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「iPhone17シリーズはこれまでで最も人気のiPhoneモデルである」と、Appleの最高財務責任者(CFO)のケヴァン・パレック氏が英Financial Timesに対して述べたことが話題になっています。
Apple史上最も人気のシリーズ
iPhone17は、著名YouTuberのマーケス・ブラウンリー氏から「Appleはやるべきことをすべてやった」と評されるほど、完成度の高いデバイスとして仕上がっていますが、Apple陣営側も同シリーズに対して高い評価を持っていることがわかりました。
「iPhone17シリーズはApple史上最も人気のモデルとなっている」と、AppleのパレックCFOが述べています。
Appleが言うところのiPhone17シリーズとは、iPhone17、iPhone17 Pro、iPhone17 Pro Max、iPhone17e、iPhone Airで構成されます。
iPhone Airだけ鳴かず飛ばず?
iPhone17シリーズのうち、超薄型のiPhone Airだけはあまり売上が伸びていないようで、逆にスマホ業界に「非スリム化」という新たなトレンドを作ってしまったほどだと報じられています。
Source: Financial Times
Photo: Apple
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林 信行の視点
2026.4.30
「静かな岡」の哲学 ーー 平和の都・静岡市が育むプレミアム
徳川慶喜公の屋敷跡にできた「浮月楼」。結婚式場、料亭として知られているが昨年に入ってから能舞台のある庭を楽しめるBAR KARYOがオープンしている。
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コロナ禍という未曾有の災厄を乗り越え、人類はようやく共通の敵に打ち勝ったかに見えた。だが、その後に訪れたのは、むしろ対立が剥き出しになった時代だった。各地で強い指導者が次々と台頭し、世界のそこかしこで戦火があがっている。
そんな時代だからこそ、平和とは何かを問い直す旅に出たい。
日本にも、長く深い平和の時代があった。徳川家康が1603年に開いた江戸幕府は、以来260年余にわたって戦のない世を築いた。その徳川の最初の将軍・家康と、平和のために幕府を閉じた最後の将軍・慶喜——この二人の将軍にゆかりの地が、静岡市だ。
美しい海岸線と良質な温泉に恵まれた伊豆半島、世界文化遺産・富士山の麓に広がる富士エリア、浜名湖、掛川、浜松などを含む西部エリアなど魅力的観光地が多い静岡県。「静岡」の名が付いた駅のある「中部エリア」の魅力は見過ごされがちだが、徳川家康は幼少期と晩年の3分の1をここ(当時の駿府)で過ごし、慶喜は大政奉還ののち、約20年間、ここで静かに暮らした。静岡駅の前には家康公の像があり、駅から徒歩3分のところには慶喜公の屋敷跡がある。
平和を開き、平和のうちに幕を閉じた二人の魂が宿る城下町を、平和のインスピレーションを求めて旅をした。
JR静岡駅北口には今川義元に見守られながら元服する若き竹千代(のちの家康)の像がある。近くには三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を支配した壮年期の家康公像もある。
静岡浅間神社の中心的存在、神部神社と浅間神社。二社同殿と言って1つの建物に2つの神社が入っている。
家康公の出発点にして、「静岡」の名の生まれた場所
家康公ゆかりの場所としてはずせないのが、静岡県の名前の由来にもなっている静岡浅間(せんげん)神社、通称「おせんげんさま」だ。
