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The Performers : Meet The Clementines, music's new poetic power couple

詩的でパワフルな夫婦デュオ── ザ・クレメンタインズの住まいを訪ねて

『GQ』とグッチが共同制作する人気ショートフィルムシリーズ、“The Performers” (成し遂げる者たち)が再始動する。今年で3年目を迎えるこのシリーズでは5人のアーティストが登場、最初にフィーチャーするのはミュージシャン夫妻、フローレンス・クレメンタインとベンジャミン・クレメンタインだ。彼らの作品がうまれるカリフォルニア州トパンガの家を訪ねた。

Photos: Samuel Bradley Text: Jonathan Heaf Translation: Ottogiro Machikane

Advertisement▲相思相愛のふたりにとって、創造と非創造の継ぎ目の状態とは?  Gucci.com

夫と妻、ふたりながらにミュージシャンであるベンジャミンとフローレンスのクレメンタイン夫妻はソファに座らない。ふたりがいるのは、仄暗い照明の、天井の低い居間だ。彼らはたぶん温もりが欲しくて、いやそうではなくて、おたがいのあいだにもう少しだけ親密さをつくりだしたくて(もっといえば、ふたりの親密さを確かめたくて)、床に座って向かい合う。クリーム色の毛足の長いラグのうえで、おたがいの長い脚をからませて。ベンジャミンはやさしくアコースティック・ギターをつま弾きながら、合間に砂糖入りの紅茶をすすり、フロー(フローレンス)は糸を通した針で、無心にジャケットを繕っている。

家族の、この上ないしあわせな一光景ではある。しかし、その様子を眺めている者の眼からすれば、この光景のどこまでが真実で、どこからが演技なのか、とふと思わないでもない。ふたりはいつもの演技を繰り返しているだけなのか、それとも麗しきファンタジーを作り出して見せているのか? そして、真実と演技がぶつかりあう場所にはなにが横たわっているのか? そこに横たわるのは、ときに安定を得ることのない、いくつかの問いである。アイデンティティ(そして、ともに暮らし、ともに創造行為をするひと組みとなった夫婦のあいだにおける“自分”というもの)にかかわる問いだ。こうした問いこそが、グッチの、観る者を思考へと誘うショートフィルム・シリーズ、“The Performers”(成し遂げる者たち)の最新作であるこの作品の核心にある。


▲ふたりが暮らすカリフォルニア州トパンガ。ネイティブ・アメリカン語では「天国」を意味する。  Gucci.com


「人が何をかんがえているのか知るなんてことができるだろうか?いったい何をかんがえているのか?、を知ることが」と、ベンジャミンはフィルムのなかで問いかける。演出家のいうところの「カレイドスコープのように目まぐるしく変化する一篇の詩歌」のごときこのフィルムにおいて。抽象的で繋がり合った視覚的瞬間や場面が連続するこの作品によって浮かび上がってくるのは、ともに暮らし、仕事をし、生きて、ひとりの人間として(そしてふたりとして)実存し、成長するクレメンタイン夫妻の、家庭生活における心震わせる高揚と不安とのふたつである。

▲「人が何をかんがえているのか知るなんてことができるだろうか?いったい何をかんがえているのか?、を知ることが」 Gucci.com

時に奇怪で、しばしばぎょっとさせられるこのフィルムが撮られたのはふたりのトパンガの家だ。カリフォルニアの閑静なブルジョワのコミュニティであるそこは、ハリウッドの住人たちの騒がしく大げさな生活から遠い。クレメンタイン夫妻は1歳の息子であるジュリアン・ジュピター、そう奇しくもクリスマスの日に生まれた一人息子と暮らしている。ふたりにとってこの家は安全で、自己表現に没頭できる場所であり、ここではアートと暮らしと仕事と夢とのそれぞれの境界線がはっきりしなくなることが、ごくあたりまえの日常の現実だ。それはこの作品を観ればわかる。たとえば、こんなふうだ。プロの創造的アーティストはいつ、純然たる創造行為をやめ、子にたいする親になるのだろうか? アーティストであることと親であることに違いはあるのだろうか? 違いがあったとして、それに意味があるのだろうか?

