランドへと成長し、「有松鳴海絞り」の復興にも貢献した「suzusan」の取り組みが高く評価され、この度「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞する運びとなった。有松で生まれ育ちながらも、ドイツのデユッセルドルフを本拠地としてブランドを立ち上げた村瀬弘行さんに、現在にいたる道程と、日本の伝統工芸品に対する思いをうかがった。
衰退の一途を辿っていた、伝統産業「有松鳴海絞り」
一枚の布地に浮かび上がるさまざまな柄。それは、滲んでいたり、擦れていたり、ぼやけていたりする。そして不均一。その不均一が揺らぎを生み、懐かしくも心地よい美しさを醸し出す。
国の伝統工芸品に指定されている「有松鳴海絞り」の美しさを言葉にするならば、こんな表現が相応しいだろうか。ただ残念なことに、産業としての有松鳴海絞りは衰退の一途を辿っていた。そこに新たな風を吹き込んだのが、株式会社スズサンが発信するブランド「suzusan 」である。
愛知県名古屋市の有松地域で、400年以上前から行われている絞り染めの総称、それが有松鳴海絞りだ。木綿布を糸で括(くく)る、あるいは縫ったりたたんだりした後に染料に浸すことで、その部分だけが染まることなく、生地色がそのまま柄として残る。職人が手作業で括るため、微妙な力加減の変化で染まり具合は不均一となり、個々の柄には「滲み」や「擦れ」などのグラデーションが生じる。さらに「シボ」と呼ばれる独特の凹凸が布地に現れ、浴衣にした場合は心地よい清涼感が生まれる。また、括り方や縫い方によって柄は千差万別となり、有松鳴海絞りには技法として100種類以上の柄があると言われている。
「手蜘蛛絞り」、「織り縫い絞り」、「杢目縫い絞り」など、有松鳴海絞りの柄は、100パターン以上存在する。写真は「巻き上げ絞り」と「帽子絞り」と呼ばれる模様。©SUZUSAN
このような有松鳴海絞りは江戸初期に生まれ、主に手拭として爆発的な人気を呼び、有松が東海道沿いであったことから、街道を行き来する旅人が土産物として買い求め、その名は全国に広まった。しかし、明治から大正期にかけて最盛期を迎えたものの、近代化に伴う日本人の生活様式の変化や、その独特の柄が「古臭い」とも言われ、前述するように昭和後半ころからは、衰退の一途を辿りつつあった。




上は安藤広重による「東海道五十三次」の鳴海宿の浮世絵。色とりどりの手拭が店先に掛けられている様子が克明に描かれている。下は街道筋の面影を残す、現在の有松の街並み。有松で作られた絞り染めは、江戸時代には隣の宿場町である鳴海宿で主に売られたため、「有松鳴海絞り」という名称が広まった。©SUZUSAN
「布が山のように溢れている家の中で食事をし、布に囲まれて寝る。そんな少年時代でした」
「父が模様の原型となる型を彫る工程に携わる職人でしたので、布が山のように溢れている家で食事をして寝る。幼いころからそんな生活で、朝から晩まで型を彫るコンコンという音を聞いて育ちました」
株式会社スズサンのCEO兼クリエイティブディレクターの村瀬弘行さんは、自身の幼少期をそう語る。物心ついた時から有松鳴海絞りに囲まれていた村瀬さんだが、10代後半となり世の中がバブル崩壊に見舞われていたころ、有松に忍び寄る衰退の気配も感じていた。
「僕らの世代の職人の子どもたちには、家の仕事を継ぐという発想は、僕も含めてまったくありませんでした。父も家業は自分の代で途絶えてもよい、くらいの覚悟は持っていたと思います」
「日本の美大受験に失敗して名古屋へ帰るバスの中で、ヨーロッパへ行くことを決断しました」と村瀬弘行さん。その決断がやがて「suzusan」へつながるとは、当時は知る由もなかった。
アートを学ぶために一念発起してイギリスへ、そしてドイツへ
日本の美大受験に失敗した村瀬さんは、アートを学ぶために一念発起してイギリスへ渡る。海外へ出ることに対して、父親は何も反対しなかったが、経済的な援助は受けず、1年間のアルバイト代を貯めて渡航費と学費に充てた。「何しろ当時、家計はドン底の状態でした。僕のアルバイト代まで、一部を家に渡していたくらいです」
イギリスの美術学校で学ぶも、1年間で学費が底を尽いた。ドイツのデュッセルドルフにある美術学校は学費無料。そんな情報を耳にした村瀬さんは、イギリスからドイツへ移る。学費は無料であるものの、「クンスト・アカデミー」と称されるその美術学校は、かつてヨーゼフ・ボイスやゲハルト・リヒターという錚々たる現代美術アーティストが席を置いた、ドイツ国内でも有数の美術学校だった。
「クンスト・アカデミー」の正門前で、若き日の村瀬さん。この美術学校で学んだことが、やがて「suzusan」での商品プロデュ―スに大いに役立つこととなった。©SUZUSAN
イギリスで開催したテキスタイル展示会が大好評
「お金の心配をせずに、のびのびとアートを学ぶことができる、とても面白く楽しい時期でした」
そんな村瀬さんに、父から「イギリスでテキスタイル展示会をするから手伝いに来てほしい」という依頼が入った。デュッセルドルフに住み始めて3年ほど経ったときのことだった。