生涯の3分の1をこの駿府で過ごした家康公、「幼少期の人質時代には今川義元公に見守られながら、この神社で元服式(今で言う成人式)を行いました。家康公の人生の出発点が、ここなんです」。そう語るのはこの神社の禰宜(ねぎ)の宇佐美洋二さん。
のちに天下人となった家康だが、生涯を通してこの神社への崇敬を持ち続けた。関ヶ原の合戦では出陣前に必勝を祈願し、勝利ののちには戦で使った軍配を奉納。大御所として駿府に戻ってからは徳川幕府の祈願所と定め莫大な社領を寄進した。
家康公を神として祀る神社は全国にあるが「生前から縁があった神社で、家康公が同一境内に二座祀られているのは、全国でここだけです」だと言う。
縁があるのは家康公だけではなく、古くはヤマトタケルが賤機山の頂から伊勢神宮を遥拝してその神をここに祀ったとも言われ、能楽の始祖・観阿弥は最後の舞台をここで踏んでいる。
4万5千平方メートルの広大な神域には多くの社(やしろ)が併せ祀らされている。一番古い神部神社(かんべ)は約2100年前、崇神天皇の御代に創建した駿河最古の神社だ。それに1700年前にできた大歳御祖神社(おおとしみおや)と1100年前に富士山本宮から分祀された浅間神社を加えた3社が中心となっている。
その後、明治期の合祀政策で最終的に7社になったが、その中には、33社の神社が併せ祀られており、全部で40の神社と56の神様を祀るのが静岡浅間神社であり、縁結びや学問、病気平癒まで、人生の諸願をすべてここで託すことができる。 歴史的にも宗教的にも厚みのある神社だが、自然にも恵まれている。境内は背後にある山の豊かな緑と一体化しており足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。宇佐美さんが境内を案内しながら、突然かがんで手を水路に浸したと思ったら、手のひらに小さなしじみが乗っていた。結構、たくさんいるようで、昔から「浅間神社のシジミを食べると畏れ多くて目がつぶれる」と言われて守られてきたらしい。生活に根差した自然保護の知恵にちょっと微笑ましくなる。境内の神池にはカワセミが飛来し、夜には樹間をムササビが飛びアナグマやタヌキが歩いていることもあるらしい。都市の真ん中に、手つかずの自然が残されていることに驚かされる。
この歴史と文化と自然の交差点のような神社こそが、実は「静岡」という地名の由来にもなっている。元々は「府中」と呼ばれていた地名を、明治維新後、変えることになったとき、神社背後にそびえる賤機山(しずはたやま)と古代の呼称であった青葉丘(あおばおか)の名から「静ヶ丘(しずがおか)」という名前が出てきた。「時世を思い土地柄を考えて静ヶ丘即ち静岡がよい」と「静岡」に定まり、そのことは石碑にも刻まれていると言う。
「静かな岡」——ここからも平和の意志が伝わってくるではないか。
漆と金箔と職人技——「東海の日光」と呼ばれた社殿群の美
総門を入るとまず目に入る楼門。その内側に少しだけ見えるのが素木作りの舞殿だ。
せっかくなので、静岡浅間神社の建築や装飾をもう少し丁寧に見てみよう。
建物としてまず目を引くのは総門の奥に立つ楼門だが、既にこの門から壮麗さと精緻な技術で来るものを魅了する。夜には閉めるという扉の上に佇む金色の龍だけでも金箔が1000枚、楼門全体では約22,000枚の金箔を使用しているという。龍以外にも麒麟や獅子など様々な彫刻が彫られており、一部には時間が経つほどに輝きが増す「生彩色(いけざいしき)」と呼ばれる高級な彩色を取り入れている。
楼門をくぐったすぐ先には観阿弥が最後の舞台を踏んだ舞殿がある。周囲は総漆塗、極彩色の装飾が施されたきらびやかな建物ばかりだが、この舞殿だけ色の塗られていない中世が甦ったかのような素木造りの質実な建築になっている。