人はいかに生きるべきか、あるいは、いかなる生き方をしてはいけないのか──というような大きな問題についての答を、このフィルムが求めようとしているわけではない。そうではなくて、プロとして創造にいそしむ存在である彼らにとって、創造しているときと創造していないときの“継ぎ目”の状態とはどんなものなのか、といった問いを彼らに投げかけ、その“継ぎ目”をほどいてみようと思ったにすぎない。この“継ぎ目”についてもっともよく知るのは彼らふたりにほかならないのだから。

▲ベンジャミンが見つめる先にあるものとは?  Gucci.com

現在30歳のベンジャミン・クレメンタインが音楽業界人の目に留まったのは、パリやロンドンで路上生活をしながら“バスキング(路上ライブ)”をしている頃のことだった。ロンドン北部のエドモントンで5人きょうだいの末っ子として生まれた彼は、厳格なクリスチャン教徒のガーナ移民の家庭で育った。2015年のデビューアルバム『アット・リースト・フォー・ナウ』が英国とアイルランドでもっとも優れたアルバムに対して贈られるマーキュリー賞を受賞するやたちまちスターダムへと駆け上がり、その2年後にセルフプロデュースで発表したセカンドアルバム『アイ・テル・ア・フライ』では、移民やいじめからフランスのナショナリズムまでの幅広い政治問題に真っ向から取り組んだ。

24歳のフローレンス・クレメンタインは、フロー・モリッシーの名で活動する英国人シンガーソングライターである。ロンドンの高級住宅街ノッティングヒルで8人きょうだいの大家族に彼女は生まれた。母親は女性の企業経営陣への進出を後押しする活動を長年続け、みずからも投資銀行で重役を歴任した「デイム」の称号を持つヘレナ・モリッシーで、父親は投資関係のジャーナリストから仏教の僧侶に転身した異色の経歴の人物である。フローは14歳で作曲を始め、その3年後に学校をやめて、かの名高いブリット・スクール(BRIT School for Performing Arts)に入学した。2015年リリースのデビューアルバム『トゥモロー・ウィル・ビー・ビューティフル』は批評家たちの絶讃を浴び、セカンドアルバムの『ジェントルウーマン・ルビー・マン』ではアメリカ人アーティスト兼プロデューサーのマシュー・E・ホワイトとタッグを組んで、ジェイムス・ブレイクやフランク・オーシャンの楽曲をカバーした。


▲「ぼくたちはどこかに居場所を見つけたかった。どこかといっても、ただほかの人間がいないどこかに行きたかったんだと思う」  Gucci.com

そしていま、相思相愛のふたりは音楽における共謀共同正犯者となり、ベンジャミンとフローレンスはザ・クレメンタインズとして作曲と演奏をふたりで行っている。ふたりの、強く類例のない結びつきぶりを考えれば不思議はないのだけれど、ふたりの創造的才能は衝突することなく、たがいに補完しあい、依存しあって新しいサウンドをつくっている。デュエットの古典的な系譜──、すなわち、ソニーとシェール、セルジュ・ゲンズブールとシャルロット・ゲンズブール、ジョニー・キャッシュとジューン・カーターらに連なるともいえる。ザ・クレメンタインズのふたりのパートナーシップは、その純粋さに匹敵するほど詩的であり、おたがいのアーティストとしてのパワーは、たたかうことにではなく、相手を養うことに向けられている。

ザ・クレメンタインズの楽曲に息づくのはひとつの精神性である。創意と好奇心に溢れていながら、謙虚で、うぬぼれていない。それは、グッチのクリエイティブディレクターを務めるアレッサンドロ・ミケーレの能力と電撃的なまでの強烈な熱情に呼応するものでもある。この世界、このフィルム、このコラボレーション、この探求が示すひとつの芸術性は、いまだ手付かずの、人跡未踏の場所から生じたものである。「ぼくたちはどこかに居場所を見つけたかった。どこかというのは、ただほかの人間たちのいないどこか、ということだったと思う」とベンジャミンが語っているように。

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グッチ