「幼いころから嫌というほど見てきた有松鳴海絞り。日本で『古臭い』とまで言われた柄でしたが、異国の地で改めて接すると、とても新鮮なものに見えました。イギリスの方々にもその柄はかなり好評で、自分自身でもその好評具合には驚きました。調べてみると、染色というのは、なぜかヨーロッパでは発達せず、専ら刺繍や織り、編みが中心なのです。そんな背景もあって、有松鳴海絞りの独特の風合いが新鮮で好評を博したのかもしれません」
「ヒロユキ この素晴らしいストールは一体なんだ」
展示会を終え、余った数点のストールを、村瀬さんは当時住んでいたデュッセルドルフの学生寮へ持ち帰った。好評だったという感触はあったものの、それをビジネスにする発想はまだ芽生えていなかった。
しばらく経ったある日の夕方、学生寮のルームメイトとキッチンでビールを飲んでいたときのこと。無造作に置かれていたストールを目にしたルームメイトが言った。「ヒロユキ、この素晴らしいストールはいったい何なんだ!」
ビジネスを専攻していたそのルームメイトは、「この素晴らしいストール」を用いた事業をデュッセルドルフで立ち上げることに着手する。こうして、2008年にはドイツを本拠地とした法人と新ブランドが産声をあげた。村瀬さんがヨーロッパに渡ってから5年の歳月が流れていた。
村瀬さんの父が、100年以上続いた有松鳴海絞りの「鈴三商店」を4代目として引継ぎ、屋号を「スズサン」と改めていたことから、ブランド名は自ずと「suzusan」となった。
「suzusan」はドイツの学生寮のキッチンから始まった。世界企業「アップル」が、ガレージから始まったように。
「手で作る」「有松で作る」 最初に決めた二つの大切なこと
「手で作る。有松で作る。ブランドを立ち上げる際に、この二つのことは守ろうと決めました。手仕事によって生まれる製品は、マスマーケットには不向きですので、ラグジュアリーをターゲットにするべき、という考えも当初からありました」
ラグジュアリー層をターゲットにする方策として、従来は木綿を染めるだけだった絞り染の技術を、カシミヤやシルク、あるいはアルパカなどの高級素材に応用することに着手した。木綿とは異なり、こうした柔らかい素材に絞り染めを施すのは、至難の業だった。
「suzusan」の代表的な技法のひとつである「まだら絞り」。「日本の伝統」から離れた抽象画のようでもあり、水墨画をも思わせる。また、カシミヤに施された絞り染めが、独特の風合いを生む。
「最初のころは、失敗の連続でした。しかしさすがは400年続いた技術。試行錯誤を重ねるうちに木綿以外の素材も染めることができるようになりました」
品質の高い商品を作る目途はたったが、まったく無名ブランドの、しかもかなり高価格の商品をショップに置いてもらうにあたっては苦労の連続だった。
「小さなオンボロ車に商品を積み、ヨーロッパ中を回りました。セレクトショップやデパートなどに飛び込み営業です。1日に10軒断られたこともあります。メールを送っても返答無し、というのも日常茶飯事。車の走行距離も嵩み、最後には車体の床が抜けましたよ」
従来の有松鳴海絞りでは到底考えられなかった華やかなカラーリングと可憐な柄のドレスをはじめ、カーディガン、パンツ、プルオーバー、カットソーなど、「suzusan 」はさまざまなアイテムで展開されている。
こうした努力が実を結び、上質なニットを貴ぶ服飾文化が流れるヨーロッパで、「suzusan」ブランドは次第に一定層からの熱い支持を受け、広まっていった。「飛び込み営業」から始まった販路は、今や29か国80都市にまで広がり、扱い店舗数は120店以上となっている。また2014年には日本の「鈴三商店」も「株式会社スズサン」へと法人化された。
「クリエイティブディレクターを名乗っていますが、僕自身はファッションやテキスタイルの勉強をしたことはありません。ですので、ファッションブランドを立ち上げたつもりはなく、あくまでも有松鳴海絞りを未来へ残していくことに、企業としての存在意義を置いています。
ブランドを立ち上げた際に、有松鳴海絞りの現状を、『素材』『技法』『用途』の三つに分類し、守るべきは『技法』であり、『素材』と『用途』は柔軟に考えていくことにしました。ですので、素材は世界各地から調達しています。でも必ず有松で絞る。それを守り通しています」
柔軟な発想が生んだ、さまざまなアイテム
「用途」を柔軟にとらえる思考は、さまざまなアイテムを生み出した。ブランドの原点であるストールをはじめ、カーディガン、プルオーバー、シャツ、カットソーなど幅広く、しかもジェンダーレスであることも大きな特徴だ。展開はアパレルだけではない。照明器具、クッションカバー、テーブルウェアなどにまで及ぶ。
「用途を考えるにあたっては、ミラノやパリの街角、またヨーロッパの住宅の室内で、柄がどのように映えるかを考えました。技術は日本の伝統ですが、それが生み出す柄を日本テイストのみにこだわっていては、海外では受け入れてもらえません」
昨年は新たに「鈴三」ブランドが産声をあげた。漢字表記が物語るように和装のブランドである。有松鳴海絞りが衰退の一途をたどっていた当時、主な商品は浴衣だった。その浴衣は時として「お婆ちゃんが着るような」と揶揄された。
そうした過去の歴史もふまえながら誕生した「鈴三」は、「suzusan」で培われた新たなデザイン感覚と、400年続いた伝統の柄が融合し、まったく新たな和装の展開となっている。