「飛龍」や「波」の他、「獏」も彫られているが、「獏は金属を食べる動物とされています。金属とはつまり武器のこと。獏がいるということは、金属が豊富にある——つまり戦争をしていないということ。ここに獏がいるのは、平和の象徴なんです」と宇佐美氏は言う。ちなみに山肌に建つ御本殿の柱の上にも、金箔の貼られた獏がこの地を見守るように掘られている。
舞殿を超えると、その向こうには、国指定重要文化財で「漆塗りの神社建築としては日本一」の高さ21メートルを誇る大拝殿(おおはいでん)がそびえ立っている…はずだ。
一層目に千鳥破風付きの切妻屋根、二層目に入母屋屋根を重ねた二階建ての、さらにその上に小屋根を重ねた三層二階建ての「浅間造り」と呼ばれる構造で他にあまり例を見ない。高さのある構成は、富士山を象徴していると言われ、一階と二階の間には富士山にかかる雲の彫刻を配し、その上には天女が舞う。神が富士山の雲の上に鎮まるという世界観を、建物の垂直方向に重ねていると解釈されているらしい。
残念ながら歯切れが悪いのは、現在、その姿を見ることができないからだ。今、静岡浅間神社では2014年から2037年頃まで続くという「平成令和の大改修」と呼ばれる改修工事の只中にある。工事期間は25年以上総費用55億円という大規模な改修で、現在、この大拝殿全体が覆われていて、その姿が見えない。
2020年に塗り替えが完了した楼門だけでも「漆の塗り替えだけで3年かかりました。工事費は4億2千万円ほどかかり、およそ1トンの漆が塗られています。」と宇佐美氏は言う。
これだけ手間とお金と時間をかけた大改修が行われていることからも、日本にとってこの神社がどれだけ大事なものかが伝わってくる。
かつて儒学者・貝原益軒が「日本にて神社の美麗なる事、日光を第一とし、浅間を第二とす」と記し「東海の日光」と称えたそうだが、その美を、この先の未来にもつなげようとする努力に希望を感じる。ちなみに、宇佐美氏によれば神社の彫刻の改修などで職人が集まってきたことが、木工や家具、さらにはプラモデルを含む模型づくりといった現在の地場産業につながっているのだという。
改修中の大拝殿を迂回してその奥に進むと、横に長い社殿が現れる。一見すると単一の社殿だ。だが宇佐美さんが言った。「これ、実は二社なんです」。
神部神社と浅間神社——主要三社のうちの二社が、文字どおり「一つ屋根の下」に同居している。二社同殿、と呼ばれる様式だ。屋根はひとつに見えるが、よく見ると棟の稜線がわずかに二段に分かれている。中央には「相の間」と呼ばれる空間があり、かつて神主が神事のために籠もった部屋だという。
この建物には、もうひとつ仕掛けがある。浅間神社は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめ)を主祭神とした富士山信仰の神社。だから「富士山を正面に拝むよう、ほんのわずかに軸をずらして建てられている。大拝殿の工事の足場が、今はその視線を遮っている。足場が取れたら、またここから富士山が見えます」と宇佐美氏は言う。
大改修が終わってから再訪したいのはもちろんだが、歴史を未来へとつなぐ今だけの改修中の姿にも尊さがあると感じた。
龍や獅子、獏はそこかしこに彫られている。舞殿の彫刻は無彩色だが、浅間神社/神部神社の彫刻は金箔が貼られた極彩色になっている。写真は比翼三間社流造りの神部神社・<wbr />浅間神社の本殿のうちの神部神社の向背柱の木鼻の獏と獅子
海越しの富士と3万本の松——三保松原という奇跡
美保松原から見る富士山(写真提供:静岡市)
駅からは遠いが、静岡市の名所としてもう1つはずせないのが、三保松原だ。清水港の先に突き出た三保半島の先端、推定3万本の松が海岸線を覆い、その向こうに駿河湾が広がり、晴れた日には45キロ先の富士山がそびえる。2013年、富士山の世界文化遺産登録の構成資産のひとつとなったこの松原は古来、多くの人々が「海越しの富士」を愛でてきたスポット。
