GQ TALK──The Independent Minds of the Independent Watch Makers

愛すべきヘンな独立時計師たち

時計業界には大きな組織に属さず、自分の名前を冠して時計を作る人たちがいる。どこか浮世離れした彼らとのエピソードを広田雅将が綴る。
愛すべきヘンな独立時計師たち

By Masayuki Hirota
Illustration: Osushi Muroki

メーカーに属さず、時計を作っている人たちを独立時計師という。何をもって独立時計師というかの定義はかなりあいまいだが、小工房で、自分の名前を冠した時計を作っている人たちをそうみなしてよさそうだ。

著名な独立時計師には、フランソワ-ポール・ジュルヌ、フランク・ミュラー(これらふたつは独立と言うには規模が大きくなりすぎてしまったが)、ダニエル・ロート、フィリップ・デュフォー、日本では浅岡肇や菊野昌宏などがいる。少量生産のため価格は高いが、作り手の個性が強く出るため、愛好家たちの人気は高く、近年では投資目的で買う人さえいるほどだ。現代美術の作り手のようなものだろうか。

本連載でしばしば書いてきたように、時計業界には良くも悪くも面白い人が多い。売り手も、買い手も、そして作り手もである。なかでもアーティストにもたとえられる独立時計師は、自分の見た限りでいうと、すべて風変わりだ。時計を作っていなかったら、絶対犯罪者になっただろう、とさえ思いたくなる人もいる。

かつて外国の知人からメッセージをもらった。「独立時計師の浅岡肇に連絡を取りたいのだが、メールを送っても電話をかけても出ない。どういうことだ」とあった。あなただけではない、筆者も何度か連絡を取ったが繋がらなかった、と返した。後日、たまたま浅岡さんに会った際、なぜ連絡を取れないのかとたずねた。彼の答えが振るっている。「だって電話線を抜いてますから。電話がかかってくると面倒でしょう」。でもメールは返せるじゃないですか? 「メールも見ませんから」。これで商売が成り立つのだから、天才というのは羨ましい。

浅岡さんにはもうひとつ逸話がある。彼は今年、素晴らしいクロノグラフを作り上げた。その設計は、昔のロンジンを思わせながら、より論理的だ。スイス人にもドイツ人にも、こういう設計はできないだろう。いかにも浅岡さんらしい時計で、これは売れるだろうと思った。ちなみに彼は、今年自分の会社を立ち上げた。時計を作ればお金にはなるだろう。数を作るのかと思いきや、3本限定だという。もっと作ればいいじゃないですか。「いや、数を作ったら飽きるんですよ」。独立時計師は忍耐強いが、反面飽きっぽい。

ちなみに偉大な時計師フィリップ・デュフォーは「シンプリシティー」という傑作で名を馳せた。しかしその彼も「もうシンプリシティーを作るのには飽きた」と言い放ち、完全に封印してしまった。そのくせご本人は、会う度に金がないとぼやいている。実に奇っ怪ではないか。

独立時計師の大先達であるジュルヌも、浅岡さんに比肩する天才で、つまりは同じように変わっている。彼には奇妙な習慣があり、1年の半分を喫煙し、半分は禁煙すると決めている。なぜそうなったか不明だが、決めたらその日から吸わないという。それほどの強い意志があれば完全に禁煙できそうだが、「それはやりたくない」とのこと。ジュルヌ先生、さっぱり意味が分かりません。

もっともこのふたりはまだまともで、前金を集めたのに鬱病になって時計を作れなくなった時計師や、創作意欲をかき立てるためにクスリをやり、挙げ句の果てに引退した独立時計師さえいるほどだ。ある独立時計師はこう語った。「ほかの人は時計も作れる。しかし私は、時計を作る以外何もできないのだ」。彼らの作品が畏怖されるのもむべなるかな。

しかし幸いなことに、最近は独立時計師をきちんとマネジメントできる人が増えてきた。彼ら彼女らはおおむね人格者であり、だからこそ独立時計師たちも破綻せずにいられるようになってきた。前述した浅岡さんもジュルヌさんも、マネジメントはかなりしっかりしており、だからビジネスとして続いているわけだ。しかし、である。どれだけうまくいっても、独立時計師が作る時計は、組織ではなく、あくまで人が作る物だ。嫁との離婚騒動で納期が遅れたり、本人が入院してディスコンになる場合だってある。そういった困難も笑い飛ばせるならば、独立時計師の作品は、ありきたりな現代美術よりずっと面白味に満ちている、と私は思うのだけれど。

広田雅将
1974年、大阪府生まれ。時計ジャーナリスト。『クロノス日本版』編集長。大学卒業後、サラリーマンなどを経て2005年から現職に。国内外の時計専門誌・一般誌などに執筆多数。時計メーカーや販売店向けなどにも講演を数多く行う。ドイツの時計賞『ウォッチスターズ』審査員でもある。