上質なアルパカに絞り染めを施したクッションカバーをはじめ、インテリアやライフスタイルに特化したホームコレクションラインも展開。このラインには、ホテルや商業施設などからのオーダーも多い。
絞りの技術を応用し、防火ポリエステルに襞(ひだ)や凹凸をつけてランプシェードとした照明器具。不規則な襞や凹凸が独特の陰影を生み出す。
100種類以上存在する有松鳴海絞りの柄は、やはり大半がどこか日本的である。その一方で「suzusan」ブランドのアイテムが纏っている柄は、抽象化されモダン。そんな柄だからこそ、多くの人に受け入れられた。
その柄のベースとなるのは、有松に綿々と伝わり、幼いころから村瀬さんが目にしてきた数多くの有松絞りだ。その柄が、ヨーロッパで学んだアートというフィルターを通し、国境を越えた独創的な柄へと昇華され、アイテムに落とし込まれていく。
海外での時間が多い村瀬さんと有松の現場とのやりとりは、専らオンラインだ。村瀬さんが思いついたアイデアスケッチと、それをもとに現場で仕上がったサンプルとが、幾度となく飛び交い、やがて商品となっていく。
「絞り染めに携わりたい。そんな思いで有松にやってきました」
スズサンの現場スタッフは20名前後。うち10名以上が作り手として工房に立つ。かつては分業制だった絞りの工程が、この工房では一貫して行われている。一軒家を改装して設けられた2階建ての工房は、拍子抜けするほどコンパクトだ。けして広いとは言えないこの工房から、全世界へ「suzusan」ブランドの商品が羽ばたいているとは、なかなか信じがたい。
工房では2027年春夏として発表される新作が手がけられていた。布の上に型を置き、その上から括る場所を示す目印を刷毛で刷り込む「絵刷り」、その目印をもとに糸で括る「括り」。若い人が多い。しかし素早く鮮やかな手捌きで、絵を刷り糸を括っていくその姿は職人そのものだ。
「有松鳴海絞りの美しさ、とくにスズサンのモノづくりに携わりたいと思いここにやってきました」
スタッフの一人からは、そんな声が聞かれる。その声には、ものを作る喜びと、自身の仕事ぶりに対する誇りが漲っていた。
型の上から刷毛で目印を刷り込む「絵刷り」。かつては型紙を用いていたが、現代ではセルロイドとなった。スズサンには代々伝わる型紙が大量に保管され、それが新しい柄のヒントとなることもある。
「絵刷り」で刷り込まれた目印をもとに糸で括る「括り」の工程。手際よさが求められる一方で、括る際の力の入れ加減で、柄の滲みやぼけ具合が左右されるだけに、熟練の技術を要する。
工房で働くスタッフの面々。手作業は黙々と進められているが、いったん仕事から離れればこの笑顔。みんな若い。
日本各地の伝統工芸品産地をつなぎ成功体験情報をシェア
「経産省が指定している伝統工芸品は全国で244品目あります。そしてこれらの伝統工芸は世界から大きな注目を集めています。ところが伝統工芸の産地では、後継者不足や製品のアップデイトの遅れ、あるいは海外への発信手段がわからないなどが要因となり、かつての有松がそうだったように、衰退の道を辿っているところが大半です。日本全国に散らばっている産地をつないで成功体験情報をシェアし、どの産地にも明るい未来が訪れるようにするにはどうすればよいか。今はそんなことができたらと思っています」
「どの産地にも明るい未来が訪れるようにするにはどうすればよいか。最近はそんなことも考えています」
めざすは「from local、 to local」
そう語る村瀬さんは、「from local、 to local」という言葉を口にする。
「有松で言うならば、『フロームローカル』はある程度実現し始めているのではないかと思います。その次に着手すべきことは、『トゥローカル』。つまり有松という地に世界から人が訪れること。その手段として実は、海外からの旅行客向けに、有松を一日で巡るツアーを実施しています。古い街道の面影が残る有松の街並みを散策し、絞りのワークショップを体験する。そんなツアーが思いのほか好評で、少しづつではありますが、有松という土地に、世界からも注目が集まりつつあります。日本が誇る素晴らしい伝統工芸品を媒介として、こうした取り組みをほかの産地でも実現することができれば……。いうなれば、ローカルに複数形の「s 」がついた、フロームローカルズ・トゥローカルズです」
デュッセルドルフで立ち上げた法人を拠点に、ヨーロッパ各地はもとより、最近では北米やアジアでも「suzusan」に注目が集まり始めている。村瀬さんが海外で過ごす時間は、以前よりも増してより多くなってきた。
「僕は、有松にほとんどいない社長、と有松の人からも言われています」
村瀬さんは苦笑いする。しかし、村瀬さんの心はいつも有松を、そして日本の伝統工芸にある。
Photos by Azusa Todoroki
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旅館の矜持 THE RYOKAN COLLECTIONの世界
2026.7.28
50年の老舗に加わった和モダンのヴィラとメゾネット。
日本文化に滞在する「坐漁荘」の総支配人代理・井戸伸治氏
本館脇の庭園にて。生い茂る樹木と年月を感じさせる苔が素晴らしい。