2013年、富士山が世界文化遺産に登録された際、三保松原はその構成資産のひとつとして名を連ねた。しかしそこに至る道は、決して平坦ではなかった。
最大の問題は距離だった。三保松原から富士山まで、直線でおよそ45キロ。「ここに富士山はない」——登録審査の過程でそう指摘され、構成資産から外すよう強く求める声が上がった。イコモス(国際記念物遺跡会議)も一時、除外を勧告したと言う。
それでも市は諦めず登録に向けての働きかけを続けた。
主な論拠となったのは、絵画の世界における両者の不可分な関係だ。室町時代の水墨画家・雪舟は日本平から富士山と三保松原を一体の景色として描いた。北斎をはじめ江戸の浮世絵師たちも同様に、この松原越しの富士を繰り返し画題に選んだ。さらに信仰の観点からも、富士山と三保松原は「人間の世界と天をつなぐ境界線」として一体的に認識されてきたという文脈が示された。
最終的に、その訴えは認められた。三保松原は富士山世界文化遺産の構成資産25か所のなかでも「最も遠い」地点として、異例の逆転登録を果たした。登録された地域には国有林、県有林、公園、民有地が入り組んでおり、管理の所管も分かれており、保全と活用は極めて難しい。しかし、登録をきっかけに全国的に深刻な松枯れ病の抑制でも全国的にも希少な成功事例を作った。
今回は訪れる時間がなかったが、すぐ近くには三保松原文化創造センター「みほしるべ」があり名勝及び世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産としての価値や魅力、松原保全の大切さを紹介しているという。
ただ、驚かされたのが、文化創造センター前を通る「神の道」と呼ばれるきれいに整備された松並木と、その美しい松並木の前に普通の住宅が建ち並ぶ景色だ。庭先からは松越しに富士山が見え、朝には駿河湾の潮の香りが漂う。世界遺産の絶景を日常の窓として生きる——これこそ、究極の贅沢ではないか。
これだけの美しい景色が当たり前に日常の生活空間にあるその贅沢さこそが、平和を願う市民性の源泉なのかも知れないと感じた。
ちなみに松原の中心には「羽衣の松」がある。天女が、羽衣をこの松にかけたという木の伝説があるが、元々の木は現在は海の中で、現在は3代目となる木が伝説を今に伝えている。樹齢2〜300年ほどの巨木は、幹を海のほうへ向けて伸ばし、その姿はまるで翼を広げるようだ。
静岡県静岡市の「御穂(みほ)神社」から世界遺産・三保松原の「羽衣の松」まで続く、神様が通る道とされる約500mの松並木。周囲には住宅や静岡市三保松原文化創造センター「みほしるべ」がある。
慶喜公が月を愛でた庭で、魯山人の味をいただく
能舞台のある庭が美しい「浮月楼」。能舞台のある池を中心とした池泉回遊式庭園は国登録記念物。その周りに結婚式場、 料亭(国登録有形文化財の明輝館)、茶室、今回紹介するBARと茶寮のある「浮月花寮(ふげつかりょう)などいくつかの施設がある。
静岡市で、もう1つ紹介したい名所がある。静岡駅から徒歩3分のところにひっそりとたたずむ料亭、「浮月楼(ふげつろう)」——実はかの徳川慶喜公の屋敷跡だ。
大政奉還ののち、静岡に移り住んだ慶喜公は、明治2年から明治21年まで、およそ20年をここで過ごした。政治を一切遠ざけ、狩猟、油絵、写真撮影に没頭した日々。鴨を追って市内の川や沼へ出かけ、遠くは伊豆の天城山にまで足を伸ばしたという。戦乱の時代を生き抜いた武将の最期は、静かな趣味人としての余生だった。静岡の市民たちは今も彼を「慶喜様(けいきさま)」と親しみを込めて呼ぶ。
慶喜公が造営した庭は、江戸時代から続く名作庭師・小川治兵衛の手によるもの。当時の敷地は現在の倍近い4500坪以上あり、大小の池が広がっていた。現在も残る池泉回遊式庭園には、紅白梅や彼岸桜、染井吉野、紫陽花、椿など、 四季折々の花が咲き、季節の表情を見せる。 安倍川の清流が循環し、春楡が水面に映る。池に月が浮かぶ光景から「浮月楼」と名づけられた。