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「ザ・リョカンコレクション」に加盟する旅館の女将や支配人を紹介する連載「旅館の矜持」。今回は静岡県の伊豆・浮山温泉郷にある「ABBA RESORTS IZU – 坐漁荘」の井戸伸治・総支配人代理兼総料理長を紹介する。
富士箱根伊豆国立公園内の手つかずの自然のただなか、瀟洒な建築が点在する伊豆高原の別荘地の一画に「ABBA RESORTS IZU – 坐漁荘」はある。約6000坪もの敷地を擁し、50年以上の歴史を連綿と紡いできた老舗旅館である。
国立公園の中に位置するだけあって、敷地内には樹木が生い茂り、緑は目映いほどだ。それはちょっとした小山のようであり、広大な庭園には清流や滝がしぶきを上げ、色とりどりの錦鯉が戯れる。濡れそぼった苔が風情を醸し出している。
以下、井戸伸治・総支配人代理に話を聞いた。
新築のファミリーメゾネットは天井が高く気持ちが良い。万葉集を意匠にした装飾がここかしこに配されている。
新オーナーが推進させたハイブリッド戦略
「本館である東館につらなる南館に、ファミリーメゾネットとヴィラを合わせて6室を増築したばかりです。それぞれの客室が『万葉集』にある柿本人麻呂の和歌や与謝蕪村の俳句をテーマにしておりまして、それらの世界観をインテリアや色彩などに織り込みました。これらの客室は7月7日から稼働しています」
新築された6つの和モダンな客室は、いずれも日本文化を体現した落ち着きのある空間となっている。
そもそも井戸総支配人代理は今から28年前に、副料理長として「坐漁荘」に入社した。当時は創業者でもある先代のオーナーが所有する旅館だった。当時から伊豆半島では頭一つ抜き出た本格的な会席料理を供する高級料理旅館として、その名を馳せていた。
大きな転機は2012年に訪れる。
「現在の外国人オーナーの手に渡りました。経営譲渡の話は2008年ぐらいから始まっていたのです。しかし、譲渡が成立する1年前の2011年3月に、東日本大震災が起きまして、当旅館も先行きは、存続すらまったく分からないような状況に陥りました。
この話は立ち消えになるかもしれないなと思っていたのですが、当初の計画通り、現オーナーは事業を引き継いでくれたのです。『旅館というのは世界の中でも日本にしかない文化なのだから、そういうものを衰退させないでやって行きましょう』というのがオーナーの気持ちでした。当時、私は料理長をしておりましたが、本当にありがたくて、感謝しかなかったですね」
もちろん、不安がないわけではなかった。
「とは言え、外国人オーナーですから、日本旅館がどのように変わって行くのだろうかという不安はありました。ところが、オーナーが最初に宣言したのは、『日本文化の継承』だったのです」
プール付きのヴィラ。周囲はまるでウブドの杜のようだ。
建物に関しては、残す部分は残し、刷新する部分もあった。
「運営方針としては、伝統的な和風旅館の良さは残しつつ、現代の顧客ニーズに対応するハイブリッド戦略を採用しました。本館の歴史的価値は最小限の改装で維持しつつ、プライベートプールの付きのヴィラや、ペット同伴可能な客室、メゾネットタイプの客室も作りました」
ヴィラ棟は16室もあり、本館から少し離れた大自然の中に点在し、とりわけプライベート感に優れている。バリ島のウブド辺りにあるヴィラを思い起こさせるものだ(他に新築されたヴィラ2棟は本館の横にある)。ヴィラに限らず、すべての部屋に温泉の露天風呂が完備している点もゲストにとっては非常に嬉しいポイントだ。
部屋付き露天風呂の類を見ない開放感。
魅力的な3つのレストラン
この宿の第一の魅力が、施設を囲む大自然であるとすれば、二番目の核となる魅力は多彩な食事にある。新オーナーは食事には大幅に手を入れた。
「食事のスタイルは従来の部屋食からレストラン食にしました。会席料理は継続して、コンテンンポラリーフレンチと鉄板焼きを導入しました。このことによって、富裕層や旅慣れたお客様、連泊するお客様が増えました」
この日のお造りはすべて地魚で、金目鯛やアオリイカ等。やはり格別に美味しい。
伊豆は食材の宝庫でもある。
「和食は50年以上にわたる会席料理の伝統を現在も継承しています。私は総料理長も兼任しておりますので、献立は私が考えています。今は旅館全体の仕事で忙殺されていますが、腕が鈍るといけないので、時々は厨房に立ったりしています。
何と言ってもありがたいのは、伊豆の食材の豊富さです。それは地産地消を基本にできるほどなのです。
まず、伊東市場や静岡県内から仕入れる新鮮な魚介類、特に金目鯛、クロムツ、伊勢海老、カサゴ、赤ハタ、アオリイカ等です。特に伊東市場は車で30分の距離ですから、そこから来た魚は鮮度が抜群です。冬季には浜名湖産の天然トラフグのプランもあります。実は浜名湖は、天然トラフグに関して、日本でもトップクラスの水揚げ量なんですよ。
それと、地元農家と連携した野菜です。少し離れても三島野菜で、ミニ大根、ニンジン、ラディッシュ、ジャガイモ、玉ねぎ、トマト、ルッコラ、原木シイタケなど、厳選して使用しています。
実は私の自宅は近くの山の中にあるので、週に2、3回は近所の農家さんから野菜を仕入れて、朝の出勤の時に私が運んだりしています(笑)」
低温調理された黒毛和牛。茄子、ミニ人参、コリンキー、シャドークイーン等々、付け合わせの野菜が主役に匹敵するほどの味だ。
晩の会席メニューには牛肉も出るが、肉はどうなのか?