建築においても卓越していて、昭和初期に日本近代数寄屋建築の巨匠・吉田五十八が手がけた料亭棟は、戦火で焼失したのち、その設計方針を継承する形で再建された。
そんな歴史ある浮月楼に2025年、体験型ギャラリー&サロン「浮月花寮(ふげつかりょう)」がオープンした。「花には化(ばけ)が潜んでいる」をコンセプトに、自然の生命力を抽象化し、古来の日本がもっていた自然観を新しいかたちで未来に接続する空間だ。
昼は「花寮御膳」として、木・金・土・日・祝の2部制(11時〜、13時〜)で6席限定の茶懐石の精神を写した御膳を供する。春に芽吹く山菜や筍、秋に潜む木の子——その場で調理した焼物が季節八寸盛とともに運ばれ、薄茶で締めくくられる。器には静岡在住の世界的な陶芸家・道川省三氏の作品を用い、様々なギャラリーでも評価される現代陶芸の傑作が静謐な食卓を彩る。料理は、美食家にして芸術家であった北大路魯山人が最後に手がけた「星岡茶寮」の流れを汲み、その思想を受け継ぐ井関脩智の系譜に基づくものも用意されている。メニューは二十四節気に合わせて毎月趣向を変え、旬の恵みが一皿ずつ運ばれてくる。
夜になると、同じ空間はBAR KARYOへと姿を変える。2000年前の神代杉をレジンに閉じ込めたカウンターに腰を落ち着け、浮月庭園を眺めながら酒を傾ける。昼の茶懐石とは異なる静けさで、慶喜公が月を愛でたその庭が、夜の闇の中に広がる。
2000年前の神代杉をレジンに閉じ込めた巨大カウンターが美しいBAR KARYO。カウンターの後ろの壁は開閉式でイベントによってはここにアート作品などが飾られる。
屋外テラスもあり庭の風を感じながらカクテルを楽しむことができる。
山と海の食の王国で採るワサビ、食すソバ
「わさび山」とも呼ばれる有東木(うとうぎ)では貴重なわさびの収穫体験ができる。
もちろん、「食」も静岡市の魅力の1つになっている。まず地形の話をしなければならない。静岡市の最高峰は海抜3100メートル、駿河湾の最深部は水深2500メートル。その高低差はほぼキリマンジャロに匹敵する、という。この極端な地形が豊かな水を生み、山と海の両方の恵みをもたらしているという。 「お金を出せば美味しいものが食べられる都市はたくさんある。しかし普通のスーパーの普通の鮮魚コーナーに質のものが並んでいること」が静岡市民の誇りなのだという。
そんな静岡市にある清水港は日本のまぐろ水揚げ量の約半分を担う港だ。世界中の海で獲れたまぐろがここに集まり、目玉から尻尾まで全部位が市場に並ぶ。近年は一般向けの模擬競りも開催され、港の空気ごと体感できる。駿河湾はまた、世界に二か所しか産地がない桜えびの海でもある。生の桜えびのかき揚げ、缶詰を開けた瞬間に立つ磯の芳香、釜揚げしらすのふわりとした甘み——他の産地では希少なものが、ここでは日常の食卓に当たり前に上る。それを静岡市のもう1つの名産である缶詰の技術と掛け合わせ、ここでしか買えない珍しい缶詰がいっぱいあるのもちょっと楽しい。
山の幸も豊かな静岡市だが、はずしてはいけないのは「わさび」だろう。
安倍川を遡ること2時間、静岡市最奥部の有東木(うとうぎ)集落は、日本のわさび栽培発祥の地とされる。収穫体験を受け付けているわさび田もある。旬は10〜11月で「香りと旨味と辛味のバランスが一番いい」と言う。茎、葉、花、根、すべて食べられる。
そんな静岡での夕食。定石ならここで魚介類を食べに行くべきところかも知れないが、手打ちそば「たがた」という蕎麦屋を勧められ訪れると、なるほど面白かった。
実は静岡とそばの縁は深く、800年前、静岡出身の正一国師が中国から製粉技術を持ち帰り日本に蕎麦を普及させ、その蕎麦が家康とともに江戸へ伝わり「江戸打ち」の原型になったという。大政奉還後には慶喜公の随行者が発展した江戸そばを駿府に持ち帰った——つまり、蕎麦の文化が徳川とともに、静岡と江戸を往復したのだ。