「牛肉は以前は静岡のものを使っていましたが、仕入れが安定しないので、今は宮崎の黒毛和牛に落ち着いています。和食の料理人は肉焼きを教わることはないんですね。ですから、当館では低温調理をしてみたり、牛肉や合鴨の研究も熱心にやっています。
それから、フレンチで使っている地元の天城シャモは、肉質がプリプリで素晴らしいです。鹿肉も美味しいので、それを使うことに注力しようとしています」
和食、フレンチ、鉄板焼きの3つのレストランはいずれもが美味しく、評判はすこぶる上々である。2017年には、世界的な「ワールド・ブティック・アワード」の和食・洋食の料理部門で受賞もしている。
「あの時は、フレンチのシェフと私で、ロンドンの授賞式に行ってきました。
献立は、和食が2カ月に一回、フレンチは季節ごとに変えています。和食、フレンチともに、3連泊されるお客様で和食やフレンチや鉄板焼きだけを選ばれても、献立を替えて対応できます。ベジタリアンやヴィ―ガンにももちろん対応しております」
伊豆のど真ん中で、これほど食に特化した旅館も珍しい。地域との関係も深い。
「『地域と共に栄える』ことがオーナーの考え方でもあり、運営方針でもありますから、食材の仕入れ先は地元の生産者や市場が中心となります。いわば、地域経済との共存共栄を目指しております」
フレンチレストランでの朝食。地元の温野菜と自家製のトーストが驚きの美味しさだ。
厨房での優れた教育方針
「厨房の現場というのは、師匠が若手を仕込むに当たっては、『見て覚えろ』というのが慣例でした。非常に厳しいのが当たり前で、ややもすると、激しい????責や手が出ることも珍しくなかったのが料理の現場です。私は副料理長としてここに来たのですが、料理長である大将は、当時の静岡県の調理師会の会長をやっておられるような有名な方でした。その方の考えは慣例とはまったく違っていて、『僕らが若い時に受けたような指導をしちゃダメだよ』とよく言われました。『若手は宝だよ』というのが彼の考え方の根本にあったのです。
勿論、怒る時は怒るのですが、『納得のいくような怒り方をしなさいよ』と言われていました。当時としては、非常に珍しいことでしたね。その精神は今でも受け継がれていて、丁寧な指導はこの宿の伝統になっています。その結果、人材の確保も安定していますし、なにしろ、組織力が上がりますね」
調理師学校との連携も強化している最中だ。業界では、料理の修業先や就職先として、「坐漁荘なら間違いない」というのが定説になっているとのことだ。
地域随一の風格を感じさせるエントランスにて。
稀有な着物や刀剣と日本文化体験
最後に触れておきたいのは、宿の三番目の魅力についてである。それは日本文化の体験であり、触れ合いである。
「オーナーが日本文化に深い敬愛を寄せる人物であることはすべに述べましたが、それはある意味、日本人以上とも言えるほどです。彼は元々、途轍もない着物のコレクションを持ち、また、博物館レベルと評される刀剣のもの凄いコレクターだったのです。
着物は玄関を入ったすぐにところに季節ごとに展示していますし、刀剣はいつでも見学が可能な刀剣ギャラリーに陳列してあります」
着物のごく一部を紹介すると、手描き友禅の逸品である訪問着「京友禅」疋田染(ひったぞめ)鬘帯(かずらおび)、「京都西陣織」で全て手織りの袋帯、世界的に活躍した加賀友禅の巨匠・由水十久(ゆうすいとく)の訪問着などである。
刀剣の一部を紹介すれば、人間国宝天田昭次刀匠が生涯をかけた集大成といえる作品です。天田刀匠の最後を飾る精華といえる作品など、三十振り余りが所蔵されている(展示はその一部)。
「平成二十三年秋吉日 現代・新潟」
刀/刃長:39.4(一尺三寸)、反り:0.4cm 脇差/刃長:75.0cm(二尺四寸七分半)、反り:2.0cm
また、希望があれば、お茶や香り袋づくりなどの文化体験もできる。
「日本人がちょっと忘れつつある文化――刀剣であり着物であり、茶道や香道に触れられるのがこの宿の良さだと思っています」
現在の宿泊客の構成は、日本人6割、インバウンド4割。価格帯は1名8万~20万となっている。
「幾度かの増改築を経て、宿のハードウェアとしては完成に近づいたのではないかと思っています。今ある最優先課題は人材育成です。それによって、サービスの品質の段階をさらに上げて行くことです。そのためにはスタッフが意識を一つにして、常に勉強をしながら上を追い求めていくことが大事ですね」
ロビーにある囲炉裏にて。背後の庭園に広がる苔が美しい。
井戸伸治(いどしんじ)
静岡県伊東市出身。20代前半、「東京パレスホテル」内「和田倉」及び他店にて修業。1999年、「坐漁荘」副料理長として入社後、2007年、料理長。2014年、リニューアル期に総料理長に就任。2025年より総支配人代理を兼任、現在に至る。
構成/執筆:石橋俊澄
Toshizumi Ishibashi
「クレア・トラベラー」「クレア」の元編集長。現在、フリーのエディター兼ライターであり、Premium Japan編集部コントリビューティングエディターとして活動している。
photo by Toshityuki Furuya
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投稿 50年の老舗に加わった和モダンのヴィラとメゾネット。
日本文化に滞在する「坐漁荘」の総支配人代理・井戸伸治氏 は PREMIUM JAPAN に最初に表示されました。
Experiences
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長崎の魅力と未来戦略を鈴木史朗市長が語る
2026.7.27
長崎市長が語る ニューヨーク・タイムズ紙「2026年に行くべき52カ所」に選出した長崎の今
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2026年6月、東京・有楽町の外国特派員協会(FCCJ)で開催された講演会に、長崎市の鈴木史朗市長が登壇した。
アメリカの有力紙『ニューヨーク・タイムズ』が毎年発表する「52 Places to Go(行くべき52ヶ所)」。2026年版では、日本から長崎と沖縄が選出され、長崎は17番目に紹介された。さらに読者投票では5位に選ばれ、世界的な注目を集めている。
冒頭、鈴木市長は、「日本と世界を結ぶ玄関口として発展してきた都市として長崎ですが、長崎には世界遺産もありますし、美しい景観もあります。しかし、それだけで選ばれたとは思っていません」と語った。
「長崎には交流の歴史があり、平和への願いがあり、人々の暮らしがあります。そうした一つひとつの物語が評価されたのではないでしょうか。今の時代は、単に有名な観光地を見るだけではなく、その土地が持つ背景やストーリーに価値を感じる旅行者が増えています。長崎はそうした意味で非常に魅力的な都市だと思います」
世界から評価されたのは、観光資源の豊富さだけではない。そこに息づく歴史や文化、人々の営みを含めた「物語」そのものだと市長は選出の理由を分析した。
世界に開かれた港町が育んだ多文化共生のDNA
長崎を語るうえで欠かせないのが、出島を中心とした国際交流の歴史である。
江戸時代、日本が鎖国政策をとる中で、長崎は唯一西洋へ開かれた窓口だった。特に出島はオランダとの交易拠点として機能し、海外の人・モノ・文化・知識が流入する重要な場所となった。
その結果、長崎には日本、中国、ヨーロッパの文化が融合した独自の文化が育まれた。
「長崎では、日本、中国、オランダの文化が混ざり合い、『和・華・蘭(わからん)文化』と呼ばれる独自の文化を形成してきました。多様な価値観を受け入れてきた歴史こそが長崎の財産です」
異文化との共生は、長崎の街並みにも色濃く表れている。石畳の坂道の先に教会があり、その近くには寺院や和風建築が並ぶ。和洋中が自然に共存する風景は、日本国内でも極めて稀有なものだ。
「長崎の歴史を振り返ると、異なる文化や宗教、価値観を持つ人々が共存してきました。その経験は今の時代にも大きな意味を持っています」
さらに市長はこう続ける。
「世界では分断が課題になっていますが、長崎は交流によって発展してきた都市です。異なるものを受け入れながら共に生きるという価値観は、これからの社会にも必要ではないでしょうか」
長崎の人々に感じる穏やかさや寛容さも、こうした歴史の積み重ねの中から生まれたものなのだろう。
「日本のサンフランシスコ」と称される独特の景観
長崎の魅力は文化だけではない。
港を囲むように山々が連なり、その斜面に住宅が建ち並ぶ独特の地形は、しばしば「日本のサンフランシスコ」とも称される。
「港から山へと続く街並みは、長崎ならではの風景です。海と山が近接していることで、歩くたびに異なる景色と出会うことができます」
グラバー園から望む港の風景、稲佐山から見下ろす夜景、異国情緒漂う東山手や南山手エリアなど、長崎にはコンパクトな街の中に多彩な表情が凝縮されている。
「長崎は大都市のような規模ではありませんが、その分、人と街との距離が近い。ゆっくり歩きながら街の魅力を発見できる都市だと思います」
被爆地としての使命と平和への発信
鈴木市長は講演の中で、被爆地としての長崎の役割についても話した。
1945年8月9日、長崎は人類史上二度目となる原子爆弾の被害を受けた。
「1945年末までに約7万4千人が命を失い、市民の約3分の1が犠牲となりました。被爆者の皆さんは、その後も放射線被害や偏見と向き合いながら生きてこられました」
しかし長崎は、その悲劇を乗り越えて復興を遂げる。
被爆から間もない時期に長崎くんち(長崎の氏神様「諏訪神社」の秋季大祭)が再開され、1955年には平和祈念像が建立された。毎年8月9日には平和祈念式典が開催され、世界へ向けて平和のメッセージを発信し続けている。
また、1981年にはヨハネ・パウロ2世、2019年にはフランシスコ教皇が長崎を訪れ、信仰と平和の尊さを訴えた。
「長崎は人類最後の被爆地です。だからこそ核兵器廃絶を訴え続ける責任があります」