店主の田形治さんは、10年以上の営業マン生活を経て、静岡在来種の蕎麦の香りを嗅いだ瞬間に職を辞した。。夜のコースでは予約者が希望をすれば、食事の前に1階のステージを使って目の前で蕎麦打ちをしてくれる。粉に水が入る瞬間、木の実のような甘く香ばしい香りが立ち、打ち立てを「水そば」として何もつけずに口に入れると、静岡の山の香りが溶けて広がる。自分を変えたこの体験を他の人にも体験して欲しいと、わざわざこの空間を作ったのだという。
実は2015年には同じ体験をミラノ万博で披露した。同年のミラノ万博で、山梨と静岡が共同で「富士山ウィーク」を設け、日本館のステージに8回立たせてもらったという。カメラとビジョンが据えられたステージで、そばの歴史を話しながら江戸打ちを実演した。一番拍手が多かったのは、丸い生地が四角に変わる瞬間だったという。「いきますよ。3、2、1——じゃーん」とやると、会場がどっと沸いた。イタリア人が8時間、9時間並んでくれた。「ものすごく喜ばれて、ハマってしまいました。本当に一生の経験ですね」と振り返る。
「静岡から来ましたって言っても、誰も知らないんですよ。でも、富士山の麓から来ましたって言うと、おお!ってなる。だから静岡は世界に出ていくべきだと確信しました。」と田形さん。「静岡はすごい食材の倉庫なんです」と胸を張る。
蕎麦の実の仕入れから製粉、麺打ちまで全工程に携わり蕎麦の魅力を伝える手打ち蕎麦たがた。産地・製粉・製麺の違いが楽しめる、蕎麦の食べ比べも用意。店主が酒蔵と作り上げた、蕎麦に合う日本酒もある。メニューにはないが、そばを氷で潰した新鮮な茶葉につけて食べる蕎麦の香りに衝撃を受けた。
「たがた」店主の田形治さん。在来作物連絡協議会の会長を務め、古き良き在来作物を広めている。貸切予約ができれば1階のこの特注の台で手打ちしている様子を間近に見て、蕎麦の香りが広がるのを味わうことができる。
田形さんが蕎麦を打ちながら語っていた言葉が、帰りの新幹線の中でも頭から離れなかった。「焼き畑をやると森が育ちます。森が育つと川と海が育つんです。僕たちが生きている代では無理です。でも、誰かが始めたら、300年先の静岡が豊かになる」。
浅間神社の宇佐美さんも、境内の片隅で漆の木を育てていた。15年育てないと使えないその木を、25年後の修復工事のために、今植えている。
平和とは、遠い未来を信じて今日を丁寧に生きることではないか。戦乱の世紀に生きる私たちが静岡に求めるインスピレーションは、実はそこにある。徳川家康が平和の幕府を開き、慶喜が血を流さずその幕を閉じたこの城下町には、「静かな岡」という名の通り、長い時間をかけて育まれた、そういう知恵が今も息づいている。
Profile
林信行 Nobuyuki Hayashi
1990年にITのジャーナリストとして国内外の媒体で記事の執筆を始める。最新トレンドの発信やIT業界を築いてきたレジェンドたちのインタビューを手掛けた。2000年代からはテクノロジーだけでは人々は豊かにならないと考えを改め、良いデザインを啓蒙すべくデザイン関連の取材、審査員などの活動を開始。2005年頃からはAIが世界にもたらす地殻変動を予見し、人の在り方を問うコンテンポラリーアートや教育の取材に加え、日本の地域や伝統文化にも関心を広げる。現在では、日本の伝統的な思想には未来の社会に向けた貴重なインスピレーションが詰まっているという信念のもと、これを世界に発信することに力を注いでいる。いくつかの企業の顧問や社外取締役に加え、金沢美術工芸大学で客員名誉教授に就いている。Nobi(ノビ)の愛称で親しまれている。
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