鈴木市長自身も核兵器不拡散条約(NPT)関連会議に合わせてニューヨークを訪れ、国際社会へメッセージを発信している。
「被爆者の高齢化が進む中で、私たちは何を次世代に残せるのかを真剣に考えなければなりません」
さらに市長はこう続ける。
「長崎が伝えたいのは悲惨な歴史だけではありません。その経験を経て、人類がどう平和を築いていくのかという未来へのメッセージです」
「数字や政策だけでは伝わらないことがあります。映像や物語には、人の心を動かす力があります。だからこそ私たちは様々な形で発信を続けています」
参加者と交流する鈴木市長。
「量より質」を追求する観光戦略
観光政策について、市長は明確なビジョンを示した。
「私たちは観光客数だけを追い求めるつもりはありません。地域の暮らしが犠牲になってしまっては意味がないからです」
京都などでオーバーツーリズムが課題となるなか、長崎はまだ十分な受け入れ余地があるという。一方で目指しているのは、単純な人数の増加ではなく、高付加価値型観光への転換だ。
「私たちが重視しているのは、一人ひとりの旅行者により深く長崎を体験していただくことです」
長崎市は欧米豪市場へのアプローチを強化している。
「欧米豪の旅行者は滞在期間が長く、地域での消費額も高い傾向があります。日帰り観光ではなく、二泊三泊、あるいはそれ以上滞在しながら文化や食を楽しんでいただきたい」
また、長崎観光を象徴する存在の一つが、世界文化遺産に登録されている端島、通称「軍艦島」だ。
かつて海底炭坑によって栄え、日本の近代化を支えた島は、現在では国内外から多くの観光客が訪れる人気スポットとなっている。
「軍艦島には、日本の近代化の光と影の両方があります。その歴史を体感できることが大きな価値だと思います」
長崎には、原爆による被害を受けた地域と、地形や気象条件によって被害を免れた地域が共存している。
「長崎は平和の尊さを実感できる街です。過去を学び、未来について考えるきっかけを与えてくれる場所でもあります」
鈴木市長は長崎の歴史から食文化、新たな食の提案まで幅広く紹介。
食文化にも息づく国際交流の歴史
長崎の魅力は食文化にも色濃く表れている。
出島を通じて伝わった砂糖文化から生まれたカステラは、長崎を代表する銘菓として知られる存在だ。
また、中国文化の影響を受けたちゃんぽんや皿うどん、和洋中が融合した卓袱料理なども長崎ならではの食文化である。
「長崎の食文化は、海外との交流の歴史そのものです。ちゃんぽんも卓袱料理も、多様な文化が交わる中で生まれました」
さらに市長は、新たな名物として「ながさき刺しゃぶ」を紹介した。
「まずは刺身として味わい、その後しゃぶしゃぶにし、最後は旨味が溶け込んだ出汁で麺を楽しむ。長崎の豊かな海の幸を存分に味わえる料理です」
長崎近海は一年を通じて豊かな漁場に恵まれている。
「長崎の海は非常に豊かで、質の高い魚介類が一年中手に入ります。食を目的に訪れていただいても十分満足していただけると思います」
旬の魚の刺身をしゃぶしゃぶにして、薬味と共にいただく「ながさき刺しゃぶ」。
旬の魚を各お店の出汁やタレでしゃぶしゃぶにすることで、刺身とは違う長崎の魚の旨みを楽しむことができる。
長崎の名産品。日本三大珍味と呼ばれる「からすみ」。長崎半島の先端部に位置する野母崎地方で捕れる鯔(ボラ)の卵で製造。「角煮まんじゅう」は中国から伝えられたトンポーロウを長崎風にアレンジ。「カステラ」は室町時代末期にポルトガル人から伝った西洋洋菓子が長崎で独自に進化。「長崎かんぼこ」はかまぼこの長崎弁。(左上から時計回り)
講演の最後に鈴木市長は、改めて長崎の未来像について語った。
「長崎は過去の歴史だけで語られる街ではありません。今も新しい魅力が生まれていますし、未来へ向けて進化し続けています」
そして最後にこう呼びかけた。
「ぜひ長崎を訪れ、この街が育んできた文化や食、そして平和への思いを体感していただきたいと思います。長崎で過ごす時間が、訪れた方にとって新たな発見や学びにつながることを願っています」
世界から注目を集める今、長崎は過去と未来を結ぶ都市として、新たなステージへ歩み始めている。そこには、観光地としてだけではない、持続可能な地域成長のモデルとしての可能性も秘められている。
Text by Yuko Taniguchi
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Features
ガールズグループTWICEとのコラボレーション・アフタヌーンティー
2026.7.24
ウェスティンホテル東京「ザ・ラウンジ」で8月末まで期間限定開催中
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ウェスティンホテル東京のロビーラウンジ「ザ・ラウンジ」は、マリオット・インターナショナルの旅行プログラム「Marriott Bonvoy」と世界で活躍するガールズグループTWICEによるコラボレーション「Candy Dream(キャンディー・ドリーム)」をテーマにした「TWICEアフタヌーンティー」を、2026年8月30日(日)までの土・日・祝休日限定で提供中だ。
TWICEのコンセプトである「二度感動を与える」という世界観に着想を得て、“一度は目で、もう一度は舌で楽しむ”アフタヌーンティーが登場。華やかで遊び心あふれるビジュアルと繊細な味わいが響き合う特別なメニューを通して、五感を満たすひとときを満喫できる。
スイーツには、TWICEのマジパンプレートを添えたグラスデザート「カラフルフルーツとピンクヨーグルトのグラス」や「マンゴー風味のチーズケーキ」、「苺とラズベリーのティラミス カラフルマシュマロ」をはじめ、、ホテルで人気の「シグネチャーシュークリーム」をアフタヌーンティー限定サイズでラインアップ。
セイボリーには、「2色のミニドッグ」をはじめ、「チキンムースとオレンジのカナッペ」や「牛肉ときたあかりのコロッケ」など、彩りと味わいのバランスにこだわったメニューが並んでいる。
ドリンクは、TWGティーより厳選した8種類のティー・ポットのほか、マンゴーアイスティーやピーチアップルなどを含む全17種類からチョイスでき、さらに、ウェルカムカクテル付きプランでは、スパークリングカクテルと、ノンアルコールカクテルの2種のTWICEオリジナルドリンクも用意されている。
あなたもここでしか味わえない心躍るアフタヌーンティー体験を楽しんでみてはいかが。
◆「TWICEアフタヌーンティー」
【期間】2026年8月30日(日)までの土・日・祝休日限定(1日あたり100食限定)
【場所】ウェスティンホテル東京 ロビーラウンジ「ザ・ラウンジ」(1F)
東京都目黒区三田1-4-1
【時間】①14:00~ ②14:30~ ③15:00~ ④16:30~ ⑤17:00~ ⑥17:30~
※2時間制(30分前にL.O.)
【料金】TWICEアフタヌーンティー ¥8,400(税、サービス料込み)
TWICEアフタヌーンティー ウェルカムカクテル1杯付 ¥8,900(税、サービス料込み)
※詳細は予約サイトを要確認
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Features
「星のや京都」知的好奇心を満たす夏の旅
2026.7.22
京の文化を深く味わう「大人の自由研究」開催
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京都・嵐山の旅館「星のや京都」では、2026年8月24日(月)まで、京都の伝統文化を学びながら感性を磨く宿泊プログラム「大人の自由研究」を開催。平安時代から続く季節の風習や、伝統の真髄に触れる講座など、大人の知的好奇心を満たす文化体験が楽しめる。
8月15日(土)から19日(水)まで開催されるのが、梶の葉に願いをしたためる「七夕体験」。平安貴族が梶の葉に願い事を書き記した風習にならい、短冊ではなく梶の葉を使用。想いを綴り、川に流す体験は、忙しい日々の中で自分自身を見つめ直すきっかけになりそうだ。
「奥嵐山の暁天講座」は、早朝の朝日が差し込む「奥の庭」で開催
8月には、早朝の寺院で説法を聴く「暁天(ぎょうてん)講座」にならい、華道家元や香木の専門家、庭師らを講師に迎える「奥嵐山の暁天講座」を開催。伝統の背景にある歴史や美意識を学ぶことで、教養を深める機会となる。
通年開催の「京の家元に学ぶ華道」は、未生流家元 笹岡隆甫氏が指導。 2名145,200円、3名174,240円、4名203,280円(税・サービス料10%込)※場合によっては除外日有
通年開催の「朝のお勤め」は、大徳寺瑞峰院で体験できる。1名15,427円(税・サービス料10%込) ※場合によっては除外日有
このほか「星のや京都」では、伝統文化の体験プログラムを通年で開催。「聞香」「京の家元に学ぶ華道」「大徳寺瑞峰院での朝のお勤め」など実際の体験を通じて、日常では得難い豊かな学びをもたらしてくれる。
観光名所を巡るだけでは出会えない、京都の文化や美意識に触れる旅。静謐な時間が流れる“水辺の私邸”で、大人の学びを楽しんでみては。
【開催日】
「七夕体験」 2026年7月4日~7日、8月15日~19日
「奥嵐山の暁天講座」2026年8月3日、10日、17日、24日
【料金】無料
【予約】公式サイトにて事前予約必要な催しもあり
※屋外での催しは、天候により内容が変更・中止になる場合があります。
【暁天講座 講話スケジュール】
8月3日 山田松香木店社長 山田洋平氏「日本の香りと歴史・精神~現代へと繋ぐもの~」
8月10日 植彌加藤造園社長 加藤友規氏 「京の夏と庭涼み」
8月17日 未生流笹岡家元 笹岡隆甫氏 「いけばなと陰陽五行」
8月24日 亀屋良長社長 吉村良和氏・由依子氏「夏のお菓子で涼をとる」
※開催内容が一部変更になる場合があります
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